前回の記事に続く内容です。
心が漂流していたわたしが、主(イエス・キリスト)に出会ったとき、本当の故郷に帰った気がして、なつかしい思いがました。それは、主がわたしの創造主(つくりぬし)だからです。
生きる価値もないと思っていた者でしたが、主は「生きよ」と言って下さいました。初めて居場所がみつかって、心から安堵しました。さまよっていた魂がしっかりとつかまえられたのです。その感動を詩にしてみました。
さまよえる たましい
どこへ行けばいいの?
どこへ向かえばいいの?
行き先が わからないのに
ひたすら歩き続けた
何かを求めて……
気がつくと さっきと同じところを
歩いていた
さまよえる わたし
さまよえる たましい
生きていてもいいの?
何をしたらいいの?
どうしてよいかわからずに
自分を痛めつけていた
答えを探して……
気がつくと 泥沼に落ちこんで
もがいていた
さまよえる わたし
さまよえる たましい
漂流をくりかえし
たどりついた場所は
初めてなのになつかしく
声を上げて泣きじゃくる
気がつくと 抱きあげられていた
主(しゅ)のふところに
愛される わたし
とらえられた 心
聖書の言葉
私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。
そして私の足を巌(いわお)の上に置き、私の歩みを確かにされた。
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。
多くのものは見、そして恐れ、主に信頼しよう。
(詩編40:1-3)