生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

死から生を

2010-01-06 14:26:00 | 日記

4日にわたしの実家に行き、母と妹一家と共に新年を祝いました。帰るとき、中2の姪を連れてきました。世田谷区に住んでいる姪は、上野で常磐線に乗るのに30分もホームで待たなければならなかったことに驚いていました。写真は上野駅のホームから写しました。


昨日は教会で葬儀がありました。T兄のお父様(83歳)が肺がんで召されたのです。数年前まで、アルツハイマーの奥さんを10年間も自宅で介護されていたと聞きました。脳梗塞になられてからは、介護ができなくなったので土浦に招いたそうです。老人ホームに入居していましたが、間もなく肺がんがみつかって、手術も抗がん剤治療もできず、あっという間に召されてしまいました。

T兄は呼吸器科の医師です。お父様は息子さんの勤務する病院に入院され、息子さんが担当医となられたと伺って、ほっとした気持ちになりました。T兄は、助からない病にかかっているお父様を看られたのですから、さぞかしお辛かったことでしょう。でも、お父様にとっては、どれだけ嬉しかったことでしょう。

お父様が他の癌ではなく、肺癌になったことも神様の愛の配慮だと思いました。

生前のT兄のお父様とは面識がなかったので、泣くことはないと思っていたのですが、お孫さんで小学1年生のAちゃんが声を殺してずっと泣いているのをみて、もらい泣きしてしまいました。

どうかご遺族の方々のうえに主の慰めがありますようにお祈りします。

「走るべき道のりを走り終え」という牧師先生のメッセージがありました。


「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。(Ⅱテモテ4:7-8)


走るべき道のりを走り終えたパウロが愛弟子テモテに書いた最後の手紙です。

走るべき道のりを走り終えた人に神様は義の冠を用意しておられることを改めて感謝しました。

お葬儀に参列すると、当たり前のことなのですが、人は必ず死ぬのだということを自覚します。死を意識し、死から生を考えていきたいと思います。いつ死が訪れても「走るべき道のりを走り終えた」と言える人生を送れるよう歩んでいきたいです。


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