生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心のフィルムに(その4)

2009-10-27 12:02:16 | エッセイ

「お父さんに会いたかったから」と照れながら言って、お昼を一緒に食べ、屋上庭園に車椅子を押していきました。わたしはそこで再び福音を語りました。

「わたしはイエスさまを信じているから、死んだら天国に行けるの。お父さんも信じれば天国に行けるから、そこでまた会えるよね。お父さんが信じたら、お母さんやY子(妹)も信じると思うよ。みんなで、また会おうね」

 うんと頷く父の目は、少年のようにすんでいました。そのあとまだ父と何度も話しができるだろうと思っていましたが、それが最期の会話になってしまいました。

1週間後、父の容態が急に悪くなったと母から電話があり、急いで病院にかけつけると、父の意識はありませんでした。声をかけても反応がなく、時々反射的に手足を動かすだけです。

「あと1日か2日です」と言われました。
その夜は、わたしがひとりで病院に泊まることにしました。前日泊まった母と妹はほとんど眠れなかったため、疲れがピークに達していました。とくに母は憔悴しきっていたので、今日も泊まったら倒れてしまうかもしれません。
 
夜9時頃は血圧の変化もなかったので、病院から車で30分の距離にある妹の家に母と娘が泊まり、わたしは病室のすぐそばの家族室で休みました。

夜中に血圧が少し下がったので点滴をしますと連絡がありました。わたしは、どうか朝まで父の命を取り上げないでくださいと祈り続けました。

明け方、看護師さんが来て「呼吸が浅くなってきました」と告げました。急いで父のところにいくと、手や足の先が冷たくなっていました。顎を上げ一生懸命呼吸をしています。 

父のそばで毎朝やっているようにデボーション(聖書を読み、祈る)をし、母に電話をしました。

意識がなくても耳は最後まで聞こえているのだということを思い出し、手元にある聖書を父の耳元で読み始めました。詩編のいくつかを読み、マタイの山上の垂訓を読み、次はどこを読もうかと思ったとき、ベッドのかたわらに立ててあるカードが目に留まりました。それは、父に贈った誕生カードでした。

カードには「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐいとってくださる。(黙示録21:4)」と聖書の言葉が書かれ、わたしの一番好きなみ言葉です。と書き添えていました。

それで黙示録21章の半ばから読み始めました。最後のページになったとき、ひどく胸騒ぎがしましたが、父の喉仏が上下するのを目の端でとらえながら読み続けました。


「わたしはアルファでありオメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」


この30分の間だれも病室に入って来ませんでした。読んでいると父の呼吸が段々弱くなっていくのがわかりました。


「これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る」アーメン。主イエスよ、来て下さい。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。」

これは、聖書の最後に書かれている文章です。
 
読み終えたとき、とうとう呼吸が止まってしまいました。

「お父さん、待って、お母さんもうすぐ来るのよ」と声をかけましたが、変化がありません。急いでナースコールを押しました。

                    つづく

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