生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心のフィルムに(その2)

2009-10-23 07:57:40 | エッセイ

お父さんは若いとき学徒出陣でシベリヤに行き捕虜になり、腸チフスで生死をさまよったんですよね。もし、そのとき死んでしまったらお母さんとも出会わず、わたしも生まれなかったわけです。考えてみると不思議ですね。帰国してからお母さんと結婚してわたしが生まれたわけで、もし他の人と結婚していたらわたしは生まれなかったんですよね。

わたしはこのようなことが偶然とは思わず、神様が計画されたことだと考えています。そしてお父さんもわたしも、(もちろんお母さんも)神様に守られ、愛されているのだなあと感じます。

わたしの願いは、お父さんの病気がすっかり良くなって元気になることです。でも、悲しいことにいつかはお別れするときがあるでしょう。人間はどんな人でも死ぬことが決まっていますからね。でも、イエスさまを信じると、肉体は死んでも魂は死なないのです。

天国で再会できるんですよ。お父さんにもイエスさまを信じてほしいなあと願っています。それでは、お身体くれぐれも大切に。夏にまた一緒に旅行にいきたいですね。』

手紙に書いたように、わたしは決していい娘ではありませんでした。厳格な父のことが嫌いで、ずうっと反抗していました。ところが、わたしが反抗していたことを父はすっかり忘れていました。手紙を読んだ父が「そんなことあったのかなあ?」と首を傾げました。父は赦してくれていたのです。

父は、半年近くなんとか家で日常生活を続けていました。家事のいっさいを母にさせてはいけないと、食器洗いを手伝ったりもしていました。調子のいいときは近くを散歩もできるほど元気でしたが、癌は確実に広がっていたのです。

進行癌はなんて残酷なのでしょう。このまま家で生活を続けていたいとどんなに願っても、それができなくなるのです。食事ができ、呼吸ができ、眠れるということは当たり前のように感じていましたが、神さまによって健康が支えられていたからできていたのです。生きたいとどんなに願っても、自分では一秒も寿命を延ばすことができません。命は神さまの手に握られているのです。

7月に帰省したおり、父が熱心にワープロで何か書いていました。書いていたのは「死亡連絡先リスト」でした。父は先が長くないことを知っていたのです。
「これを3部ずつコピーしてくれないか」と、わたしに言いました。
3部というのは、母と妹とわたしの手元に置いてほしいからだそうです。父とわたしはコピーをしに近くのスーパーに出かけました。

父と肩を並べて歩くことは、あと何回あるのでしょう……。どんどん時間が過ぎ去っていきます。川の流れのように留まることなく……。でも、一瞬は永遠につながるのだから、父と歩いている今を心のフィルムに焼きつけようと思いました。

後日、ファイルに綴られた死亡連絡先を渡されました。ファイルの一ページ目には次のように書かれていました。

『父がこのような状態になってしまって、お母さん、お2人(妹とわたし)に連日ご心配かけて申し訳なく、感謝しています。お2人はこれからの人生がありますので、元気で頑張ってください。父は20代から何回となく死に直面して我ながらよくここまで生きてこられたなあと驚いています。

これもみなお母さんやお2人のお陰と思っています。人には寿命があり、父はいつ皆さんとお別れしてもいいと覚悟はしています。ただお母さんの今後がいちばん気がかりでなりません。どうか宜しくお願いします。』

そして、延命治療はしないでほしいと言いました。

癌になる2年前、父は大動脈瘤で手術を受け、10日ほど入院しました。お見舞いに行ったとき、三浦綾子さんの本「永遠の言葉」を渡しました。それから実家に帰るたび聖書やキリスト教関連の本、自分が書いた証を父に渡していました。

でも、聖書に書いてあることを父に口で説明したことが一度もありませんでした。実家には仏壇と神棚があり、父は毎朝仏壇の水をとりかえて拝んでいます。そんな父に伝えて、受け入れてもらえるのだろうか? と思う気持ちが働きます。 

なかなか話し出す勇気がなくてためらっていると、父が突然「お祈りは、もうしたのか?」と聞きました。その前に父と会ったとき、初めて父の前で声に出して祈ったのです。父は、また祈ってほしいと思っているのかもしれません。

わたしは父の横に座ると、父は手を組んで目を閉じているではありませんか! 嬉しくなって父の病気のこと、母のことなど長い時間祈っていると、「はい、終わり」と父が言ったので、あわてて「イエスキリストのみ名によってお祈りします。アーメン」と早口で言い、祈りを終わらせました。

「仏教とかキリスト教とか関係なく、神さまというものがいると感じている」
お祈りの後、父が言いました。父は『大いなるものの存在』を感じ始めているようでした。

               つづく

*これから出かけ、東京の実家に一泊してきます。

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