朝から冷たい雨が降っています。
今週のはじめから風邪をひいて、近くのスーパーへ買い物行く以外は引きこもっています。
熱は出ていないので寝込むほどではありません。
のどの腫れはおさまったのに朝晩の咳がひどく、夜眠れませんでした。夕べ喘息の薬を飲んで寝たら、咳が出ずによく眠れました。発作が起きなくても喘息の咳だったようです。
明日は土浦の花火大会なので、ヒックンを迎えられるように今日も一日おとなしくしています。花火は外に出なくても我が家から見ることができるので感謝です。お天気が心配ですが……。
先日ブログで礼拝メッセージの紹介をしたのですが、心の迷いがあってY子さんに次のようなメールを出しました。
「メッセージの紹介は難しいです。もしわたしが誤解して受け止めていたら、それをそのまま読者に伝えることになってしまうからです。
メッセージそのままを書けばよいのでしょうが、わたしがどう受け止めたかを書かなければ、感動が伝わらない気がします。
同じメッセージを聞いた教会の兄弟姉妹も読んでくださっているので内心ヒヤヒヤしながら……祈りつつ主の栄光が現わされることを願って書いています。」
そうしたら、
「『わたしがどう受け止めたかを書かなければ、感動が伝わらない気がします。』
と文香さんが仰るように私たちはそこをこそお聞きしたい、読みたいです。」
と嬉しいお返事をいただきました。
十人十色で、同じメッセージを聞いてもそれぞれ受け止め方や感じ方が違うと思います。
神様から受けたものを、わたしという土の器を通して描いたものだと思ってお読み下されば幸いです。
今朝OBI通信の学びで、ふたつの言葉が心に留まりました。ひとつは「神の可能は不可能という仮面をかぶってやってくる。」という言葉です。
わたしは、死を恐れている病気の子どもたちが安心できるような絵本を書きたいと何年も願い続けています。でも、まだ書けません。いたんだ葦、くすぶる燈心のごときわたしの力では書けないのです。どう考えても不可能という文字しか浮かんできませんでした。でも、不可能というのは仮面にすぎないのでは? と思いました。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ 4:13)
すべてを主にゆだねます。
心に留まったもうひとつの言葉は、「試練という仮面をつけて主の祝福がやってくる。」です。
試練そのものが主の祝福……そのときはとてもそう思えませんが、あとになってその通りと思えることがたくさんあります。