生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

苦しみについて(その2)

2009-10-19 17:14:19 | 聖書から

次にイ・チソンさんのことを紹介していただきました。


チソンさんは大学4年生の時、交通事故にあい、車が炎上し大火傷を負いました。火傷の中でいちばん重い弟3度の火傷を体の55%に負ったのです。奇跡的に一命はとりとめたものの、激痛に苦しみ、親指以外の8本の指の先端を切断し、さらに顔の皮膚移植をしましたが、全く別人のようになってしまいました。

でも、その絶望の中から希望を見いだしていきました。ふつうだったら自殺してしまいたくなるような状況にありながら、神さまの愛と家族の愛に支えられて、変わり果ててしまった自分の姿を受け入れることができたのです。
2006年の家庭集会クリスマス会でチソンさんの講演ビデオを見たのを思い出しました。


今回、心に留まった3つのことがあります。

ひとつは、チソンさんが鏡を見て「こんにちは、イ・チソン。愛しているよ」と自分に語りかけ続け、以前とは変わってしまった自分の姿を受け入れたことでした。

わたしは、自分が喘息であることを受け入れるのに10年以上かかりました。受け入れられないときは、生きることが苦しくてたまりませんでした。受け入れられたとき、初めて平安が訪れたのでした。

もうひとつは、チソンさんのお母さんが必死に看病する中で、ひとことも愚痴を言わなかったことに驚きました。お母さんがスプーンをチソンさんの口に持っていくたび「わたしの可愛いいチソン」と言っていたそうです。

わたしの娘がこのようになったら、「せめて顔だけでも火傷しなければよかったのにね」と言ってしまうような気がします。

3つ目は、事故前の姿に戻れると言われたらどうする?」の質問に「戻りたくない」と答えたことです。

チソンさんがその理由をこう語りました。

「確かに私はこの苦難により、外から見える者は失われましたが、代わりに目に見えないまことの宝物を与えられたのです。元に戻ってしまうと、神様から頂いたこの宝も失ってしまうから戻りたくないのです。」


「私たちは目に見えるものにではなく、見えないものにこそ、目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(2コリント 4:18)」


の聖書の言葉がチソンさんの中で息づいているのですね。

チソンさんは事故にあって、命はとりとめたものの、美しい顔と八本の指の指先を失ってしまいました。それでも、主イエスを信じる信仰によって心に幸せ、喜びを感じて生きています。

わたしも状況に左右されず、目には見えないけれど確かに存在しておられる神様に目を留めて生きていきたいと思いました。

最後にそれぞれが、経験した苦難について語りました。8人がそれぞれひどい苦しみの中を通らされ、そのことによって神様の存在を確かにされたという証ししました。涙、涙でした。でも、家庭集会が、このように心のうちすべてを語れる場であることが素晴らしいと思いました。


おわり

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