ペンの友に須藤あきこさんという方がおられます。「詩の友会」のHPに掲載された詩を読んで、心打たれました。須藤さんの了解を得て紹介させていただきます。この色の字はわたしのコメント。緑字は聖書の言葉です。
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もしも わたしが 須藤あきこ
――苺ミルフィーユを食べながら
もしも
わたしが
あなただったら
と 考えると
あなたに
もっと 優しく
なれるかもしれない
そう思ったら
今まで
悩みあぐねていた心が
氷のように
溶け始めたような
そんな
気がする
今年の初めから、互いにいたわりあうにはどうしたらよいか考えてきました。
この詩のように「もしもわたしがあなただったら」と考えることによって、いたわりの心、愛する心が生まれてきますね。
「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ 7:12 )」
完全とは 須藤あきこ
――ある陶器師の作品から
完全とは
自らが
不完全であることを
認めること
その中には
寛容 親切 謙遜 赦し……
愛のすべてが
内包されているから
自分が完全だ、正しいのだと思った瞬間、完全ではなくなるのだと思います。
自分が不完全な者だと知っている人が御霊(みたま)の実をみのらせることができるような気がしました。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ 5:22)」
弱さ 須藤あきこ
弱い人は
強い人の
支えになることができるように
神さまから
弱さを
与えられている
そして
弱い人は
神さまの
大いなる力によって
支えられている
弱い人が強い人の支えになるというのは本当です。強いと思っている人でも、予期せぬ出来事が起きたとき、ひとりでは対処できなくて弱り果ててしまうことがあります。
そんなとき、弱い人の存在がその人を立ち上がらせてくれるのです。
神様の大いなる力で支えられるとき、弱い人は強い人より強くなります。
「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。(Ⅱコリント12:9)」
「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(Ⅱコリント12:10)」