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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

互いにいたわるには……(その1)

2009-01-05 11:51:23 | エッセイ

年末年始のあわただしさから解放されて、今日はほっと一息つきました。
今日は主人が初出勤です。去年の事故で車が壊れてしまい、まだ車がないので一時間も早く家を出てバスを乗りついでの通勤です。


今年の教会の年間聖句は「私たちはキリストのからだであって、互いにいたわり、ともに苦しみ、ともに喜ぶのです。(Ⅰコリント12:25-27より)」です。

互いにいたわること、ともに苦しみ、ともに喜ぶことは簡単なようでなかなかできないことだと思います。わたしたちが出会ったすべての人に対してそれができたら、平和な世界になるでしょう。

でも、どうしてなかなかできないのだろうかと思い考えているとき、ちょうど娘が同じようなことを言い出したのでびっくりしました。(娘はまだ今年になって教会へ行ってないので年間聖句を知らないのです)

娘がアルバイトを始めて半年になるのですが、バイト先の人間関係が悪いので心を痛めているのです。人の悪口ばかり言う人がいて、それを聞きつけた当人が怒って衝突し、もめているとか…娘は圏外なのですが、仕事場の雰囲気が気まずくて辛いと言うのです。


「みんな、“わたしが”って言うの。自分は正しいと思っているの。自分目線で人のことを見るから、批判する気持ちが起きるのよ。でも、その人だって他人からどう見られているかわからないのにね」


そうです。人の行動を見て、「わたしならあんなことしないのに……」と思ってしまうところから改めなければいけませんね。

20年ほど前、埼玉県の団地に住んでいました。そのときのことです。5歳と3歳の子どもだけを公園で遊ばせて、母親は家で友人とお茶飲みしているのを見聞きしました。団地内の公園なので車の心配はないのですが、子どもが滑り台から落ちそうになったり、危険なことをして近所の人たちがハラハラしていました。
そのとき(わたしだったら、子どもだけを外で遊ばせたりしないのに)と思ってしまいました。

でも、もしかしたら、母親は人には言えない深い事情があって外遊びする子どもについていることができなかったのかもしれないのです。そして、近所に住んでいたわたしは、自分の子どもと共にその子どもたちを見ていてあげればよかったのです。
でも、わたしはその人の悪口を言う人たちに同調し、心の中で批難していました。

また、やはり団地に住んでいたころ、友人にひじきの煮物を作って持って行ったら、「ごちそうさまでした。わたしだったらもっと辛く煮つけるけど……」と言われてしまいました。
その方は東北の人なので、濃い味付けを好んでいたのでしょう。わたしは関西風の薄味にしていたので、物足りなく感じたのでしょう。

人によっておいしいと感じる味が違うように、さまざまな感覚は十人十色です。
「わたしだったら……」と自分を基準にしてしまうと、それに合わない人を非難することになります。
自分と同じような感性を持ち、同じような考えをする人には共感しても、自分が理解できない言動をする人を非難するのでは、互いにいたわり、ともに苦しみ、ともに喜ぶことはできません。

どうしたらいいのでしょう……。

                  つづく

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