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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

互いにいたわるには(その3)

2009-01-09 11:12:14 | エッセイ

人の話を聞いて充分理解したような気になって、実は誤解して受け止めていることもあります。

わたしは以前、親しい人から深刻な悩み打ち明けられたとき、理解することができず、的外れなことを言ってその人を傷つけてしまいました。
わたしは高慢にも悩みを聞いたら、何かアドバイスをしてあげなければと思っていました。

しかし、彼女はアドバイスを求めていたのでも、100%の理解を求めていたのではありませんでした。ただ、よりそってほしいと思っていたのでした。ただ聞いて涙を流すだけでよかったのでした。

自分の子どものことならすべて理解できると思いこんでいた時期もありました。自分の身から出た子どもですから、母親はすべて知っているはずだと思っていたのですが、それは間違えでした。自我を持ち始める1歳半の子どもの気持ちすら100%理解できないのです。20年以上も一緒に暮らしている主人のことさえ理解できていません。
理解するって、何と難しいことでしょう。

でも、神様は100%理解して下さいます。このことを知っているかいないかでずいぶん違うと思います。


それでは、相手を100%理解できないと、いたわることができないのでしょうか?
そんなことはありません。互いにいたわりあうには100%理解する必要はありませんね。
相手のことを思いやって、心を寄せ、祈り続ければ、いたわりの気持ちが生まれるのです。そこには愛が必要です。

でも、わたしに愛があるのでしょうか……。
自分のことを省みると、自分本位で愛に欠けた者だとつくづく思います。もともとのわたしの中にはひとかけらの愛もないのです。でも、そんなわたしを神様は愛して下さいました。


「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(Ⅰヨハネ4:9)」


と聖書に書かれているように、神様はわたしのためにひとり子のイエス様を世におくってくださいました。イエス様はわたしの身代わりになって十字架につけられ、すべての罪を背負ってくださいました。これこそ神様の愛です。

神様がしてくださったことを思い、大きな愛に触れたとき、愛し難い人も愛したいと思うようになりました。
自分を攻めたて、傷つける人をも愛したいと思いました。なぜなら、イエス様はその人のためにも十字架にかかって下さったからです。

以前、牧師先生から、ひどいことをしたり言ったりする人に対して、「明日は変わるかもしれない」と思ってその人のために祈ることが大切だと聞きました。


祈り
神様、イエス様がわたしにしてくださったことをいつも思っていられるようにして下さい。どんな人もいたわり、愛することができるようにわたしに愛をください。

                おわり

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