静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2019年09月15日 | 天のマナ
 「神の栄光をあらわすキリスト者の労働」

 毎週日曜日の午後にテレビ放送されているある討論番組を録画して観ています。そこで、一人のコメンテーターが、次のようなことを言っていました。その趣旨をまとめますと「キリスト教において労働は神の罰であるから、欧米の人たちは一日も早く労働から解放され、いかに老後を楽しむかを考えている」という内容でした。しかし、これは誤った捉え方です。確かに、アダムとエバが罪を犯した結果、「地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」(創世記3:17~18)と記されていますが、人の労働は神の罰としてここから始まったのではありません。「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守られた」(創世記2:15)とあるように、人が罪を犯す前、この世界に罪が入ってくる前の2章で、すでに神によって人に労働が与えられているのです。それは神の罰ではなく、神の栄光をあらわす働きであり、神が人を信頼して委ねたものです。神は、エデンの園の創始から、人を信頼し、すべての生き物を愛をもって治め、神の栄光をあらわす使命を与えているのです。ですから、私達は神の栄光をあらわすために働くのであると受け止め、今週も喜びと感謝をもって労してまいりましょう。
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