「十字架の愛によって愛し合う」
昨年9月に持たれた「あしか」(東海ブロック青年)の「恋愛・結婚」というテーマでの集まりで、講師が創世記2章より次のような話をして下さいました。「夫婦の円満の秘訣は、ある言葉が言えるかどうかであります。さて、皆さん何という言葉でしょうか?」という問いから始まりました。私はそれを聞いて、「愛してるかなあ?ありがとうかなあ?」などと思いました。これらの言葉は良い言葉ですが、講師の答えは違っていました。その言葉は、「ごめんなさい」でした。私は納得しました。なかなか「ありがとう」は出ても、「ごめんなさい」はでないものです。自分が悪かったことを認めることから始まる「ごめんなさい」を人間は嫌がりしません。講師は続けました。「本当に心の底から自分の過ちを認めて謝ることができるのは、十字架のイエス様の愛を知り砕かれ、救い主イエスを神の恵みにより信じ、イエスに愛し赦されて続けているキリスト者しかできない」と。
2015/7/12
昨年9月に持たれた「あしか」(東海ブロック青年)の「恋愛・結婚」というテーマでの集まりで、講師が創世記2章より次のような話をして下さいました。「夫婦の円満の秘訣は、ある言葉が言えるかどうかであります。さて、皆さん何という言葉でしょうか?」という問いから始まりました。私はそれを聞いて、「愛してるかなあ?ありがとうかなあ?」などと思いました。これらの言葉は良い言葉ですが、講師の答えは違っていました。その言葉は、「ごめんなさい」でした。私は納得しました。なかなか「ありがとう」は出ても、「ごめんなさい」はでないものです。自分が悪かったことを認めることから始まる「ごめんなさい」を人間は嫌がりしません。講師は続けました。「本当に心の底から自分の過ちを認めて謝ることができるのは、十字架のイエス様の愛を知り砕かれ、救い主イエスを神の恵みにより信じ、イエスに愛し赦されて続けているキリスト者しかできない」と。
2015/7/12