静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年01月02日 | 説教要約

「人生の重荷をおろす」 マタイによる福音書11章20~31節

 今年もマタイによる福音書と詩篇からみ言葉をいただきます。

Ⅰ 主に重荷をおろす

 「人の一生とは重きを負うて遠き道を行くがごとし・・・」とは徳川家康の有名の言葉です。そのような人生の重荷をどうしたらよいのでしょうか?

 主イエスは、「わたしのもとき来てその重荷をおろしなさい」と言われました。祈りの中で主に委ねることです。そうしますと、主は私達の重荷を負ってくださり、私達は荷をおろし、休むことができ、新たな力に満たされるのです。

Ⅱ 主のくびきを負う

 リフレッショされた私達はその後どうするのでしょうか?主イエスは、「わたしのくびきを負うてわたしに学びなさい」といわれています。「主のくびき」とは、私達一人一人に与えられている使命であります。しかし、一人で負うのではなく、主イエスが共に負ってくださるのです。ですので負いやすいのです。平安があるのです。私達は主イエスを見て学び歩調をあわせればいいのです。

  まずは、自らの重荷をおろし新たな力に満たされましょう。そして主イエスと共に自らの使命を果たしていきましょう。

 2011/1/2 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年01月02日 | 天のマナ

「信仰の原点に立ち続ける」(新年礼拝メッセージより)

 

 2011年、私達は主からの今年の御言葉をいただきました。それは、ヨハネによる福音書11章40節「もし信じるなら神の栄光を見るであろう」です。主なる神は、この御言葉を信じる私達に、神の栄光(ダイナマイト級の御わざ)を体験させようとされているのであります。

 

 それは、何においてでしょうか?教会においての使命(宣教と教会形成)と課題(会堂返済)においてであります。また一人一人の使命と課題においてであります。私達が気をつけなければいけないのは、部分的な信仰になることです。この課題は信じれるけど、この課題は信じれないといったり、あの方には神のわざはなるけど私にはならないと思ったりすることです。私達の信じている神は全能の方であり、不可能な事は何一つありません。

 

ラザロをよみがえらせた主なる神であります。問われる側は私達の信仰であります。ですので今年、いつも原点に立ち続けたいと願うのです。

 

2011/1/2

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あけましておめでとうございます

2011年01月02日 | 生花
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