15日、トロッコ列車に乗った。「南アルプスあぷとライン(トロッコ列車)」という名前が付けられている。家内に誘われて、いったのだが、珍しくもなんともない、今では古いというだけのものだ。「アプト式」というのは一部勾配がきついところに線路の真ん中に逆送したりしないように、「ギア」がつけてるだけ。大井川の流域に残っている(というか残してある)だけのこと。昭和30年代まで各地で走っていたと思う。長い停車だなと思って窓からのぞくと駅近くで石炭をスコップで線路わきに落としている。それが終わらないと「ポーツ」が鳴らない。私が高校生の時、乗ったし、さらに言えば、当時、地方には軽便鉄道(通称軽便)という名の汽車も走っていた。軽便鉄道は車幅、長さ(車両の)ともに随分小型で、座席は車両の窓に沿って両側に木の長椅子があるだけのもの。通路は人一人がやっと通れる幅だった。車内で人がすれ違うといったことは、困難。冬、どか雪が降れば幾日かは運休。復旧の見通しは線路の雪が無くなればOKだ。冬休み、春休みに帰郷しようにも雪次第といった具合。(郷里に近い駅で降りても駅前の民家にお願いして)雪道を峠越えで数キロ(10キロ位か)歩いて越えることができるように支度をする。雪道は人が歩いた跡をたどる。(ボッカが重い荷を背負って通う)そんな時代だった。今は国道なれば、毎朝除雪されるのでチェーン、またはスノータイヤをしっかりつけていれば冬でも車で通れる。雪崩れ防止策もしっかりできている。(但し日陰は凍っているので崖からの転落に要注意)それ以前は雪崩に巻き込まれないように山の稜線上を歩いた。それでも夏は涼しさを求めてか、近くの温泉などを利用して大学の主にスポーツ系の合宿が結構盛んなようだ。ここに限ったことではないが、住民の減少著しく、明らかに限界の集落だ。
この忙しい世の中だからこそ、郷愁の心が芽生えるのでしょうね。
平成も25年も経ってしまいました。
昭和を懐かしむのは、歳を重ねた証拠なのでしょうか?
古いものが見直される時代になりましたが、すでに色々時代とともに変わってしまっていますね。