人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

雛の節句 

2017-03-03 | 

 3月3日。雛の節句である。
 地方によって、月遅れで雛段飾りを、並べるところもあるが、それはそれ、女の子にとっては、うれしくもあり、また、複雑な思いもあることだろう。地方によっては、風習も違うし、雛飾りを出さない、ところもある。それはそれで結構だと思う。
 季節の移ろいは思いのほか早く、月末ともなれば、花見の話や、予定を組む人たち、グループもいる。
 日本には、いい風習がいまも残っていて嬉しく思うところだ。
島国である日本、いつ、大災害がどこで起こるかわからないというところが、現実だ。
 出来ることなら今年こそ、平和で、無災害、いろいろな意味で実りの多い、良かったと思える年であるようにと祈るところだ。
 ここのところ、私の住んでいる辺りは、天気は良いのだが、夕刻頃、毎日のように、冷たい風が吹きまくる。そろそろ、春の陽気が待たれる。(画像は下呂市の土雛)

 

 


3月2日

2017-03-02 | 

 今日は早くも3月2日だ。 高校性の場合、3月になれば、すぐに卒業式だ。もちろん例外もあるが。もったいないことだ。授業料、その他の費用については、他の月と同様に支払っていると思うから、せめて、10日ぐらいは、しっかり授業や、駄目でもそれに代わること、大学にいくひと。就職する人。家業を継ぐという人もいるだろう。せっかく、卒業まで来たんだから、やり残したこと、良き友人たちとの親交を最後まで深めるといったことも考えられる。
 何10年前か、分からないほどの齢になってしまったが、私が卒業したころは大変な就職難で就職する人はとても苦労した。卒業式が、3月18日で愛知県内での就職先の企業に就職が何日であったか、今はもう思い出せない。卒業から2~3日だったと思う。電車をおりたら畑の緑が目に眩しかったことを思い出す。豪雪の中で橇を引いたりして、手伝った日々から解放されたばかり、名古屋駅に先輩が出迎えてくれていた。嬉しかった。
 今日は春雨だった。多くは降らない。「昔の話や物語」の中で「月形半兵太」芸者遊びのあと帰りに玄関へ出てみると、小雨が降っている。送って出た芸者が「月様 雨が・・・」と言うと、「春雨じゃ 濡れていこう・・・」という見せ場がある。
 今日の雨は、そんなイメージを抱かせる春雨だ。梅はもう咲いた。サクラも開花が近くなった。何といっても、日本の春はサクラが似合う。(花はシバザクラ)


爛漫の春が待ち遠しい

2016-03-07 | 

 3月5日は暦の上では、「啓蟄」とある。地中の虫たちがそろそろ地上に這い出してくる頃だという。「三寒四温」という言い方は承知していたが、近年の気候の状態は、大方の人が、異常な状態だと思っている。テレビなどでは「エルニーニョ現象」によるものだととか言っているが、立春から数えて210日には強い風が吹いて、栗、ナシ、などの実が落下したものだと思うのだが、夏の天候、暖冬といったことにより、かつてのような現象は起こらない。突然の豪雨、などの影響で町も里山も、それなりに被害だけはでるが。
 南極の氷が溶けて崩れたり、国全体の標高が低いため、海面下に沈む心配の出る国もある。
 ツバルという島国だったと記憶にのこっている。海岸の椰子の木が根こそぎ流されたり、国民にしてみれば、日々大変な思いで生きていることだろう。

 いずれにしても、爛漫の春の到来が待ち遠しい。水ぬるむ苧ヶ瀬池の鯉は元気だ。


ポカポカ陽気

2016-03-05 | 

 今日は薄曇りの天候ながら、お昼近くからはポカポカ陽気できもちいい。
特別なことがあるわけでもなし、午後に散歩に出た程度。苧ヶ瀬池では小さい子供たちが、すぐ近くに売っている麩を親に買ってもらって、小さくちぎって、あるいは大きいまま、池に投げ込む。鯉が水面に顔をだしてパクパク飲み込む。しばらく休憩しながら眺めて、近くの「よしす」で囲った簡単な店で、時期の野菜を売っている90歳過ぎのおばあさんがいるので、みかん一袋と自家製の白菜の浅漬け(どちらも100円)を買って帰路に。このおばあさんとは
戦時中の話を時々交わす。近くに神社があり、その裏の堀らしい溝が残っている。これも戦時中の名残だ。
 私はその付近から、野生のクチナシ(10センチ)程度にしか伸びていないが、2本抜いてきて自宅に植えてみた。その付近はごろ石だらけで、草も木も芽は出るが成長できない。いま、自宅にも野生のクチナシがあるが、花の白さと素晴らしい香りが大好きだ。自宅のものも
この付近で抜いてきたものだ。毎年、短い期間なれど、立派に咲いてくれる。
 例年のことだが、苧ヶ瀬池の鯉が活発に動きている。暖冬で水のぬるむ時期が、早い。


一気に春が来た

2016-02-19 | 

 今日の暖かさは何と言ったらいいか、「いっきに春が来た」という感じ。外を歩いていてもきもちいい。

 今 朝のテレビで「今日は雨水です。」と言ってたと思う。昨日までの風の冷たさを思ったとき、「春を実感」。ありがたい限りだが、いずれまた、凍てつく冬が来ることは、きまっているが、今日のところは春を満喫しよう。






 



 


忙しかった一日

2015-05-04 | 

 久し振りに雨が降った。そして昨日までの異常とも思えた陽気(4月からの)とはおさらばだ。
夜中、雨の降ってる気配だなと思っていたが、朝、外を覗いて確認。お蔭で今日のところは、どこへも出かけない。連休は若い人にまかせておけばいい。夕べから風邪気味だったので、朝、風邪薬を2カプセル服用。日常、多種類の薬を常用してるので、全部で相当量以上だ。でも、仕方ない。自身の体は薬と注射で持たせている状態なんだから。いつ、ぶっ倒れても、いいように心の準備はとっくにすんでいる。あとは、好きな時に寝て好きな時に起きて、そして日の経つのが異常に早く感じる。

 この時期、どこへ行っても、何処の家の庭を覗いても、花、ハナ、ハナ・・・・・・だ。でも、花はいい。気持ちが晴れる。

  雨のつもりだったが、晴天になった。それも快適な陽気に。朝、一時間程クロッケーゴルフに興じた後、玄関脇の狭い空き地などの手入れをした。ついでに、近くの公園にある、長寿会の花壇に植わっている花の手入れ。草を抜いたり、咲き終わった花の撤去作業、やりかけると短時間では終わらない。結局、午後も継続したが、やれやれ、と思う間もなく、近所の人に頼まれて雑用をこなす。あれもやりたいこれもやりたい、とは、思っているが結局ほとんど出来ずじまい。自身の頭が呆けてしまっているので、毎日こんなことの連続で過ぎていく。まあ、いいか。いつものように、安い酒で晩酌。今日はこれで終わり。

 


 今日も快晴です

2015-04-28 | 

 今日も快晴です。いつか必ず来るであろう雨天。これだけの晴天と夏ともいえる陽気が続けば、そのあとは反動だろう。それがなにごともなく過ぎるのであれば、結構なこと。でも、何事につけ、裏表があることをおもうと、喜んでばかりもいられないのかもしれない。毎朝一番にテレビなり、ラジオのニュースで、特別なニュース(身近なところで)などが放映されていないことを知って、まずは安心といったところ。でも、視野を少しだけ拡げて確認すれば、それはそれで各地で、大変なことが起きていない日はない。ネパールでの地震発生で死者多数。日本人もいる。いまも、ヒマラヤの雪の下で動くことのできない状態で、かすかに息をしている人たち。長い長い尺度でみれば、地球自体が変動期に入っているのかもしれない。事件、事故の発生のニュースがないという日は考えられない。(以下の画像はネコ、スズラン、赤い花は名称不詳)


いつまで続くこの天気(陽気)

2015-04-27 | 

 

 いつまで続くんだろう、この天気、そして陽気。まだ4月。夜は寒くなし、暑くなし。気持ちよく眠れた。ウグイスの声、あるいはキジバトの声を布団の中で、聞きながら「ああ、何たる贅沢!、これ好き。などと思いながらの春眠だ」春眠暁を覚えず。「唐の時代に杜甫が詠んだ詩」の情景にもこのような場面があったよなあ。などと布団の中で惰眠?をむさぼっている私。「まあ、いいか。サンデー毎日のわが身だ」自分で納得する。

 

 

 

 

 

 

 


有難い春の陽ざし

2015-04-18 | 

 昨日、夕方近くに、田んぼ道を歩いていて、いつもの場所でいつものように、棲み付いているケリの番(つがい)がしきりに鳴く。もう4月も半ば過ぎなのに、移動しないのか。いつ、繁殖の準備を始めるのか?。考えつつ見ると一回だけ耕した田の中に小さなヒナが3羽いた。
 田の土色と全く変わらない。少しだけ離れた場所で2羽の親鳥が盛んに警戒音を上げている。親子共に完全に保護色である。親が2羽、雛が3羽、全く変わらぬ土色(保護色)だ。同じ道を連日歩いてたのに、不覚にも全く気付くことも無かったのだ。

自然とは素晴らしいもの。これだから人里でも生きのびられるのだ。ケリは警戒心も強く、カメラに収めることが難しい。羽毛の色も外観では夏冬共に田の土、泥の色だ。ケーンツ!ケーンツ!と甲高い泣き声だけを頼りに、見つけることが出来た。

18日(土)いままで連日、雨模様の日が、今朝は雰囲気から、いままでとまるで違う。からりとした晴天だ。どこの家も洗濯物、布団干しなどに気を抜かない。昼頃には窓をすべて解放し、家中の空気の入れ替えだ。
「やわらかき 春の日差しを ありがとう」うぬまじいちゃん


春に3日の晴れなし

2015-04-10 | 

  「春の天気は3日続かなない」と云いますが、よく雨が降ります。今日は10時過ぎから降り出した。
さくら前線が確実に北上していく。
 サクラが散って、その代り、新芽が一斉に芽吹きはじめて、とてもきれいだ。薄いピンクと新緑がよくマッチして素晴らしい。ヤマザクラの新芽はピンク色だ。特にきれいだ。アカマツが枯れたので、ヤマザクラが一斉に成長してきた。
 自宅前の道路が少し上り坂になっている。八木山と愛宕山の中間に二子山が続いていて、散歩など縦走コースになっている。
その山麓に住宅がある。また八木山山麓からは正面に伊木山が見える。伊木山の裏は木曽川だ。この伊木山の裏が断崖になっていて、小さい松の木が岩にへばりついていて、ここが「カラスのねぐら」となっている。毎早朝、夜明けと同時にカラスが西側に向かって、大きく群れて、あるいは小さく群れて、飛びたっていく。なかには、朝寝坊のカラスもいて、陽がかなり、登ってからあわてて、飛翔していくものもいる。人間社会と比較してみると、ある意味で、滑稽でもあるが、現実だ。伊木山を左側から右側まで一周したことがある。家内と2人で、朝、おにぎりを持参で、自宅から歩いていったものだ。一日かかった。疲れたことも体が覚えている。そしてこの付近は古墳も多い所だ。つまり、古い歴史を持っている。「馬頭観音」や「古い時代の道しるべ」「燈明台」木曽川べりに当時の「船着き場」跡もそのまま今も残っている。附近の学校の敷地内にも古墳が保存されている。


櫻、サクラ、さくら(3)

2015-04-02 | 

 花にに嵐、「明日あると 思う心のあださくら  今宵あらしのふかぬともがな」親鸞聖人が9歳で出家するとき、周囲の人たちが子供である親鸞に、サクラも咲いたことだから、この夜更けに出かけなくてもよのではないか。明日出発にしたらどうかと薦めたところ、今夜中に花が嵐に吹かれて散ってしまうかも。と、詠んだ歌といわれている。
 今日は朝からの雨天。満開のサクラにとっては、無残にもおもわれるときもあるけど、「花の命は短くて・・・・・・・」櫻も例外ではい。

 

 


櫻、サクラ、さくら

2015-03-30 | 

                八木山のヤマザクラ


               山頂のミツバツツジと苧ヶ瀬池の鯉(下)

 いい陽気でした。グランドゴルフの後、八木山へ。山麓から、ウグイスが盛んに啼いてくれている。頂では夏山特有の蝶たちが乱舞している。いい気分で山を満喫でした。


櫻 開花

2015-03-26 | 

 午前中は、まだ、風が冷たかったが午後はいい陽気になる。この天気はあと2日続くとの予報だったと思うので、楽しみだ。午前、苧ヶ瀬池畔のサクラは開花しているが、まだ、一部咲きというところ、午後、気温上昇に伴い、明日以降も昨日までのような寒波はないだろう。自宅前の公園土手のサクラもほぼ同じ。散歩で田圃道など、歩いて見ても、どこでも花でいっぱいだ。いよいよ春全開だ。心ウキウキだ。この時期「ヒメオドリコソウ」が田圃道などにビッシリと。名前だけでも楽しくなる。


この寒波、どうなった

2015-03-24 | 

  この寒波。どうなったのか。開きかけたソメイヨシノも蕾みに戻った。昨夕からの風もあって体感温度はさらに応える。今日は散歩に出かける気分にならない。午前、長寿会の仲間とのクロッケーゴルフに一時間半程度、あとは寒いので自宅で「画像の整理」でも、と思ったが結局は炬燵でテレビの前に。こんなときのためにと図書館の巡回図書を借りたのがあるのだが、何かと腰が落ち着かない。「ああ、人間、齢を経るということは結局こういうことなんだ」と自分で嘆いたり、なぐさめたりだ。ここまで書いて、ふと思い直す。やっぱり歩きに行こう。春三月だ。いざ、出発!。
(追加) 一時間程歩いてきた。出来るだけ早く歩いたので、寒さは感じなかった。苧ヶ瀬池の波は風で台風
並(?)といえると思えた。