人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

雨降って一気に春がくる

2018-03-05 | 

 早朝からの雨、かなりの雨量だ。
これで寒かった長い冬とお別れだ。
 朝寝をしていたら、八木山から(その付近かも)キジバトが鳴いているのが聞こえる。今現在でもきこえる。13時。
 毎年、この時期になると啼くのだが、毎年同じ個体ではないだろうから、私がいまの地に転居してからの40年近い間。
 キジバトも世代を重ねてきているということだ。実際はもっともっと長期間の世代継承である。
 自然とは有難いものだ。そして大切なものである。人間の都合のみでなにもかも変えてよいわけはない。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」といわれるが、人間だから、なんの迷惑もかけない植物を初め動物、その他の諸々の命を無造作に殺めてはいけないのである。



 


春 爛漫も近い

2018-03-04 | 



 春爛漫も遠くはない。楽しみにしている。
町内の年度末の総会が、午前に開かれた。(コミュニティーセンター)で。
新役員の引継ぎやら、そのたのお役の方等、についても。適任者が定着している
役の人はそのままで。
 住民の大多数が高齢者だ。
若い人もいるが、勤め人だ。早朝から夜まで電車で出かけて夜帰ってくる人は今回の総会にはあまり出席いていない。家にいる人、つまり勤め人でない人がでてくる。当然だ。





突然の雷雨

2017-04-29 | 

 14時30分頃、突然の雷雨。
久しぶりに、ピカピカ、ゴロゴロと来たと思ったら一気に豪雨。安全のためを思い、一応
電源をきる。
 しばらくして、静かになってくる。
 夕刻、外に出る。側溝には落葉、などがびっしりとつまっている。
早速、掃除をする。


快晴の一日

2017-04-28 | 

 「風薫る5月」という表現が自分の脳裏をかすめた。そんなにも快適な陽気だった。
 自分は高齢でもあり、些細なことで熟睡できない夜もある。
昨夜もそんな夜だった。朝、起きる時も快適?とは言えない日を迎えた。
テレビで今日の天気を確認。夕刻までは快晴。
 午前のひととき、長寿会有志の皆さんといつもの公園でグランドゴルフを楽しむ。
 午後、狭い庭?の草抜きなど、できたスペースに、グリーンアスパラの根を新たに、植えてみた。 
 今からでも芽をだしてくれるか?。 




 
 


終日の雨天

2017-04-26 | 

 朝、9時頃から、降り出した雨は終日になりそうだ。
テレビを覗いたり、新聞にも飽きて、またテレビ。
 北朝鮮の情勢がここのところ、緊迫したり、この先どう発展していくのか、予測もつきかねるのだが、異常であることは確かである。核開発に熱心だ。そして、それを誇示しながら、更に恫喝する政治といっても、よかろう。
 あまり、穏やかな状況ではない。

 テレビデよく見るのは、自然そのものを克明に写した、あるいは紹介している番組だ。あとはニュース。
 「人間も自然の一部であることは間違いない事実」
 鳥や虫、野生動物、魚、河川、山、季節(春、夏、秋、冬)雪や氷原、砂漠も同様だ。
 南米アマゾン奥地の未開民族だって、すべて同じだ。
 
 春なので、自宅の空き地(殆どないが)それなりに、時期の花が咲く。そして、土いじり。何しろ世間ではゴールデンウイークの話題が出ていると思うのだが、自分には関係ない話。何しろ、「年中、サンデー毎日だ」その他には病院通いがあるだけ。(↓はネズミサシ)

 

 


サクラ散る

2017-04-16 | 

 桜が散る。
家の前の公園、右側土手の上が中学のグランド。そこに植えてあるサクラ。綺麗でした。
 今年のサクラ、開花が遅かったが花の寿命は例年に比べて長かった。誰に聞いても思いは同じだったから、やっぱり開花後の日数が長かったんだと思われる。
今は、「落花盛ん」と言われるとき。
 花の色はやや紅色が濃く感じられるようになった。
 少年の頃、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」。
 漫画か何かで見た記憶があるが、遠い昔のことで、いまでは思い出す術もない。

 


さくら満開 花に雨

2017-04-07 | 

 
 
  花に雨、平安の昔から日本ではサクラの花が大好きだ。今の世はサクラ、花見といえば、一般的にはソメイヨシノであるが、ヤマザクラを初め、いろんな種類がある。改良されてきたものであろう。薄い緑の花を咲かせるサクラもあるし、白っぽい花色もる。 
サクラの名所といえば、これまた数えきれないほどあり、古城址を囲むお堀の周囲に「ぼんぼり」を立てた夜桜の風情も有名である。 
 「造幣局の通り抜け」といった花見もある。吉野の千本サクラは「上の千本」「中の千本」「下の千本」などという表現で時期が微妙にずれている状態をいう表現もある。何十年か前、孫を連れて、観光バス会社募集の「花の吉野と女人高野見学?」。というのに出かけたことがあるが、その年に限って、吉野にはソメイヨシノがまだ一本も咲いてなくて、種類の異なる早咲きサクラが一本のみ、開花していたことがる。山の上で、花見弁当だけを食べて帰宅したことがる。その時でさえ、花見客の多さには驚いた。
 私が住む自宅前に小さいけれど公園があって、そこに中学校のグランドの土手から垂れ下がってきているサクラが(少し老木であるが、毎年、よく咲く。昨年の秋に、公園の遊具などを、新しくした折に、長く垂れ下がった枝を、バサリ、ばさり、と切りまくってあるので、今年は咲かないのでは?と思ったが、それでもよく咲いている。
 八木山山頂の「ミツバツツジ」も満開か?。晴れたら見に行かねば、と思っている。この山頂のツツジには自分の特別な思いがある。
 


サクラが咲いた

2017-04-01 | 

サクラの 季節だ。
 今日も隣の犬山市に花見に行ってきた。という人に会った。
「まだちょっとだけ、早いかなという感じだったが、お祭りの山車も出るので、行ってきた」。という人にもあった。

 自分は、狭い庭の片隅をスコップ掘って、何か花でも植えようかと思い、ほじくっていたが、去年、植えた、百合の球根であるとか、土の中で伸びているアスパラガスの根っ子であったりで、結局、土をほじくってみたものの、大切にしていた球根を痛めたり、駄目にしたりと、マイナスのことばかりをやってしまった。植えてある球根の場所に札か目印がないと何もできないことが分かる。(画像はクレマチス、昨年のもの)

  


昨日の八木山

2017-03-30 | 

 
 14時頃から、八木山へ行ってきた。
最近、登っていないので、今年は山頂のミツバツツジの開花はいつ頃になるかな?。
確かめたかったからだ。
 登山道手前のチョロチョロ水の流れているあたりには(清水谷)ショウジョウバカマが土手でさき誇っている。
登山道にはスミレやヤマツツジが咲いている。
そして、ウグイスの鳴き声とメジロのお出迎えだ。人とはそんな時間帯なので、だれにも会わない。
 山頂のミツバツツジの開花はまだかなり先のことだと思う。蕾の先が少しだけ赤くなっている。でも、暖かさがこのままつづけば、
一気に開花だ。目が離せない。


終日の雨

2017-03-26 | 

 夜来の春雨が朝というより、夜中に目覚めた折に音が聞こえた。本格的な春の到来だ。
 サクラの開花間近だし、それと同時期に、八木山、愛宕山などのミツバツツジが一斉に開花する。
家でくすぶってはいられない。私にとっても忙しい時期である。


 


卒業 巣立ちの季節

2017-03-18 | 

 卒業、巣立ちの季節だ。自宅近くに中学校があるが、卒業式は過日終わっている。
 卒業といっても、高校受験や、その他の準備などで、それぞれが連絡を取り合って、会う機会が結構あるのだろう。それでも、自宅の斜め前の公園で、式後のひと時を名残惜しそうに、しばらくは寄って話したり、遊具につかまったりしながら、時間を潰したりしているのも見られる。中には父兄が(今は母親が多いようだ)式に出席するケースも多いらしく、この場合は、一緒に帰宅するようだ。母親の場合は、「和服の人が多くなってるな」と感じている。
 「平和だな」。と思うべきか、子供の卒業式に親がでかけるとは?。もっとも、テレビで小学校の卒業式に袴姿で母親同伴というのもあった。要するに日本はいま、平和なんだと思いつつ、当方の思いは複雑だ。 
 ニュースでみたが、親同伴の卒業式も珍しいことではないらしい。平和といえば平和な状況なんだけれど、自分のような人間から見ると、「これでいいのか?」。などと余計なことを思ったりもする。

 自宅の庭をスコップで掘り返してそのままにしている。もう少し時期が進んだら、何か野菜を植えてみたいとの準備だ。(例えばトマト)昨年、も同じだった。掘り返してみると、ごろ石だらけで、土とどちらが多いか、わからない状態だ。近隣のお宅で野菜などをうまく栽培している人に聞くと、初めに畑の土をドンと購入したうえでないと、駄目ですと言われたことがある。鉢植え野菜の延長ぐらいに構えていないと、駄目だろう。


高齢者のカラオケ大会

2017-03-17 | 

 

  午前に地元コミュニティーセンターで、地域のイキイキハウスに参加した。「カラオケ大会」とのチラシが入っていたので、のど自慢の人が結構多く参加していた。殆どが高齢者とあって、後期高齢者のひとが多かったように思う。高齢者といえど元気で驚く。みな ん、カラオケも上手で驚いた。男女ともにだ。
 また、男女コンビでの歌もなかなか聞かせる状態。
 自分の率直な印象は、「これは自分も頑張って張り切って日々を積極的に迎えなくは」だ。
 歌の雰囲気にぴったりの 画面が流れる。一時代前の映画館で、あるいはカラオケボックスで自分が歌っているような気分にもなる。しかし私自身はとても歌えない。殆どが若い男女の不倫であるとか、それほどでなくても、参加者自身が若かった時代に胸を焦がして通った道でもあろう。
  皆さんのようにはとてもうまくは歌えない。ずっと以前に、自宅でもカラオケセットを購入しているが、いまは2階の物置にいれたまま。
 「楽しいひとときをありがとうございました」。


風が強い

2017-03-16 | 

 風の強い日である。
13時すぎに外出先から帰宅するころ、自宅近くの中学校、グランドから砂煙が斜めに舞い上がるのが、よく見えた。 
 テレビをみていると、いつものように性懲りもなく、どうでもよいようなテーマを延々と流し続けている。日本の今という時代は、高いところから、低いところを目指して落ちて行ってることが、解る。

 


春だがまだ寒い。2

2017-03-15 | 

 桜の蕾を近づいて見ると、少しだけ膨らんでいる。
 でも、今日も寒い。午前、いっとき時雨たり、風が吹いて寒くなって、グランドゴルフに興じていたが寒い、寒いといった状況だったが、間もなく晴れ時々曇り、で午後に。しかし風が強くて寒いことに変わりはない。10時過ぎには帰宅、炬燵で暖をとるいった状況だった。
 15時からは隣接住宅団地の「ふれあい会館」での高齢化社会にむけての話し合い。(今後の課題取り組みなどについての話し合いがあって、聞きに行ってくる)当然であるが、「これは断然いい。名案だ」というようなものはない。すべては、目の前に迫っている、住民の最大の課題であることを、住民自身が自覚するところから始まる。


 

 


春はまだ浅い

2017-03-10 | 

3月10日だ。
 でも、天候の方は、昨日までのところでは結構寒い感じだった。今日も風が出ている。自分の身体が、痩せてしまっているので、若い人であったり、中年の人でも普通の体躯の持ち主であれば、これが当たり前といったところかも。2月下旬ごろから午後になると冷たい風が吹いて、屋外にいると身に染みる思いがした。
 外で何か作業でもしていれば、気も紛れるし、寒さも感じないが、炬燵でテレビの番でもなかろうと、外にでてみると寒いから買い物にでもと、リュックを背に運動靴で、家内と歩いてスーパーマーケットまで食料、菓子、お酒その他の小物を100円ショップを含めてでかける。
 若いころに、実家に帰るために、「国道中央線(今のように)高速道路が(一部を除き)なかった頃は、地図1枚を頼りに知人を介して購入した中古車「スバル360」後にカブトムシの愛称で親しまれた。」
 こんな車で終日走り続けて10時間ほどで、実家にたどり着いたことを思い出す。(松本市内を抜けるのに困った記憶がある)いまでは、そこまでの元気もない。

 さて、その帰りの予定日、国鉄のストライキが実際に行われてしまう。
 国鉄飯山線の津南駅前に姉の嫁ぎ先があったので、ストライキが中止になるまで世話になった。3日間泊めてもらった。固く締まった雪の上を歩いて丘を登ってみたりして過ごす。ストライキが終わるのを待って職場に向かった。(当時は汽笛を鳴らし、煙を吐いて走り出す。貨車もつないでいて途中の通過駅で石炭をスコップで降ろして行く)
 津南駅前はスキー場である。大雪の年、山からの雪崩れに押されて列車が脱線したこともある。駅の3階には、温泉が引かれていて「かけ流し」であり、運よく列車が通れば浴場から、眼下に入ってくる列車を見下ろすことになる。いまも状況は変わらない。
 飯山線は、すぐ脇を国道が走り、「森の宮原駅」だったと思うのだが、道のそばに、細いが白く塗った柱に黒い線が多く入った積雪量を測る棒がたててある。つまり、「ただ今の積雪量は〇m〇〇Cm」の表示だ。
 積雪期に町まで出ようと思えば、今のように長いトンネルができるまでは、冬と春の道は雪崩の心配があるから、通れない。ではどうしたか?。山の尾根を登って越えて下って駅に向かう。尾根ならば雪崩の確率が低い。それだけの装備が必要だ。町の高校に通っていたころ、正月休み明けに学校の寮に帰ろうとするときは、親戚(姉の主人)が夜明け前(星空の下)に出発で駅まで荷物を背負って送ってくれた。駅に着いたら、まず、食事を済ます。そして私自身は街での服装に変える。そして学校の寮に向かうのだった。姉のご主人は私の雪道での蓑、藁靴などを、まとめて背負って自宅に戻った。
 また、異なるルートで、町まで出ようと思うと、夏場であれば、バスと軽便鉄道(当時は残っていた)を利用した。軽便鉄道とは、トロッコの線路の上を列車が走るようなもの。でも、実際は車両内は木製の椅子が両側に一列にあるものだ )。
 現在時刻は14時20分過ぎ。韓国で朴 大統領が罷免されたニュースが流れていた。