いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

カクキュー八丁味噌の郷

2010年11月08日 | 極楽日記(日帰り)

 岡崎市には徳川氏ゆかりの名刹がいくつもあり、戦国時代をより良く知る上で欠かせないのですが、お寺巡りでは息子たちが退屈してしまうので八丁味噌の工場を見学することにしました。

 伝統的な豆味噌の製造工程が人形で提示してあります。これは蒸した大豆を丸めて麹を作っているところ。やけに表情豊かな人形だな、と思ったら実際の職人さんに似せて作ったそうです。

 通常の味噌作りでは純粋培養した麹を買ってきて使うのですが、こちらでは工場内に繁殖している麹が着くのを待つ伝統的な製法を守っています。日本酒の山廃仕込みと一緒ですね。工場の環境を守っていないと均一な製品作りが難しいはずですが、予想に反して細かい温度の調整もしていないようで、逞しい工場付きの麹菌の繁殖力と職人の技が昔ながらの味を支えています。

 今も使われる六尺樽。酒樽と同じく杉材を使っているのは、フーゼル油の防腐作用を利用しているのでしょうか。

 一番古いのは天保年間の製造です。現在で19代目の老舗。

 後の太閤秀吉である日吉丸と蜂須賀小六の出会いを絵画化した包装。日吉丸が寝ていたとされる矢作橋(やはぎばし)はここから目と鼻の先なので、宣伝したい気持ちはわかりますが、実は矢作橋ができたのは江戸時代になってからであり、よく知られたこの話もほぼ創作です。

 絵では小六の人相がいかにも盗賊の親玉みたいに悪く描いてありますが、蜂須賀家はこの地域の水運業を司る有力豪族だったらしく、織田家の遠い親戚でもありました。後には秀吉の参謀として腕を振るったことも考えますと、盗賊をするほど食い詰めていたはずはないし、物流や経済にも詳しかったようです。後には阿波の殿様にまで上っており、子孫が長く藩主として徳島を治めていますので、徳島ではこんな夜盗みたいなイメージはありません。

 テレビドラマですっかり有名になった味噌倉。重しに自然石を使うのは傾かないためだそうです。醗酵の具合などで不等沈下があった時に、自然石なら低い方が崩れて自然にバランスが取れるものだとか。この石を組むのに5年から10年の経験が必要なほど難しいものらしいですが、それでも不均一な醗酵を起こして、いちいち巨大な樽から出して撹拌する手間よりはましだそうです。この石組みを見ていると岡崎城の石垣を連想しますね。天下泰平で仕事のなくなった石積み職人の技術が味噌作りに応用されたのでしょうか。

 最後の試食コーナーで売っている味噌アイスクリームです。際物かと思っていましたが、豆味噌作りを一通り見学した後ではあまり違和感がなくなったのは不思議です。人間は仕組みのわからないものや理不尽なものに嫌悪感を抱くということでしょうね。もっとも、極楽息子(小)の場合はアイスクリームなら細かいことは気にしないでしょうが。
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岡崎城と三河武士のやかた(後)

2010年11月05日 | 極楽日記(日帰り)

 岡崎公園内にはいくつも飲食店があって便利です。名物の八丁味噌を使った煮込みうどんは手軽で体が温まるので寒い時期にはお奨め。うどんもコシがあってなかなかのものです。

 この立派な瓦屋根が「三河武士のやかた家康館」です。三河地方は墓石などの石材に加えて、全国に有名な三州瓦の産地に近いので、築城をはじめとする建築技術は非常に高かったはずです。この大屋根はその伝統の技を今に伝えます。

 「家康に過ぎたるものは二つあり唐のかしらと本多忠勝」と讃えられた名将、本多平八郎忠勝の像。唐のかしらとは中国風の兜。父親の忠高も勇猛な武将で、家康が今川家の人質になっていた頃に今川の先鋒となって織田方に突撃して討ち死にしています。代々徳川家のために命懸けで尽くしてきた股肱の臣なので、その功績で子孫が岡崎の城主になったのでしょう。

 銅像の隣にあった大きな大名時計。実はからくり時計で、30分毎に作動するのですが時間が合わず見られませんでした。
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岡崎城と三河武士のやかた(前)

2010年11月04日 | 極楽日記(日帰り)

 岡崎城に行ってみました。松平家の本拠地として歴史的に重要な城ですが、残念ながら明治維新期に破壊されてしまったため、当時の遺構がわずかに残っているのみで、天守などほとんどの部分は太平洋戦争後に再建されたものです。

 家康は当時の岡崎城で生まれたとされています。遺訓などが展示されています。

 鉄筋コンクリートの城内は博物館になっています。併設されているより規模の大きい博物館「三河武士のやかた家康館」には凝った3Dシアターや巨大な合戦のジオラマなどが展示されており、なかなか見応えがあるのですが撮影禁止のためお示しできません。この体験コーナーだけは撮影自由でした。個人的な意見としては、博物館で撮影を禁止する意味があるのか、と思うんですが。

 子どもにこんなもの持たせるともう離さないですよねえ。

 さすがに兜は重いようです。そう簡単に三河武士になれるわけではありません。

 城郭内は丘陵を利用した庭園になっています。折りよく秋晴れの気持ちいい天気だったので、散歩や食事を楽しむ人で賑わっていました。
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芋掘り(幼稚園篇)

2010年11月02日 | 極楽日記

 極楽息子(小)が幼稚園の芋掘りで収穫してきた芋です。自分で掘った芋はおいしいですからね。どう料理したら一番喜んでくれるでしょう?
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雨の七五三

2010年11月01日 | 極楽日記(豊川)

 極楽息子(小)の七五三。晴れ着に着替えて神社に向かいましたが、残念ながら雨です。それなりにポーズを取っているのでしょうか。このトーマス傘はお気に入りなので、雨そのものはたいして気にしないと思います。

 たいした降水量ではありませんが、砂利道はあちこちに水溜りができてびしょびしょ。油断するとすぐこの衣装のまま水遊びしようとするので気が抜けません。すぐに終わるものじゃなし、幼児に行儀よくしろなんて言っても無駄ですよ。

 特別ゲストに、極楽妻がオーストラリアに留学した際のホストマザーをお迎えしました。極楽兄弟から見ればオーストラリアのばあちゃん、通称グランマ(Grandma)です。
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