岡崎市には徳川氏ゆかりの名刹がいくつもあり、戦国時代をより良く知る上で欠かせないのですが、お寺巡りでは息子たちが退屈してしまうので八丁味噌の工場を見学することにしました。
伝統的な豆味噌の製造工程が人形で提示してあります。これは蒸した大豆を丸めて麹を作っているところ。やけに表情豊かな人形だな、と思ったら実際の職人さんに似せて作ったそうです。
通常の味噌作りでは純粋培養した麹を買ってきて使うのですが、こちらでは工場内に繁殖している麹が着くのを待つ伝統的な製法を守っています。日本酒の山廃仕込みと一緒ですね。工場の環境を守っていないと均一な製品作りが難しいはずですが、予想に反して細かい温度の調整もしていないようで、逞しい工場付きの麹菌の繁殖力と職人の技が昔ながらの味を支えています。
今も使われる六尺樽。酒樽と同じく杉材を使っているのは、フーゼル油の防腐作用を利用しているのでしょうか。
一番古いのは天保年間の製造です。現在で19代目の老舗。
後の太閤秀吉である日吉丸と蜂須賀小六の出会いを絵画化した包装。日吉丸が寝ていたとされる矢作橋(やはぎばし)はここから目と鼻の先なので、宣伝したい気持ちはわかりますが、実は矢作橋ができたのは江戸時代になってからであり、よく知られたこの話もほぼ創作です。
絵では小六の人相がいかにも盗賊の親玉みたいに悪く描いてありますが、蜂須賀家はこの地域の水運業を司る有力豪族だったらしく、織田家の遠い親戚でもありました。後には秀吉の参謀として腕を振るったことも考えますと、盗賊をするほど食い詰めていたはずはないし、物流や経済にも詳しかったようです。後には阿波の殿様にまで上っており、子孫が長く藩主として徳島を治めていますので、徳島ではこんな夜盗みたいなイメージはありません。
テレビドラマですっかり有名になった味噌倉。重しに自然石を使うのは傾かないためだそうです。醗酵の具合などで不等沈下があった時に、自然石なら低い方が崩れて自然にバランスが取れるものだとか。この石を組むのに5年から10年の経験が必要なほど難しいものらしいですが、それでも不均一な醗酵を起こして、いちいち巨大な樽から出して撹拌する手間よりはましだそうです。この石組みを見ていると岡崎城の石垣を連想しますね。天下泰平で仕事のなくなった石積み職人の技術が味噌作りに応用されたのでしょうか。
最後の試食コーナーで売っている味噌アイスクリームです。際物かと思っていましたが、豆味噌作りを一通り見学した後ではあまり違和感がなくなったのは不思議です。人間は仕組みのわからないものや理不尽なものに嫌悪感を抱くということでしょうね。もっとも、極楽息子(小)の場合はアイスクリームなら細かいことは気にしないでしょうが。