いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

生きている兵隊

2017年04月11日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 石川達三全集に入っていなかったので、別に手に入れました。特に反戦の意図を持って書かれたわけではなく、当初の目的は取材に忠実な記録的文学であり、当時大挙して大陸に乗り込んでいた文学者たちの記事と目的は同じでした。それが「蒼氓(そうぼう)」の石川達三の手に掛かると、戦争の狂気を抉り出す例のない小説になるわけです。

 作者が中国に滞在したのは短期であり、それも南京占領の後でした。だから一番凄惨であった南京攻略戦の取材は十分ではなく、関係者への取材や聞いた話、他の資料などで埋めたはずです。敵味方と非戦闘員が入り乱れての陰惨なエピソードはどれも現実感があり、当時はそのような残虐行為も隠すことなく堂々と語られていたのでしょう。炊事兵は連隊長のおかず用の砂糖を舐めてしまった中国人を処刑し、従軍僧は敵味方を包むはずの仏教の教えをそっちのけに、自らシャベルを振るって敵兵を殴り殺す。正規軍同士の戦闘が凄まじいのは当然として、有無を言わさぬ徴用や徴発、虐待などまさに戦場の狂気ですが、その狂気に同化し得なかった作者の目を通して小説になったとき、日本にあってはごく普通の良識ある社会人だった兵士たちが、それぞれの胸中で戦場の現実と良心の折り合いを付けざるを得なかった過程が見えてきます。

 ここでは無教養で感受性の鈍かった「笠原伍長」が自然と兵士になり切れた良い兵であり、生への執着や命の価値に対する疑問を解決できず、矛盾の重さに耐えられなくなり却って日本人相手の凶行に及ぶ「近藤一等兵」が悪い兵ということになります。良い兵も悪い兵も戦争の渦に巻き込まれて殺し、殺され、ひとつの戦闘が終われば少しばかりの休暇の後に、糧食3日分で、あるいはそれも支給されずに、明日をも知れぬ次の戦場に送られます。小説という形式ではありますが、兵士の心情表現はむしろ克明な戦記より鮮明であり、当時の軍部が敵視したのも無理からぬことです。
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