2007年に取り上げてから9年にもなりました。長編の「帰郷」を味わってから、これと言ってストーリーのない「風船」に少し戸惑って、長らく積んであったのを読み終えました。解説にもあるように、バーに勤める女性久美子の自殺以外には大きなイベントのない小説で、登場人物がそれぞれの形で風船のように揺れ動き、確固たる価値観の崩壊した戦後の日本において、自分の人生を掴もうと足掻く姿を描写します。
いかにも新しい時代の波に乗ったニヒリストの実業家都築は、前作「帰郷」にも出てきそうな人物です。他人の弱みに付け込み、同情しまいとしながらも内心は「一途な女性にでも縋り付かれていたら人生も変わっただろう」と今の自分を否定的に捉えます。男を利用することにためらいのない奔放な美貌の歌手ミキ子、画家の夢を諦めカメラのメーカーを興して成功したが、苦学していた時代に住んだ京都の慎ましい生活が忘れられない春樹、それに世間体を何より気にする妻、父親と同じ会社に入って苦労知らずの利己主義者となった圭吉、世間知らずで純真な珠子、圭吉に翻弄される弱い女の久美子など、どこにも次の時代の芽は見えず、強いて言えば春樹が社長を退き京都で画家として再出発することと、「若い人に任せてみたかったのだ」と会社を委ねる(登場しない)会社の人が救いになるのでしょうか。実際に次の世代には、このカメラのような輸出産業が伸びて、日本の社会は方向性を見つけるわけです。
もちろん時代に即した小説であり70年も前のことですが、ここで登場する「風船」も、バブル経済として繰り返したという見方もでき、それゆえに根無し草として葛藤した登場人物相互の係わりは、現代でも通用するものとして読むことができます。この作品における大佛さんの文章は非常に完成度が高く、ストーリーが進まなくても会話や心理描写に浸っているだけで小説を読む喜びを提供してくれます。9年間で自分の小説の読み方も変わったものだと思いますが、これだけ冷徹、論理的でありながら彩りのある文章は、日本語として完成形のひとつでしょう。こんな文章が書ければと羨まずにいられません。