いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

永井荷風集

2017年02月23日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 全集と言いつつ、「あめりか物語」「ふらんす物語」が落ちていて帰国後の作品ばかりなので、ひたすら芸者や女給、私娼、置屋の話が続きます。荷風先生、よくここまでと思うぐらい精力的ですね。昭和7,8年ごろの銀座が一番女給や私娼の活動が活発で乱れていたとありますが、太平洋戦争に突入するまで10年もない時代に、世の中が実は戦争一色でもなかったという貴重な生活史でもあります。「つゆのあとさき」によれば、少なくともカフェは繁盛していたし、今のアイドルみたいな売れっ子の女給が上客を取り合い、そんな風俗を面白おかしく新聞が記事にしています。もちろん小説ですが、現実を踏まえたものでしょう。綿密な取材と言うか、荷風のアクティビティの高さには脱帽します。ただ荷風はアメリカとの戦争にはならないと予想していたようです。

 晩年の「濹東(ぼくとう)綺譚」ではさすがに枯れてきたのか時勢を気にしてか描写が控えめになり、古きよき時代の名残を、あまり繁盛していない下町に探し懐古する情緒が前に出てきます。少なくとも「おかめ笹」あたりに比べると淡白で、読者を選ばない間口の広さを感じます。ただこの全集の編者は「腕くらべ」を荷風作品の代表として読ませたいのでしょうね。芸者同士の腕比べ、芸者と客との腕比べ、客と客との腕比べ、芸者と世間との腕比べ。いろんな腕比べが連想されます。なかなか含蓄のある題名です。芸者置屋での毎日が題材なので、最後まで筋らしい筋が掴めず、「どうやって終わるつもりかな」と心配してるところに、事件が終わってストンと切り落とされたように終幕を迎えます。これは他の作品にも見られる傾向です。脂ぎった「腕くらべ」や「つゆのあとさき」の後に「濹東(ぼくとう)綺譚」を読むと、人並みの家庭を持てず孤独な晩年を送った荷風が、時代の移り変わりと共に過ぎ去った若き日のことをさぞ哀切に思い起こしているだろうと感じられます。話の舞台である隅田川の東側には、今でも当時の趣を残す町並みが残っているらしいので、尋ねてみるのも一興かもしれません。

 今の時代にとても荷風のような生き方はできませんし、当時としても常軌を逸した生き方だとは思いますが、自分で体験できない別世界を味わうという点で小説の魅力は十分。全集企画時は小山内薫と2人で1冊という話だったらしいですが、荷風だけで1冊取れたことはとても良かったです。
コメント
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