いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

農耕民族のミーム

2006年06月15日 | 極楽日記

 極楽息子の希望に応じて、花壇の一角に植えてみたトウモロコシです。本当に「ゆめのコーン」が採れますかどうか。2週間前は上の写真のような小さな芽だったので、成長は良好です。

 ただ、同じ頃植えた小松菜を見ると、害虫は収穫が近くなった頃に現れるので、楽観は禁物です。小松菜の場合、「小さいけどそろそろ食べられるかな」と思った矢先に定番のカブラハバチとコナガの幼虫が大発生して、見る影もないほど穴だらけにされました。写真ではまだ何とかなりそうですが、この次の日には収穫する気がなくなるほど食害を受け、替わりに丸々と太ったコナガの幼虫がたくさん見られました。

 まあ、人間にとって食べ頃は、虫にとっても食べ頃なのでしょう。ネットで保護しておくべきでした。この辺が経験の必要なところです。残念ですが小松菜はすべて抜いて処分することにします。

 極楽親父の気晴らしと息子の「食育」を兼ねて家庭菜園の真似事をやっているわけですが、元々農業は「手を掛ければ掛けるほど成果が出る」ものであって、知識と労働の集約です。本来は日本人の性質によく合っているのですね。これと反対なのが、漁師とか猟師でしょう。日本の中世に田植えをさぼっているような百姓は村八分になったと思いますが、同じ時代のヨーロッパで、ウィリアム・テルのような村一番のハンターなら、獲物さえ仕留めてくれれば後は寝て暮らしても文句を言われないでしょう。こつこつと残業に励む日本のエンジニアと、高給とバカンスを享受する欧米のエグゼクティブの違いは、そもそも文化的な土壌の違いを反映しているのかも知れません。

 昨今の日本では経済界のハンターたちが「勝ち組」としてもてはやされていますが、あんな生き方はどうも合わないな、と思われる方も多いでしょう。それが日本人に刷り込まれたミームなのかも知れません。そう思われたら、ぜひ野菜を作ってみましょう。素人の極楽親父が言うのも何ですが、土いじりをしていると、少しは本来の場所にいるような感じがして落ち着きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする