アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

デス博士の島その他の物語

2006-08-10 21:35:34 | 
『デス博士の島その他の物語』 ジーン・ウルフ   ☆☆☆☆★

 ようやく入手できたジーン・ウルフの短篇集を読了。それにしても、ものすごく技巧的な小説を書く作家さんである。SFということで思考実験的な作品もあり、こういう小説を読んだのは久しぶりだった。文章はもっと晦渋かと思っていたら意外と読みやすかった。

 五篇入っているが、最初の三篇のタイトルは『デス博士の島その他の物語』『アイランド博士の死』『死の島の博士』である。つまりDeath, Island, Doctorの異なる三つの組み合わせがそれぞれタイトルになっている。内容やテーマも微妙にリンクしているが、ストーリーは全然別物だ。おまけに、まえがきの中にもう一つ『島の博士の死』という短篇も入っている。サービス満点である。

 この短い『島の博士の死』を読むだけで、この作家の重要な資質を知ることができる。ブッキッシュな作家だということ、そして曖昧性を重視する作家だということ。この話にはロマンティックな結末がついているが、肝心な部分は仄めかすだけで明瞭に説明されない。この『島の博士の死』は本書の前振りみたいなものだが、かなり良い。これを読むとぐっと期待感が高まる。

 表題作の『デス博士の島その他の物語』は、本書中一番SF色が薄い短篇だと思う。セトラーズ島に住む少年の話で、少年は作中で本を読む。本は『モロー博士の島』そっくりで、デス博士が動物を獣人に改造するという話だ。すると本の中の登場人物が少年の前に現れ、虚構と現実の境界があやふやになる。最後に少年の母親が麻薬中毒になり、虚構の中から現れたデス博士が少年に「また本を読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。…きみだってそうなんだ、タッキー。まだ小さいから理解できないかもしれないが、君だって同じなんだよ」と告げて終わる。これは少年も物語中の存在であることを示唆し、二層になっている虚構のレベルを混乱させるメタフィクションとして読めるが、「きみ」という二人称を使って描かれていることもあり、実際にこの話を読んでいる私達の現実も含めて混乱させているとも考えられる。その他、母親と医者のブラック先生がタラーとデス博士に重ねられていたり、麻薬中毒の真相が曖昧なままにされていたり、少年の妄想であるはずのデス博士を第三者が見たとも取れる微妙な描写があったり、とことん巧緻に仕掛けられている。この作家はとにかく読者を混乱させることが好きらしい。しかし私はラストのデス博士の言葉に、メタフィクションとしての仕掛けだけでなく物語への憧憬のようなものを感じ、それがとても印象的だった。

 『アイランド博士の死』は孤島で実験的治療を受けている少年と娘の残酷かつリリカルな物語。人工的な設定のせいで思考実験色の強い短篇になっている。『死の島の博士』は冷凍睡眠から目覚めた男が不死を得るというSF的な話。喋る本というガジェットや、ディケンズの登場人物だけがなぜか他に本に侵入していくというアイデアがこの作家の書物愛好癖というか、ブッキッシュな側面をうかがわせる。SF的な設定やガジェットはディックを思わせるところもある。

 そして『アメリカの七夜』『眼閃の奇跡』は「信頼できない語り手」が最大限に活かされた、読者を混乱させるのが大好きなウルフの本領が全開になった作品である。

 『アメリカの七夜』は、荒廃したアメリカを旅行するアラビアの王子のグロテスクな恋愛譚だが、ドラッグを染み込ませたものが一つだけまじった七つの卵菓子を毎晩一つずつ食べていくというゲーム的な設定で、読者を疑心暗義のるつぼに叩き込む。しかも小説は日記の体裁になっているが、途中で筆者がある部分を削除したと書いたり、七夜のはずが六夜分しかなかったり、卵菓子が一つなくなったと書いたりするので混乱は果てしなくエスカレートしていく。削除された部分はどこなのか、存在しない一夜分はどの日なのか、そしてどこからがドラッグによる幻覚なのか、はっきり言ってさっぱり分からなかった。だから実はアーディスとの恋愛はすべて幻覚だった、実はアーディスは普通の娘だった、実はアーディスは最初から怪物だった、など色んな解釈が可能になる。多義性と曖昧性が嵐のように吹き荒れる難儀な小説である。

 『眼閃の奇跡』では主役の少年が盲目で、彼が視覚抜きで感じ取った現実(と思われるもの)を描写していくことで読者を居心地悪くさせてくれる。おまけにこの少年は唐突にファンタジーっぽい夢を見るので、ますます混乱してくるのだ。まったく色々やってくれる。

 しかしここまで技巧を凝らして混乱させてくれると、この疑心暗義の宙ぶらりんな感じがある種快感にも思えてくる。それからこの極端な人工性、巧緻さはどことなくポオやチェスタトン、そしてもちろんボルヘスを思わせる。あとがきを読むと、この三人はウルフが影響を受けた作家に名前が挙がっている。しかし、こういう小説は何度も読み返さないと本当の面白さは分からないのかも知れない。とりあえず私は『デス博士の島その他の物語』が一番気にいった。


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