アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

トラフィック

2012-08-07 21:22:03 | 映画
『トラフィック』 スティーヴン・ソダーバーグ監督   ☆☆☆☆☆

 DVDで再見。2000年にアカデミー監督賞その他を獲ったヒット作で、個人的には『エリン・ブロコビッチ』と並ぶソダーバーグ監督の最高傑作だと思っている。題材は麻薬取締りをめぐる諸問題という社会派的なもので、娯楽色を抑え多面的なアプローチを見せる硬派な作品だが、そこにソダーバーグ監督のきびきびした演出、スタイリッシュな映像、抑制しつつもダイナミックにドラマを展開する手法が完璧に溶け込んで、問題提起という域をはるかに超える、詩情を湛えたフィルムとなった。クールで乾いたタッチ、現実の苦さと醜さを描いたこの映画に詩情という言葉は似つかわしくないと言われるかも知れないが、私としてはべたべた甘い浪漫主義的な映画よりも、こういう映画にこそ本物の詩情があると言いたい。それは目立たず、寡黙で、遠慮がちかも知れないけれども、確かにそこにあり、ふとした瞬間に観客の心に囁きかけてくる。

 映画は群像劇の体裁になっており、主に四人の人間を軸にプロットが転がっていく。舞台も合衆国からメキシコと広範囲に渡っている。そして登場人物たちは皆、それぞれの苦悩の中で自分の道を見出してゆく。公僕として麻薬撲滅に尽力しながら、いつの間にか娘がジャンキーになってしまったことを知る合衆国判事、麻薬捜査の過程でパートナーを殺されるアメリカの捜査官、同じくパートナーを喪うメキシコの警察官、そしてある日突然夫が麻薬取引容疑で逮捕されてしまう上流家庭の主婦。この映画の真の主題は麻薬というよりも、これらの人々の人生と葛藤である。

 映画は麻薬を取り締まろうとする側、供給する側、それぞれの事情をまんべんなく描いていく。そしてもはや社会の歯車の一部と化し、産業構造の中に組み込まれてしまっている麻薬産業の矛盾と迷宮性の中に観客を連れ込む。逮捕されたドラッグ・ディーラーは捜査官に言う。「おれを捕まえてもすぐに別の人間がとって代わる。麻薬の供給はこれまでと同じように続いていく。だったらなぜお前はこんな無駄なことをする? おれを捕まえなければお前のパートナーはまだ生きていたし、おれたちはこんなところで顔を突き合わせていずにすんだんだ」

 あるいはまた、こうも言う。「誰もが麻薬カルテルのために働いているんだ。お前はカルテルを潰そうとしておれ達を逮捕する。そうやってカルテルが弱体化すれば、敵対する別の麻薬カルテルが力を伸ばす。お前はそれに協力しているんだ。だから結局お前も、麻薬カルテルのために働いているんだ」

 カフカのように不条理な世界。そこでは何をやっても無駄なように見え、何が正しくて何が間違いないなのかも定かではない。興味深いのは夫が麻薬取引で捕まった主婦のエピソードである。彼女はごく普通の(というかかなり裕福な)主婦だったが、ある日自分の夫がドラッグ・ディーラーであることを知る。彼女はもはや合法的な手段では自分たちの家庭、つまり子供も夫も救えないと悟り、夫の仕事を受け継ぎ、ドラッグの取引に手を染め、殺し屋を雇って裁判の証人を消そうとする。自分の幸福を守るために。

 しかしこの不条理な、巨大な迷宮のような世界で、人々は全力を尽くして自分の使命を全うしようとする。それが何かの役に立つのか時には疑問に感じ、またたびたび無力感に襲われながらも、力を振り絞ることをやめようとしない。この映画が叙事詩にも似た崇高さを湛えるのはそんな時だ。メキシコの警官ハビエルは麻薬カルテルのために働かされる中で相棒を殺される。彼は生命の危険を冒して麻薬カルテルを裏切り、カルテルを告発する。あるいはアメリカの捜査官はパートナーを殺され、証人を殺され、裁判には負ける。容疑者は釈放され、もはや打つ手はない。しかし彼はそれでもまだ諦めず、容疑者の家に盗聴器を仕掛け、捜査を続けようとする。

 それから、麻薬撲滅の使命を与えられた判事。彼は大統領直近の部下となり、ホワイトハウスに入り、自分のものとなった強大な権力を揮って国の改善に貢献しようとする。しかし彼はやがて、自分の娘が麻薬中毒になることすら防げなかった自分を知る。物語の最後に彼は職を辞し、娘の更正施設へやってくる。人々が彼にスピーチを求めると、彼はこう言う。「私たちは今日、耳を傾けるためにここに来ました」

 ここですかさず場面はメキシコの野球場へ。子供が夜も安全に野球ができるようにと建てられた、照明付きの野球場。それはハビエルが麻薬カルテルを当局に密告した報酬だった。ハビエルはひとりで、穏やかに子供たちの野球を眺める。明るい照明の下に、子供たちの歓声とバットの音が響く。汚辱と矛盾に満ちた世界の中で、ただここだけが静謐な場所だというかのように。何も解決しない、解決の希望すらない結末であるにもかかわらず、このラストシーンの美しさは筆舌に尽くしがたい。それはこの映画が何かを訴えるプロパガンダではなく、また観客をいい気持ちにさせるだけのスペクタクルでもなく、人間の営みの困難さと崇高さを見つめようとする誠実さを持っているからだと思う。そうした類の誠実さだけが、映画に本物の詩情を与えることができる。

 メキシコの警官ハビエルを演じたデル・トロが圧巻である。決して折り目正しい警官ではなく、正義の味方でもない、時には卑屈にもなりながら、最後まで自分なりの友情と矜持を貫く男。複雑で厚みのあるキャラクターだ。スペイン語なまりのヘタな英語が妙にセクシーでもある。私はこの映画を観てデル・トロに惚れた。それから、状況のしからしむるところからやむなく麻薬取引、そして殺人にまで手を染める主婦を演じたキャサリン・ゼタ=ジョーンズもなかなか良い。彼女は妊婦の役だが、この時実際に妊娠していたらしい。


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4 コメント

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Unknown (sugar mom)
2012-08-10 07:29:14
「それはこの映画が何かを訴えるプロパガンダではなく、また観客をいい気持ちにさせるだけのスペクタクルでもなく、人間の営みの困難さと崇高さを見つめようとする誠実さを持っているからだと思う。」
このセンテンスの中に、egoさんの価値観が強烈に現れていると思います。
この作品は未見ですが、なんとか探してみてみようと思います。
私もブログをやっています。
http://blog.goo.ne.jp/sugar0008/です。
暇なときにでも、どうぞ・・・
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Unknown (ego_dance)
2012-08-13 01:52:46
この映画は擬似ドキュメンタリー・タッチで、淡々としているところで好みが分かれるようですが、私は大好きです。ぜひご覧になってみて下さい。

ところでブログのURLありがとうございました。神戸の方だったんですね。時々お邪魔します。
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見ました (sugar mom)
2012-08-16 10:15:06
「トラフィック」、見ました。
入り乱れる群像劇について行くのにうろたえましたが、最後のマイケル・ダグラスの選択に胸打たれました。
これがなかったら、不毛な戦いと不条理譚に終わってしまいかねない。

マイケル・ダグラスの父、カーク・ダグラスが不条理の中で死んでいく映画「スパルタカス」が描かれたハリウッドやアメリカの時代の難しさ(赤狩りの時代)とはまた違う意味で、現代のアメリカは混沌と絡み合った複雑な難しさの中にあるわけで、単純な正義対悪という構図が取れないことがよくわかる映画でした。
アメリカ在住のegoさんなら、空気や肌でその映画の言わんとする世界が理解できるのでしょうね。
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Unknown (ego_dance)
2012-08-19 09:42:57
確かに混沌とした世界ですね。アメリカにはまだ(おそらく日本と違って)「正義」への信仰がありますが、どこに正義があるか見極める難しさについて、すごくペシミスティックになっている感じでしょうか。
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