アブソリュート・エゴ・レビュー

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シェーン

2018-11-27 21:51:17 | 映画
『シェーン』 ジョージ・スティーヴンズ監督   ☆☆☆☆

 ご存知、西部劇の名作と言われる『シェーン』をiTunesのレンタルで鑑賞。初見である。タイトルと「シェーン、カムバーック!」というあの有名なセリフは子供の頃から知っていたが、特に西部劇ファンでもないのでこれまで観ていなかった。正直さほど期待してなかったが、思いの他良かった。名作として映画史に名前を残しているのも分かる。ジャンル内に閉じておらず、ちゃんと普遍性がある。広がりとふくよかさを持った映画である。

 ストーリーはめっちゃシンプル。あまたある西部劇の基本形と言っていい。善良な家族があり、迫害する悪党どもがいる。孤独な流れ者がやってきて家族の世話になり、最後に悪党どもをやっつけて去る。西部劇に限らず、たとえば「座頭市」シリーズも全部このパターンだ。勧善懲悪ものの永遠の雛形である。おそらくこの基本形を確立し、明確に提示したのがこの『シェーン』なのだろうと思うが、ひょっとすると違うかも知れない。私は西部劇には詳しくない。が、もしこれが元祖オリジナルでないとしても、このパターンの優れた完成形を示しているのは間違いない。きわめてシンプルなストーリーの中に、彫琢された美しさを見て取ることができる。

 その美しさはシンプルなストーリーを更に抑制し、簡素化し、残されたものを丁寧に磨き上げることで生み出されたものだ。西部劇の目玉であるはずのガンファイト・シーンは、この映画においては最後に一度きりしかない。それまでも色々と諍いはあるが、すべて素手の殴り合いである。そもそも主人公のシェーンが、最後の最後までガンベルトを腰に巻かない。

 しかも、そのガンファイトは一瞬にして終わる。え、これだけ、と言いたくなるぐらいだ。しかしその緊張感は物凄い。このガンファイトを見て私がただちに思い出したのは『椿三十郎』のラスト、かの有名な三船敏郎と仲代達也の決闘シーンだ。あそこまでトリッキーじゃないけれども、じわじわ盛り上がる緊張感と一気に炸裂する切れ味に共通するものがある。

 それに、この手の映画にしては戦いで死ぬ人間の数も少ない。悪党に殺される町の犠牲者は一人だけだし、最後にシェーンが早撃ちでやっつけるのも三人だけ。だから西部劇といっても派手にバンバン撃ち合って人が死ぬような映画では全然ない。物語をちゃんと組み立て、登場人物の心理をきめ細かに描写し、アクションは抑制してここぞというところで効果的に見せる。この、細部にこだわって丁寧に作り込んだ感じが良い。

 シェーンがジョーの一家で働きながら穏やかに過ごすドラマ部分においても、ジョーの妻マリアンとシェーンはひそかに惹かれ合うのだが、その描写は微妙なほのめかしにとどめてある。もちろん、ジョーはとてもイイ奴なのでシェーンとマリアンと出来てしまったら単なる間男野郎になってしまうのだが、夫を愛しながらもシェーンに惹かれるものを感じるマリアンの戸惑い、微妙にそれに気づくが何も言わないジョー、そして自分の気持ちを絶対に表に出さずまなざしだけが哀愁をたたえるシェーン、など細やかな描写が味わい深い。
 
 そしてこの微妙なほのめかしがあるからこそ、最後、ライカー一味と対決に行こうとするジョーを殴り倒してまでシェーンが止める場面に説得力が生まれる。シェーンは最初から身代わりになろうとはしないのだが、必死にジョーを止めるマリアンの姿を見て、自分が行くことを決意する。本当はあのままジョー一家の居候として暮らしていたかったに違いないのだが、もう一度ガンベルトを巻いて、暴力の世界に戻る覚悟を決める。こういう行き届いた心理描写によって、一つ一つの場面に情緒と深みが生まれる。

 殴り合いの場面で異様に家畜が暴れる描写も、動物たちの怯えと暴力の不穏さを表現して効果的だ。悪党のライカーがジョーに向かって主張する「この土地を命がけで開拓したのはおれたちだ」というセリフも、ライカーが単なるステレオタイプな悪役ではなく実は彼なりの信念を持って行動している男であることを印象づける。そういう細かいところが、実によく行き届いている。

 遠くに見える山並みなど、自然描写もとても美しい。丁寧な職人芸の味わいと情緒を感じさせる、古き良きクラシック映画である。



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