崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

冤罪

2009年06月05日 05時34分36秒 | エッセイ
 子供の時、日本の巡査は怖いと脳裏に刻まれた警官のイメージが蘇ってくる。その伝統は韓国警察などの捜査に水拷問や性拷問が非難されて民主化へ発展したのは記憶にも新しい。昨日無期懲役囚の菅家利和さん(62)が17年間ぶりに千葉刑務所から釈放された。一日でも不幸な生活はしたくない。冤罪の辛さは本人にとっては本当に大変なことであり、言葉にもできないほどであろうと心が痛くなる。しかし裁判制度や警察なども社会の正義を守るために作られたものであるので一方的に悪いもの扱いもできない。ただその制度の副作用や悪用などには十分気を使うべきである。
 私は韓国で調査中スパイと誤認されて連行されたり日本では自転車のライトがついてなかったことと、外人登録申告違反などで連行や裁判を受けたりした。しかしよい警察の友人も持っている。陸軍士官学校の時、同僚であった申栄福氏は22年間刑務所にいて釈放されて書いた「監獄からの手紙」はベストせーらになっている。ミャンマーのアウンサンスージ氏も軟禁状態が長い。南アフリカのマンデラ氏と韓国の金大中氏など多くの人権運動家たちは刑務所の経歴(?)をもっている。本人に言いたい。これからは恨みの塊になってはいけない。それは不幸ばかりであるから。社会にはより公正になってほしいと言いたい。最近の検察の態度はほんとうに公正であろうか厳しく検証してほしい。