崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

不当な出来事は忘れられない

2009年06月25日 04時45分33秒 | エッセイ
ある老年の大学者と談話をした。彼は朝鮮生まれ、敗戦直前に日本に引き上げてから敗戦の日本の状況を語る中で一生忘れられないことを2件をあげた。一つは小学生の時に配属軍事教官の先生から不当に殴られたこと、その人の名前も忘れないという。もう一つは戦後自分では貧しく食べ物が足りずお腹がすいていたその時、持主不明の弁当がぶら下がっていたので食べたのが問題になった時、担任の先生が大きく問題にせず解決してくれたことであり、教員の貧しい人へ配慮(?)に感謝しているという。
 彼の話を聞いていて私も数件あったことに気がついた。大学卒後、田舎で高校の先生に初任したばかりの時であった。ある夜シャーマン儀礼を観察しているのにスパイ容疑で警察に捕まり連行された。高校の教員であると身分を明らかにしても警官たちから長時間尋問を受けた。その担当者の裴という苗字と姿はいまだにはっきり覚えている。いま菅家氏が警察や検察によって訊問され、17年間の刑務所生活をした、そのえん罪が話題になっている。
 最近の私のことである。親しいと思っている人に簡単な委任状一枚を彼も参加する会議の議長に渡すように頼んだが断わられた。彼とは同僚ではなく、敵ではないかと思うほどショックを受けた。これも忘れられなさそうである。このような人とは何十年付き合っても友人にはなれないと思った。日本にはこのような事務的にはまじめな、人間味のない人が意外に多い。イエスが嫌う律法学者類である。
 この話は他人ごとではない。私も意識せず、人にこのように傷をつけているのではないか。考えてみると失言など多くあった。それを彼らが許さず覚えているならどうだろうかと想像すると恐ろしい。人を傷つけないように、特に不当なことをしないように気をつけること。謝ること、許すことを考えている。