崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

教会への誘い

2009年06月08日 06時19分20秒 | エッセイ
一昨日の晩、東京都立大学の教授の鄭大均氏は私との二人の談話の中で還暦になって母親の祈りを思い出して子供のためにも祈ることがあると信仰告白のような話をしてくれた。それで私は彼を教会へ行くことを勧めた。
 私は教会が他の集団とは比較にならないほど素晴らしい友愛の集団であることを話した。時にはシャーマンや牧師は知識のレベルや性格上の問題が多いが、それはどうであっても聞き手、信者の真面目さに感動して、私は半生をそんな環境で生活していることも話した。場合によってはつまらない牧師であっても信者たちはそれを問題にせず補い、協力して維持していく。一生、教育の現場にいる者として専攻関係以外に定期的に人の話を聞く必要があるが唯一教会がそんな場である。教育や研究のための集まりでは聞いても反応したり反論するなどが常であるが、教会の礼拝は基本的に一方的に聞くのである。ただ神様の話であると信じて心を開いて聞かなければならないので、多くは我慢する時間にもなる。時には子供の話を聞くようなことがある。
 牧師などは千差万別である。しかし人から習うところではない、自分を修練するところである。反省と希望を作り出す自分が主役である。逆に教会は自分が中心ともいえる。神が中心である信仰を通して自分に活力を持たせるところであり、異様なカルトではないと説教口調で力説してしっまった。