崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

慰めると慰められる

2009年06月29日 05時23分26秒 | エッセイ
 昨年ソウルのホテルで80歳の誕生日を数人で祝ってあげた芳子氏が突然入院して大きい手術を受けた。手術前の不安な時お見舞いに行って、この度は二度目になる。彼女の入院の間に私の誕生日があったがもちろん彼女は来れなかった。彼女の残念という心が伝わってきた。
 昨日の礼拝の時間に彼女の欠席は大きな空席に感じた。声も大きく、教会では讃美歌のオルガン伴奏を担当し、リーダー役を果たせている彼女がいないからである。
 礼拝後、教友6人でお見舞いに行った。彼女は皆の前に歩いて現れた。そして手術の過程と痛みの酷さを堂々と語った。皆、手術の成功を実感できたが、同時に彼女の体の「治る力」に神秘性さえ感じた。執刀者が彼女の腸を切ってつなげておくまでが手術の成功と言える。しかしその腸が繋がるのは彼女の生命力によるものであろう。そしてそれがうまくいったというから感動である。
 医学や医師の技術(仁術)の発展には心から大いに感謝する。しかしそれだけではなく、無限の治る力、生命力に感動を覚える。80歳になっても生き生きとしている彼女の生命力には思わず「神様有難う」と言ってしまうほど神秘性を感じ取ることができた。彼女は顔にその心を表した。同行した山崎氏が心を込めて祈った。
 芳子氏は最後まで私に顔を向けず、横顔だけ見せて去って行った。やつれた女の顔を男の私には見せたくないことを私は彼女の横顔からキャッチして微笑した。
 彼女の回復力に感動と感謝で嬉しくなって我ら慰問客は楽しいコーヒータイムをもった。帰ろうとした時であった。目の前に転んで血を流している女の方がいた。幸いにも病院の入り口の前であり、同行者の2人の看護師(妻と吉岡氏)と坂田氏が救急室に連れていくハプニングがあった。慰めに行ったお見舞いから大いに慰められて帰宅した時は5時近かった。長い時間、貴重な時間であった。*写真は退院した元気な姿