崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

有難うございました

2009年06月18日 08時10分45秒 | エッセイ
 誕生日を記憶して祝ってくれた皆様に感謝します。一番早く韓国世明大学校の日本語教師の中村八重氏からテーブル用の生け花が届いて祝賀パーティのケーキと並びテーブルを飾った。たくさんのくだものをあしらった大きな生クリームケーキは教会の村岡氏をはじめ10人弱の方々からの贈り物で内心恥ずかしい気分だったけどとてもうれしかった。ソウルの親戚、中国から留学生であった許春蘭氏の電話、今東京大学にいる池映任氏の贈り物、小川牧師夫婦からのカード、下関の鍬野氏、宮崎の坂口氏、ソウルの李永松氏、愛知教育大学の上田氏などからの祝賀メッセージなどが届き嬉しかった。有難うございました。
 
 拙宅での宴は昼食と夕食2回になった。夕は愛犬ミミの友達のモコちゃん、彼女のママとパパにおいでいただいた。モコちゃんのパパは医師であり、若い時代の読書遍歴のような対話でフロイト、サルトル、パーキンソン、ヒポクラテス、島崎藤村などをめぐる医師として幅広い教養、知識を面白いレトリックで話をされる。それに応対しながら楽しんだ。彼は若い時には人の前では恥ずかしく、一切物を言わなかったという。なぜそれが変わったかという質問には笑うだけであった。彼は若い時教員になりたかったという。先生になれば質問されたら適当に答えることもできるからだという。たとえばアジという魚をなぜアジというかと聞かれたらアジは北から沖縄に来てアツイといったその発音がなまってアジと命名されたと答えれば良いのではないかと思うなど。教員への皮肉も入っているが教員への戒めの意味も深い。彼の医師として患者の観察と診断の過程の話は面白い。私は社会学でも問題点を探して解決することとも共通すると言った。彼は今でも内向的だといいながらたのしいが意味の深いおはなしをされる。生まれ故郷の沖縄へは錦を飾るまで帰れないので40年以上帰郷してないなどの冗談を交え、下関以外の所にはいかないという所信(?)の持ち主である彼が韓国行きのパスポートを作ると言ったことが何よりうれしかった。