崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

脳死とは

2009年06月20日 05時12分20秒 | エッセイ
 日本では、脳死後の移植が欧米や韓国に比べて少ない。移植を希望する方が多くそれができるような法律が国会で通過した。それについて慎重派も多い。私もその一人である。私が広島大学で指導したことがある中村八重博士によると韓国の方が日本より多く、それが法律、キリスト教の隣人愛などによるものだという。
 そこには重要な問題点がある。まず脳死した身体は命であるかが考察されなければならない。また脳死という部分死をもって完全死と認めても死の尊厳をどうするのか。死体は「物体」であるという認識はどうなのであろうか。臓器移植は物体という認識でなければできるものではない。脳死が完全死でないという認識からは命の分け持ちになる。生体移植として腎臓などは提供、収受することは医療行為として認めているが、脳死が死であれば死の尊厳、それが生きている命と思えば身体の尊厳などにかかわるであろう。「死の尊厳が命の尊厳である」ことを認識しなければならない。