崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

抑留者弘中数実氏取材

2009年06月15日 05時40分17秒 | エッセイ
 鶴の憩いの里八代村の抑留者弘中数実氏を取材するために出かける前に、9時から行われる子供礼拝に出席した。その礼拝は「花の日」ということで、亀松節子氏が薔薇の切り花と絵の花を比較して子どもたちと対話式でお話を進行、それから二十数人の子供に生け花を坂田晶子氏などの指導で、楽しく面白く行われた。すばらしい授業参観に参加したような良い勉強になった。
 三度目の訪問でようやく弘中氏(90歳)にお会いし旧友のように彼の話を聞いた。彼は抑留中カザフスタンのアルマティなどで鉄道工事などをしたという話を聞き、その記録を打ち文章化した鍬野氏により確認、権藤氏が映像で記録も行った。私は10年ほど前にアルマティを訪問したことがあって話が盛り上がった。彼は捕虜とは言っても自由に収容所から出かけてロシア人、モンゴル人、朝鮮人、日本人にも会ったという。そして4年後に帰国して「浦島太郎になった」といい、物価が高いのに驚き、親族の子供たちが大きく成長したのを見て年月の長かったことを実感、米のご飯を食べて日本に帰ったことがほんとうに嬉しかったと語っていた。彼は収容所の話を青春時代の良い経験を語るように明るい表情語った。帰り道に私ども夫婦と二人の同行の方一行は収容所が私たちの想像していたものとかなり違っていたことが話題になった。

「欧州日本人人気」

2009年06月14日 05時24分38秒 | エッセイ
昨日(2009,6,13)「毎日新聞」(山口版)に次の文を寄稿した。

「欧州日本人人気」(元題:ヨーロッパでなぜ日本人が好かれるか)
              崔吉城

 私はヨーロッパのホテルなどで日本人客が最高に人気があるという話をよく聞いた。日本人は「静かに来て静かに去って行く」からだという。一般的に会議などでも日本人は意見をはっきり言わず内向的である。時々その国民性(?)を変えようとする否定的な意見もあるが、むしろ逆に国際的には今の日本人が好かれているという。つまり非国際的な内向的な素質がむしろ国際的に評価されるという。そのアイロニーはなにを意味するのだろうか。一昔前まではハーバード大学のエズラ・ヴォゲル教授著の日本を誉めた著書『ジャパンアズナンバーワン(Japan as No.1)』が日本でベストセラーであった。その主な内容は終身雇用制に関して肯定的に評価したものである。戦後終身雇用制は日本社会のマイナス面として指摘されてきたものがプラス面で評価されたのである。好かれるか嫌われるかは状況によるものであろう。今GMが倒産し、トヨタが目立つとともに日本企業が見直される話が多い。
数年前フランス・パリ日本文化センターで日本学の研究会が行われた。アメリカのスタンフォード大学ハルミ・ベフ教授、ドイツのボン大学日本学研究所のクライナー教授、フランスのキブス教授以外にイギリスやヨーロッパなどから世界的に有名な日本研究者たちが集まった。懐かしく久しぶりに会った人も多かった。ヨーロッパで特にフランスなどでは日本人が一番好かれるということが話題になった。日本の浴衣を着て都内を歩く人もいるらしい。それは古くは浮世絵、最近は漫画などを通して日本人、日本文化が人気あるという。キブス教授のヨーロッパの古典的な彫刻と浮世絵の比較、フランス国立政治学基金のチャンマリブーシュ所長の発表があった。特に最近の日本漫画のフランス浸透に関する発表に私は感動し、厚く讃辞のコメントを述べた。ヨーロッパなどから日本人が好かれるには長い歴史があった。

「欧州日本人人気」

2009年06月14日 05時24分38秒 | エッセイ
昨日(2009,6,13)「毎日新聞」(山口版)に次の文を寄稿した。

「欧州日本人人気」(元題:ヨーロッパでなぜ日本人が好かれるか)
              崔吉城

 私はヨーロッパのホテルなどで日本人客が最高に人気があるという話をよく聞いた。日本人は「静かに来て静かに去って行く」からだという。一般的に会議などでも日本人は意見をはっきり言わず内向的である。時々その国民性(?)を変えようとする否定的な意見もあるが、むしろ逆に国際的には今の日本人が好かれているという。つまり非国際的な内向的な素質がむしろ国際的に評価されるという。そのアイロニーはなにを意味するのだろうか。一昔前まではハーバード大学のエズラ・ヴォゲル教授著の日本を誉めた著書『ジャパンアズナンバーワン(Japan as No.1)』が日本でベストセラーであった。その主な内容は終身雇用制に関して肯定的に評価したものである。戦後終身雇用制は日本社会のマイナス面として指摘されてきたものがプラス面で評価されたのである。好かれるか嫌われるかは状況によるものであろう。今GMが倒産し、トヨタが目立つとともに日本企業が見直される話が多い。
数年前フランス・パリ日本文化センターで日本学の研究会が行われた。アメリカのスタンフォード大学ハルミ・ベフ教授、ドイツのボン大学日本学研究所のクライナー教授、フランスのキブス教授以外にイギリスやヨーロッパなどから世界的に有名な日本研究者たちが集まった。懐かしく久しぶりに会った人も多かった。ヨーロッパで特にフランスなどでは日本人が一番好かれるということが話題になった。日本の浴衣を着て都内を歩く人もいるらしい。それは古くは浮世絵、最近は漫画などを通して日本人、日本文化が人気あるという。キブス教授のヨーロッパの古典的な彫刻と浮世絵の比較、フランス国立政治学基金のチャンマリブーシュ所長の発表があった。特に最近の日本漫画のフランス浸透に関する発表に私は感動し、厚く讃辞のコメントを述べた。ヨーロッパなどから日本人が好かれるには長い歴史があった。

携帯を授業に

2009年06月13日 05時45分24秒 | エッセイ
 文化人類学の講義で性について語り、学生たちと討論した。性は生物学的なもの(セックシュアルティ)と社会的なもの(ジェンダー)がある。フロイトは性欲(リビド)は生命のバイタリティだといったが、大部分の社会ではその快楽性を危険として禁欲してきた。快楽は落とし穴であり、多くの人がそれによって滅びたような話もした。
 学生たちとは携帯を利用して講義の感想を受け取るようにして充実した楽しい議論が続く。これからは携帯電話、ホームページ、ブログなどを積極的に教育に利用したい。数年前から学生たちは携帯が主なコミュニケーションの手段であるのでそれを教育に利用することを他の教員たちに提案したが反応は否定的であり、いま私は独自に実験的にしているが、効果は良い。
 学生たちは日本が性に厳しいと思ったが他の社会に比べると非常に緩やかな社会であること、性に関して語らないし、性教育とはいっても不十分であること、性の危険性とその管理の必要性、生殖、隠密なものなどコメントや質問が送られてきた。携帯を通して議論できることを嬉しく思っている。

盲目のピアニスト

2009年06月12日 05時17分50秒 | エッセイ
 私は10年ほど前に、突然両耳が完全に聞こえなくなったことがある。幸いにも片方が回復し現在片方に補聴器を使っている。自己診断では若い時の長い間の服薬と戦争中で防空壕の中で遊んだ銃声などによるものと思って諦めている。聞こえなくなり、初め失望感に落ちたがベートーベンのことを思って大きく慰められた。
 今度全盲のピアニスト、伸行さん(20)が国際ピアノコンクールで日本人として初優勝した。それを聞いた多くの人に勇気を与えてくれる。特に盲目の方には朗報であろう。このようなニュースを聞いてすぐヘレンケーラーを思い出す。またその人の身近にいる人の存在を想像する。ケーラーの家庭教師のキャサリンを思うように辻井氏の親の育て方に関心が引かれる。広く考えるとその社会環境も考えなければならない。
 人間の能力は無限に発展できるようである。その脳の機能の一部分しか開発発展させないで生きているわれわれの生き方への教訓がある。私はまだ片方の耳がよく聞こえている。今のうち素晴らしい音楽を楽しみにしたい。

戦争に倫理があるのか

2009年06月11日 06時08分00秒 | エッセイ
先日東大でアメリカ人の元プリンス大学教授のマイケル・ウォルツァーという政治学者の戦争における「正義」について議論された。戦争もスポーツのように宣告してから勝利と敗戦で終わるもの、スポーツのゲームや社会劇のようなものと考えることができるという。国民が国家に正義ある暴力を委ねる制度で国家権力が死刑や戦争もする。未だに民族や国家のためにテロをが行われている。私は「平和」と「正義」という戦争に名分を与えてはいけないという発言もした。
 朝鮮戦争やベトナム戦争は統一戦争ともいわれる。その戦争によって7万人以上が犠牲になった。今現在は数人の拉致や一人の幼児殺害が大きく報道されて問題になるのに、戦争で死んだ人は戦死者の名簿にも載らないことも多い。
 日本は日清戦争などでアジアの平和を守るためにという名分で戦争を起こした。国民は政府の「正義」など名分をそのまま信じてはいけない。本当に正義を守る価値観で育った「良き人」による政治が行われ、平和が保たれるように願う。


結核

2009年06月10日 05時49分17秒 | エッセイ
 昨日は自分史のような「朝鮮戦争」について書いたが、私にとって人生を変えるほどのでき事が結核を患ったことである。1959年ソウル大学に入学したばかりで学生デモに参加し、李承晩大統領が辞任宣言したあとの混乱時代に私は大学啓蒙隊に参加して、喀血し、結核末期という死の宣告(?)を受けた。出世と成功の野望の塊のような私が異様な視線を感じながら田舎で休養しなければならなかった。
 死を認め受け止める。生き返ったら社会に役に立つ人間になると祈るしかなかった。周囲と私の人生、社会が矛盾だらけ、論理が通じない社会への失望などが悲劇そのものであった。奇跡的に健康を回復して陸軍士官学校の教官になろうとした時、健康診断が問題であった。当時結核は治ってもX線上、影が残って問題になったが治療を担当してくれた姜博士が確認してくれて合格した。私の人生にはこの影のようなものが多くある。そんなものは誰にでもあるかもしれない。それが今の自分を強くも、弱くもしている。それが自分であると思う。

朝鮮戦争

2009年06月09日 06時11分39秒 | エッセイ
6月25日は1950年朝鮮戦争が勃発した記念日である。38度線付近で生まれた私はその時、十歳の子供であった。苦戦場といわれた生まれ故郷は大きく被害を受けた。朝飯を食べている時、北から南へ鉄砲の弾が飛ぶ空を裂く暴音がした。遠くからは戦車の騒音と人々の歓声が聞こえた。ソウルの親族の家に行っても、また夜中に砲声が闇の空を裂いた。砲声はどんどん激しくなった。板の間の下で綿は砲弾を防ぐという言葉を信じて、蒲団をかぶっていた。。漢江橋は韓国側により爆破され壊れたので渡れない。各自、渡り船をチャーターして渡った。渡った所で一人の中年男性が、渡り船が転覆して妻と子供を川水に流されたといって濡れたまま慟哭していた。3ヶ月後人民軍敗戦兵として北に向かって歩た。韓国軍の復讐行為が続いた。私は氷の上で橇に乗って遊びながら殺す場面を目撃した。その時の私は人を殺すのをみてもそれほど怖く感じていなかった。年末年始のころにいわば「1.4後退」の深夜、大門をたたきながらヨボセヨと韓国語で呼びかけられた。こわくて答えられなかった。意外なことにそのまま静かになった。朝起きて前の山に中共軍が一杯見えた。噂とは全く違う良い軍隊であった。戦争はまた激しくなった。米軍が十数名亡くなった。中共軍戦死者は70人余りであり、処置が問題であった。村人に埋葬するように指示があって父なども村人とともに死体を一つの穴に数名ずつ埋めた。私が体験した朝鮮戦争はこのようなものであった。後にその戦争によって日本が経済復興したということを聞いた時、私は唖然失色した。

教会への誘い

2009年06月08日 06時19分20秒 | エッセイ
一昨日の晩、東京都立大学の教授の鄭大均氏は私との二人の談話の中で還暦になって母親の祈りを思い出して子供のためにも祈ることがあると信仰告白のような話をしてくれた。それで私は彼を教会へ行くことを勧めた。
 私は教会が他の集団とは比較にならないほど素晴らしい友愛の集団であることを話した。時にはシャーマンや牧師は知識のレベルや性格上の問題が多いが、それはどうであっても聞き手、信者の真面目さに感動して、私は半生をそんな環境で生活していることも話した。場合によってはつまらない牧師であっても信者たちはそれを問題にせず補い、協力して維持していく。一生、教育の現場にいる者として専攻関係以外に定期的に人の話を聞く必要があるが唯一教会がそんな場である。教育や研究のための集まりでは聞いても反応したり反論するなどが常であるが、教会の礼拝は基本的に一方的に聞くのである。ただ神様の話であると信じて心を開いて聞かなければならないので、多くは我慢する時間にもなる。時には子供の話を聞くようなことがある。
 牧師などは千差万別である。しかし人から習うところではない、自分を修練するところである。反省と希望を作り出す自分が主役である。逆に教会は自分が中心ともいえる。神が中心である信仰を通して自分に活力を持たせるところであり、異様なカルトではないと説教口調で力説してしっまった。

東大での死生学

2009年06月07日 05時45分15秒 | エッセイ
 中国内モンゴルから来られた学者アイトル氏の発表では13世紀に蒙古軍が日本軍を殺しても、日本人は敵であって加害者であるにもかかわらず、彼らの死霊を祭ったという論文を発表し、韓国からの池氏は韓国済州島の4、3事件の加害者と被害者を一緒に祭るときの困難な状況の事例を出した。誰が誰を祭るかは儒教祭祀においても常に問題であることが基本理論とあわせて討論のテーマとして私が提議した。続いてのセクションでは戦争のルールを知らない日本が戦争はしたが戦後処理が出来ていないことが韓国動乱などともに話題になった。
 2つのセクションの重要なテーマであった戦争とは何でろうかというところまでの司会を終えて私は下の席に戻って最後まで聞いた。午後はウォルツアーの正戦論が論議された。「日本海」という表記が韓国の国家のプライドの問題だなどの発表には我慢できず非難をあびせてしまった。発言が少し多かったことも含めて言い過ぎだったと反省する。
 終わって東大の院生には靖国と関連して朝鮮人研究を勧めた。昼食は第一書房で弁当を食べながら談話を楽しんだ。夜遅くまで旧友の鄭大均氏と話をした。彼には「在日」を越えて普遍的な問題を研究テーマにすることを在日学者へのアドバイスとして勧めた。東洋経済日報の記者である李氏が出席したのでその記事にも関心がいく。参加者は50人くらい。大変疲れてしまった。


6.6顕忠日 

2009年06月06日 05時34分16秒 | エッセイ
 今日は韓国の6.6顕忠日である。朝鮮戦争、ベトナム戦争、反日民族主義者などで犠牲になった方々を追悼する記念日である。それにあわせたように私は今日東大COE開催の死生学に関する研究会で「戦没者を考える」テーマにおいて1,2分科を司会することになっており、今東大前のホテルでこれを書いている。私の広島大学時代の教え子の池氏が発表、私の『恨の人類学』の訳者である真鍋氏がコメントをする。靖国問題と関連して一日深く考える時間になりそうである。その結果は明日の本欄で紹介するつもりである。私にとって6月には誕生日も入っているが、また朝鮮戦争の記念日も入っていて気が重い月である。 

冤罪

2009年06月05日 05時34分36秒 | エッセイ
 子供の時、日本の巡査は怖いと脳裏に刻まれた警官のイメージが蘇ってくる。その伝統は韓国警察などの捜査に水拷問や性拷問が非難されて民主化へ発展したのは記憶にも新しい。昨日無期懲役囚の菅家利和さん(62)が17年間ぶりに千葉刑務所から釈放された。一日でも不幸な生活はしたくない。冤罪の辛さは本人にとっては本当に大変なことであり、言葉にもできないほどであろうと心が痛くなる。しかし裁判制度や警察なども社会の正義を守るために作られたものであるので一方的に悪いもの扱いもできない。ただその制度の副作用や悪用などには十分気を使うべきである。
 私は韓国で調査中スパイと誤認されて連行されたり日本では自転車のライトがついてなかったことと、外人登録申告違反などで連行や裁判を受けたりした。しかしよい警察の友人も持っている。陸軍士官学校の時、同僚であった申栄福氏は22年間刑務所にいて釈放されて書いた「監獄からの手紙」はベストせーらになっている。ミャンマーのアウンサンスージ氏も軟禁状態が長い。南アフリカのマンデラ氏と韓国の金大中氏など多くの人権運動家たちは刑務所の経歴(?)をもっている。本人に言いたい。これからは恨みの塊になってはいけない。それは不幸ばかりであるから。社会にはより公正になってほしいと言いたい。最近の検察の態度はほんとうに公正であろうか厳しく検証してほしい。

日韓食文化の影響

2009年06月04日 05時12分30秒 | エッセイ
 先週の講演(東亜大、焼肉文化)では栄養、味、文化について、特に焼肉文化が大陸の牛肉文化からの影響を広く世界的視野から説明し、日本の食卓に韓国のキムチや焼き肉料理が上がるようになったことに焦点を絞って話たが、質問用紙を読みながら反省するところが多い。朝鮮焼肉が1920年代から在日朝鮮人労働者たちから波及して全国に普及していき現在に至った。それがいわば在日の三大企業(パチンコ、焼肉、サンダル)の一つである。それは韓国の伝統的なサンジョク(散炙)とは違う料理であり、韓国へ逆輸入された。しかし日本で肉を食べはじめたのは朝鮮人からであるという説明が足りなかった。犬肉文化は日本には入らなかった。日本は魚、鶏肉文化を強く形成してきている。そして世界三大穀物(麦、稲、モロコシ)の中の稲のジャポニカを主食とするのは中国南部、朝鮮半島、日本に共通しており、中でも餅文化は朝鮮半島(朝鮮と韓国は国名)の南部と日本、太平洋の南方文化と繋がる。美味しさはよそ者からは感られないものも多い。サンジョクと日本の焼き鳥の場合、串を使うのは世界的に広くみられる。韓国と日本が徹底的に違う点は、1)餅米使用率が日本が高い(南方文化)。2)副食は日本が生魚、韓国が焼肉。3)日本は比較的に開放的(キムチ、焼肉)に受け入れており、韓国は非常に保守的である。多様な味を味わうためには日本の方が望ましいといえる。傾聴してくださった方々へ感謝を申し上げる。
報道資料:毎日新聞でエッセーを連載中の東亜大人間社会学科・崔吉城教授(68)が30日、下関市一の宮学園町の同大学で、「焼き肉は日本文化か?」をテーマに講演した。市民約100人が集まった。同大の市民フォーラム「関門食文化の伝統と創造」の一環。崔教授は「焼き肉文化が実は朝鮮半島から来ていることを知っている人は少ない」と話し「味覚」と「文化」の関係性について言及。日本では、韓国で重宝される「牛の血」が 受け入れられていない一方、内臓などは広く食されていることに「おいしいと感じるかは、その食文化になじんでいるかどうか」と話した。そのほか、韓国では食べない日本の野菜なども紹介。崔教授は「文化は愛情の問題。韓国の食文化が広く受け入れられているのは多くの日本人が韓国を愛しているからだと思っています」と締めくくった。【尾垣和幸】 毎日新聞 〔下関版〕
http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20090531ddlk35040295000c.html
:2009/05/31(日) 14:54:45
 

関門医療センター

2009年06月03日 06時12分55秒 | エッセイ
 最近新しく関門医療センターがオープンした時、家内と一緒に外来や専門の受付など施設を見回ってエッセイ集を図書室に寄贈した。先日風邪で特別診察をした時に撮られた胸部の写真の専門の医師に診てもらうために昨日午前中フルで病院にいた。写真のとり直し、また新しくCT写真を撮られた。施設がよいのはもちろん、医師、看護師などの職員のあいさつと効果的な動きには親切さがあふれていた。昔医師は社会的に尊敬されており、一方的に挨拶を受けるような傲慢な態度であったが、ここの医師にはそのような態度はどこにもない。病院がホテルのようなサービスになっている。
 待つ時間は長い。待っている間知っている人に会った。彼は私が病院にいるのが不思議な表情をした。彼自身は私より年配なので病院に来ているのは当たり前のような表情しているのでそのわけを聞いたら脳梗塞で手術を受けてリハビリ中だという。いろいろな患者さんに混じって私も座ってCT結果の医師の宣告(?)を待っていた。幸いにも何の以上もなく、無事釈放された気持で帰宅した。

鳳仙花

2009年06月02日 05時37分19秒 | エッセイ
 ベランダに鳳仙花の白、ピンク、紫の花が咲いている。とても懐かしい。生まれ故郷の庭で母が楽しんだ花である。姉と私も花を摘んでミョウバンをほんの少し入れてつぶして指の爪につけて赤く染めたことがある。昨日家内と一緒にやってみたが爪は薄いオレンジ色になった。
 私個人としては夏に咲く母のイメージの花であるが、この花は朝鮮民族の花でもある。中央アジアや中国の朝鮮族の村でこの鳳仙花を見つけて嬉しかったことも思い出す。この花が朝鮮民族の悲しみを象徴するようになったのは洪蘭坡作曲の「鳳仙花」という歌によったといえる。塀の下に咲いているあなたの姿、悲しい…という歌詞とメロディである。
 植民地下の朝鮮民族を象徴する歌として流行って、当時禁曲にもなった。最近韓国では作曲家洪蘭坡が親日派として非難され、記念行事が中止にもなった。花に民族性を付与して花に迷惑をかけたことは以前にも指摘したようにばかばかしいことである。未だに文化に民族性を付与して考える人は多い。私は脱民族主義を信念としてもっている。鳳仙花を見て楽しみ、爪を染めることに留めておく。