崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

古本屋探り

2008年09月18日 04時35分14秒 | エッセイ
 調査が終盤になってあせている。古本屋めぐりをしてケースメントに関する本と資料を10冊ほど見つけた。また図書館でも資料をみたので、ある定度把握ができた。重量と値段を考えて3冊ほど買った。持って帰るにRYAN航空の重さの厳しさが心配であり、書籍よりCDやDVDを買ったのだ。
 ホテルでDVDを見ながらアイルランド人たちがいかに伝統文化を大事にしているかを実感した。10日間もダブリンに泊まっていてもまだバスの乗車は必ず聞かないと方向が分からない。1980年代にここを訪問した司馬遼太郎氏は大道路が一つしかないと書いてあるが、今は複雑になっている。特にバスはS字の二重、三重にも回って走るのでバス停を正しく知るのは難しい。イギリスもそうであるが、人は信号を守らず、適当にわたる。バスの搭乗は二列で左側で料金を払うと領収書が出るが、もちろんおつりはでないし、払うのも大まかな感じ、払った金額とは違った領収書が出る。運転も乱暴であり、客も走行中移動したり携帯で話をしてうるさい。
 日本や韓国で私が会う西洋人は主に知識人だったので西洋人をみると知識人という印象があるがゆえに最初彼らの行動を見て「無知な西洋人(?)」と感じた。しかし否、普通に彼らの社会の日常生活を見ると彼等は素晴らしい。バスを降り時に運転手さんにサンキューという人が多い。日本では運転手さんが客に言っているが、運転する人が「主」であるという制度(?)が残っているのではないだろうか。それは先進、後進の問題ではなく、「文化の差」であろうと簡単に解釈してしまった。

「国境が無い」

2008年09月17日 05時01分06秒 | エッセイ
 北アイルランドのベルファストへ向かった。タクシーの運転手さんに雨のことを心配して話をしたら年中雨の国であること、「去る土曜日を記憶しているか」つまりその日だけは一日中晴れたということ、今年は珍しく23度まで気温が上がる日が多かったという。ふつうは15度くらいであるという。いつも曇っているので木も大きく伸びないようである。
 160キロあるベルファストまでのバスの往復の料金は非常に安い。市内定期バス料金と同じであった。快適なバス旅行であった。静かに考えながら観察することができた。車内はいつも郷土民謡などを流している。北アイルランドはイギリスであるので国境を越えていくので旅券を用意したが、それはナンセンスであった。二か所で客を乗せるために寄った国境の地点を地図では確認できたが国境を実際に感ずることは全くなかった。将来の国境はこうなるべきだと強く感じた。ベルファストはイギリスとは言ってもアイルランドの北部の都市にすぎない。注目しているケースメントに関する資料を探してもここダブリンより貧弱で満足できなかった。無蓋車に乗って市内を回ったが寒くて半分は下の車両に座った。
 アイルランド人にとって国家とはアイデンティティとしては重要ではない。彼らはまだ30%くらいはアイルランド語アイリシュをもっているが、消えつつある。しかし民謡などの伝統文化を強く保存しようとしている。テレビなどでも民謡番組などが多い。今は政治的なナショナリズムより文化復古主義を強く持っている。韓国に似ている点が多いことを感ずる。タクシーの運転手さんはイギリスと違うところは民族しかないと言い、韓国人が好きだと言った。私は日本から来たと言ったのになぜそう言ったのだろうか。

アイルランドの国立墓地へ

2008年09月16日 04時26分45秒 | エッセイ
 昨日雨の中,バスを一時間も待っても来なかった。今朝、国立墓地へ行く途中フィングラスFinglasで乗り換えするところの教会の中の様子を見たら葬式が行われている。霊柩車で棺を運搬して花を入れていて、20人ほどの人が見送っているが泣く人は一人もいないようである。私はバスに乗ってアイルランドの国立墓地Glasnevin Cemeteryへ向かった。正門の前で降りて、右側にある事務所でCasementの墓を聞いたら事務員がすぐ走ってきて、正門の真正面の近いところの下を指さしてくれた。国葬までされた人の墓とは思えないほど碑石や記念彫刻もない質素なものであった。私はしばらく彼の人生を想像しながら黙祷し、自分を誤解した人が彼のように50年後でも理解してくれるなら幸せだなと思った。そのうち、そばの教会へ先ほど見た霊柩車が止まっているので留意したら棺を教会の中に入れて扉を絞めてしまったのでそれ以上観察することはできなかった。広い墓を見回った。それぞれに個性のあるお墓である。当然自分の死を身近に感じて、今までの人生を振り返ってみた。

観光一番は教会

2008年09月15日 00時52分26秒 | エッセイ
ヨーロッパを回ってみると観光一番は教会と感ずる。建物の観光が多い。その中では教会は建物自体が高く特異な建築様式になっており、また古く建てたものが多いので尋ねる観光客が多い。ダブリンでは最も古く、1191年に建てられたセントパトリック大聖堂の日曜礼拝に参加できた。ちょうど感謝節の礼拝であり、賛美歌が豪華で美しく、心に残る礼拝であった。午前11時15分から1時間10分かかった礼拝ではよく祈ることができてよかった。しかし信者らしい人は数人しか座っておらず、十数人の聖歌隊がはいった。私のような観光客が50人ほどいたが信者の席に座わった。献金は週報でみてもわずかであった。1000年近い教会に出席信者が十数人しかいない。したがって観光収入から教会を管理維持しているようである。
 アイルランド人はイギリス植民地から独立しようと反抗を起のこして、特に1916年には悲劇的な犠牲者を出した。その中にはアイルランドのダブリンで生まれで、北アイルランドのベルファストで育ってイギリス植民地官僚としてアフリカ、ラテンアメリカで勤務し大きな業績を残したケースメントRoger Casementがいる。しかし彼はアイルランドの独立運動をしたということで大逆罪treasonとしてイギリスロンドンで処刑された。彼は母国のアイルランドではイギリス植民地主義者であったので彼の処罰にはそれほど反応がなかった。しかし50年ほど後、彼は国際的に貢献した人でもあり、アイルランドの独立の基礎になった人であると評価されるようになった。彼の遺骨はダブリンの国立墓地に移葬されている。ここでその墓を探して黙祷をささげるのがもう一つの目的でもある。

お腹も出た

2008年09月14日 04時52分18秒 | エッセイ
今日はまず国立ギャラリーに行ってイギリスとの戦争という歴史的出来事を描いた幅5メトールの絵を見てポーンガイドから説明を聞いた。また国立図書館で愛国詩人であるイエツの特別展示も運良く見ることができた。昨日CDを買ったものからあらかじめ、いくつかの詩を聞いていったことが見るに役に立った。
 またイギリスとの戦争に負けたことがあった城、後にアイルランドの王によって建てました城をみた。ここでもイギリスの植民地歴史がガイドさんによって語られた。また時間ある限り見るべきだと思って独立運動者たちが刑を受けたり処刑されたりした刑務所をみた。
 歩いたりバスに乗ったりで毎日疲れている。明日は教会で礼拝に参加したい。バスは行き先は書いてあっても車内には路線の案内図や文字や音声も、一つもないので人に聞いて降りることしかない。しかし二階バスなので展望がよく、目印を覚えてうまく利用するようにした。食べるのは別に困っていない。ただ量が多いので一回分で二回食べることも多い。彼らは私の2倍以上を食べる。彼らが太った理由が分かったと思いながら自分のお腹も出てきたので気にかかる。

歴史とは

2008年09月13日 02時48分44秒 | エッセイ
 アイルランド空港は荷物は二個以内、10キロ以内と制限が厳しい。本を沢山買ってしまったので持って帰ることが心配になり、郵送するために郵便局へ行った。箱に包装してくれと言ったら包装サービスはないという。かなり大きいスーパーマーケットに行って包装用のものを探してもない。やっと店員に空きボックスを譲ってもらたが、紙テープや紐が売られていない。スーパーなどには同様な商品が多く並べられており、物品の種目が細かくない。品目が非常に少ない。また人のサービスも質がよくない。日本製の品物がいかに誠意と質が高いかと改めて感じた。
 市内観光とはほぼ建物の見物のようなものである。つまり到る所の案内者は建物がいかに古く、いかに優れているかを長々と説明する。大体1600年代からの話が多い。私には説明する当事者には歴史は継承されていないのではないかと思われた。
 一般的に現在を説明するには歴史はそれほど意味がないと痛感した。ギリシャ、ローマ、中国などの古代文明云々というのは今の現在を説明することができない。歴史燦爛な古い建物を維持するために現代的な先端施設を入れにくく、不便さを感じている。歴史が彼らの誇りであり、同時に負の遺産のようにも思われる。

ナショナリズムの本山

2008年09月12日 05時23分53秒 | エッセイ
アイルランドの初夜は風が強く日本の真冬のようで心配だったが昼は温かくなった。しかし気候は10分毎に風、曇り、晴れと変化が激しい。バスの窓から見たら雨が降っているのに公園で二人の淑女が何かを食べている。なぜ雨に濡れながらそのまま座っているかと思ったら、すぐ晴れたので彼女たちはアイルランドの気候を知っているのであろうと思った。
 ダブリンバスツアーで市内を回った。最後にはジェイムスジョイスやイエツなど作家を展示している文学者博物館を訪ねた。イーアーポーンで聞きながら楽しんだ。私が主に高校時代に読んだオスカーワイルドなど業績が展示されて興奮してみた。
 市内の大型書店に入った。なんとアイルランド文学しかないように、圧倒的にアイルランドの文学と歴史に関するものが多い。ビデオショップでもアイルランドの民謡が圧倒的に多い。つまりこの国では自国のものしか関心がないように私は感じた。韓国がアイルランドの隣の国によって支配された悲しい歌を多く愛唱したのはここで十分理解できる。ナショナリズムの本山であるようである。文学作品と民謡が入っているCDを買ってホテルに戻った。

空港のチェックが酷い

2008年09月11日 01時14分44秒 | エッセイ
昨日は午前中イギリスの国立陸軍博物館を観覧した。帝国戦争博物館に比して規模も小さく、あまり人気がなさそうであった。それよりは戦争から英雄が出たような戦争を賛美する感じがした。子供の時に記憶している性暴行したイギリス憲兵の帽子を探したがなかった。戦争自体がわかるようにはなっているがチャーチルのような人物が戦争を通してあらわれたことは有名な詩人が生まれることとは相反するものであろう。シティツーアのオープンカーのビグバスに乗った。曇りの隙間に晴れて日に焼けるかと思ったとたん雨が降った。せっかく鮨弁当を買ったのに味を見る暇もなく、食べて降りてリース行きの列車に乗るためにキグスロス駅に着いたが多くの人が立ってプラットホームの番号を待っている。日本の列車システムがいかに良いかを知った。私は4人用のテーブルで列車の走る方向の後ろ向きになった。数人の長い携帯電話の話のなか、コンピューターと読書する人が多い。車内は無線ケーブルを使っている。居眠りする人はいない。日本からみると混乱しているような感じがするが、人はさえている。日本の電車の中での居眠りの光景を異様に感じる外人は多いようである。
 今日リースからアイルランドへ来た。空港のチェックが酷い。上着を脱がされ、ベルトを外され、また牛の足に釘を打つような恰好で調べられた。腹が立って行くのをやめようかと思ったほどである。しかし考えてみた。チェックは必要なことであるが日常でも自分は良心的に正しいと思っていても他人から見たら全く違うということであり、また自分が他人を見る時も時には刑事のように疑っている時さえあることを合わせ反省した。

旅先でのトラブル

2008年09月10日 07時54分24秒 | エッセイ
 朝起きた時から夫の事が気になり、ホームページを開いたが新しい記事がない。やはり何かが起きたと思い、電話をしてみた。明日のロンドンの北の中北部の都市リースから次の目的地アイルランドのダブリンに行く飛行機のチケットを失くし、出発時間も分からなくなりあわてて探しているが見つからないとのこと。(今ロンドンは夜の12時ころ)探せないので明日の早朝に空港に行くので寝るからとのこと。私の電話でいつも書いているこのページの記事も書いて送信したのに書けてないと知りガッカリして代わりに書いてくれとのこと。そして最後には旅先でのトラブルはあるものだから心配しないでと元気のないことば。うん。そうなんです。夫にはいつも必ず忘れたり、失くしたりは旅先でつきものの如く、よくこのようなことがおこります。それをうまく解決するのも楽しみの一つに入れてもいいかもしれません。今までもうまく解決してきたので今回もきっと大丈夫と信じて出勤します。

ロンドン大学のSOAS訪問

2008年09月09日 01時45分28秒 | 講義
 イギリス植民地研究のセンターともいえるロンドン大学アフリカ・オリエンタル研究所を訪ねてハワード教授と数年ぶりに会った。彼は韓国の音楽を専門とする有名な方であり、数年前会った時はスイス人のドヒーラ先生などと集まって昼食をとったことがある。定年を迎え、ハワードさんも来年の春からはオーストラリアのシドニー大学に転職するという。とにかく嬉しい再会だった。彼から頂いた本には私の本が多く引用されており、シャーマニズム研究をする弟子も紹介してくださった。その後大学の構内の書店や図書舘などをみて、ロンドン中心の中華街を歩き、ピカディリーなどの中心街の1700年代半ばからの本屋をはじめ数か所の書店巡りをした。本屋が繁華街の中心地に多いことはまだイギリスは健全な国のように感じた。本屋の人文社会コーナーでは歴史と伝記類が圧倒的に多く、まだ歴史を重視する国であること、CDやDVDなどが入口に陳列されており、これからの書籍の在り様を予言するようである。つまり映像化する傾向を見せているのである。
 昨日ホテルへ帰る時タクシーに乗って遠回りして料金を不当に払ったことをホテルが駅から歩いてみて非常に近いことでわかり、運転さんに内心怒りを覚えた。

戦争博物館

2008年09月08日 04時16分39秒 | エッセイ
 今日も晴れ時々雨のロンドン、まず午前中戦争博物館Empire War Museumを観覧した。日曜日であり、子ども連れの観客が多かった。その数より一つ一つ丁寧にみている人が多いのは異例であった。ユダヤ人差別やナチスのホロコストがよく展示されている。全体で6階まである展示室が充実しており、真面目にみるには二日間はかかると思った。大人に人気があるものはユダヤ人が差別され、またナチスによって虐殺されるまでの字幕とナレーションのある映像であった。民族と国家が戦争と虐殺を起こしているということでカンボジアのポルポットによる虐殺などがクローズアップされている。民族主義やナショナリズムの怖さを痛感した。メッセージのはっきりした展示である。明日は1933年の日本軍の映像を見せてもらえることになって楽しみにしている。
 午後には大英博物館でオーディオポーンを聞きながら以前に二回も見た時より詳しく写真を撮りながら見た。入場料が無料ということで世界的な奉仕であろう。華麗な、しかし怖い歴史を持っている大英帝国の威勢が感じられる。私は最後には一歩も歩けない状況になって食堂を探しているとハングルでビビンバッブと書いてあるのをみつけて入ってタイマイのご飯とチゲを食べたがタイマイの美味しさがわかるような食事であった。店の主人は韓国ソウル出身だということで韓国語と韓国料理で久しぶりに食事らしい食事をした感じがした。「シジャンイバンチャン」(おなかが空いているのがおかず)。

奴隷の子孫が共生する社会

2008年09月07日 04時42分30秒 | エッセイ
 ここブリストルで一日十回以上雨時々晴れの天気である。タクシーの運転さんに今は雨季なのかと聞いたら年中毎日同様「晴れ時々雨である」という。日本でもよく聞く天気予報ではあるがここにおいて本当に時々であり、日本では「たまに」に該当する感じである。山もなく平地と丘陵の国が世界を支配し、多くの英雄を生み出した歴史を持っている。
 雨中にジョンウェスレイーの教会に行った。彼は監理教の創始者であり、アフリカ奴隷制に反対した平和主義者である。私は韓国で監理教の勧師の職分が与えられた者であり、尊敬するウェスレイーのことに関心があって訪れた。歴史の古い教会は一般観光客にも公開して紹介している。大英帝国としてプライドは高く現代文明には遅れているようなところが多い。昔の奴隷の子孫が共生する社会は素晴らしいが、一方政治家はまだ被植民地市民に政治を施すような態度があるのでないかと思っている。
 植民地博物館に再度入場しようとしたら顔を覚えていてくれて昨日のチケットが有効だといい、親切にしてくれた。特別展示をみて食堂でお茶を飲みゆっくりして、日曜の聖堂を見るために探して行って結婚式も見る幸運に恵まれた。
 ただロンドンのホテルを探すのに迷って一時間ほど歩き、ようやく到着してこれを書いている。エレベーターも少ないロンドンで大変な感じがした。試行錯誤も学習過程の一つと思ってロンドンの電車の中を熱心に観察した。

大英帝国の植民地博物館

2008年09月06日 02時12分39秒 | エッセイ
 シェフィールドから昼過ぎにイギリス南部の都市ブリストルにつき、さっそく大英帝国植民地博物館を観覧した。植民地がよく分かりやすい展示でビデオカメラ撮影が許されており、撮影しながらたっぷり見た。疲れたことも重いカバンも意識せず2時間以上見た。明日もう一回見て帰るつもりである。日本もこのようにわかりやすく植民地を展示すべきであろう。以前、日本の国立歴史民俗博物館に兼任教授をしていた時そのようなことを提案したが、韓国などから批判があるのではないかという憂いがあるという人がいた。大満足して明日はロンドンに行って戦争博物館を見るつもりである。大英博物館などもまた見に行ったり大学を訪問したりしてアイランドの被植民地でゆっくり考えながら歩いてみたい。本を読みながら博物館を見る楽しみが旅の疲れを癒しているようである。

シェフィルド大学で友人に会う

2008年09月05日 04時22分15秒 | エッセイ
 30年ほどの友人のイギリスのシェフィルド大学のグレーソン博士に会ってキリスト教の土着化についての話を聞くことができた。抗議のような話であるのでビデオカメラで撮った。奥さんも来て食堂で昼食を御馳走になったのに、また夕食に招待された。彼のお宅には三回目の訪問である。彼はキリスト教の牧師でもあり、彼と共著を考えた。彼はキリスト教に、私はシャーマニズムについて書いて、総合的には議論をして書くという話までなった。韓国語が公用語のように同席したお客さまも韓国語ができて犬の話が主に話題になった。その家には17歳と6か月の犬と、2匹の猫がいる。短く楽しい時間であった。シェフィルドで今夜一泊をして明日は植民地博物館をみるために南部イギリスのブリストルへ移動する。早く寝るために急いでホテルに帰った。

時差

2008年09月04日 06時30分10秒 | エッセイ
 時差とは標準時間との差であり、ここイギリスは日本時間より8時間遅い。人が時差の話をすると自慢の話のように聞こえることもあるが、今はそれがただ辛い。時差を通して自分の身体がいかにリズム化されているかを大きく感ずる。単純に身体が明暗に反応するならば植物のように明暗と直接的な反応をするであろう。ただ暗くなったら寝るということになるであろう。しかし生活の時間的なリズムは明暗に合わせるのは難しいのは明るい昼と暗い夜によってリズムが形成されただけではない、自分の生活のリズム、つまり単純に明暗によるものではなく、時間の間隔によって形成された文化的リズムがあることに気が付く。人によっては自分の生活パターンがたとえば夜に仕事をして昼に寝る人もいる。ナイトクラブや夜間警備員などは明暗を超えてリズムを作る。それは明暗という自然現象に反して文化的なリズムを作っていることになる。いま時差で辛いのは自分が文化的なリズムを自然的な明暗に合わせ、新しいリズムを作っていくようなものである。夜早く寝る習慣の私はもう一つの文化的な生活リズムを作っているようなものである。