高校入学の時、面接に数名の学生と同席して校長先生の質問を受けたことがある。その中には今で言うと他の学生もいる中では質問項目を控えるべきものもあるが、親の職業が聞かれた。ある一人の同席した学生は顔を赤くして言えないのに校長は再度彼の親の職業を聞いた。彼は恥ずかしそうに「市場の露店で唐辛子を手挽いて粉にして売る」といった。職業差別の激しい当時、このような対話は意外なことであった。それについて校長先生は彼に「将来、親のその仕事を継いだらどうかね」といいながら親の職業を発展させて全国的に、あるいは世界的に有名な唐辛子の業者になることも可能であると説明した。本人はもちろん同席した学生たちは感動した。
私は在日朝鮮人の焼肉店の主人にインタビューをしたことがある。ほとんどの親は子供にはやらせたくないという。日本の政治家の多くは親も政治家だった。麻生総理もそうである。それは伝統的な身分制度の残りのように感ずる。ただ身分制度は生まれつきのもの、独占性がより強いだけである。その中には現代的な継承の長点も含まれている。金正日のように親の職を独占的に継承することとは違う。
私は在日朝鮮人の焼肉店の主人にインタビューをしたことがある。ほとんどの親は子供にはやらせたくないという。日本の政治家の多くは親も政治家だった。麻生総理もそうである。それは伝統的な身分制度の残りのように感ずる。ただ身分制度は生まれつきのもの、独占性がより強いだけである。その中には現代的な継承の長点も含まれている。金正日のように親の職を独占的に継承することとは違う。
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