崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

空港のチェックが酷い

2008年09月11日 01時14分44秒 | エッセイ
昨日は午前中イギリスの国立陸軍博物館を観覧した。帝国戦争博物館に比して規模も小さく、あまり人気がなさそうであった。それよりは戦争から英雄が出たような戦争を賛美する感じがした。子供の時に記憶している性暴行したイギリス憲兵の帽子を探したがなかった。戦争自体がわかるようにはなっているがチャーチルのような人物が戦争を通してあらわれたことは有名な詩人が生まれることとは相反するものであろう。シティツーアのオープンカーのビグバスに乗った。曇りの隙間に晴れて日に焼けるかと思ったとたん雨が降った。せっかく鮨弁当を買ったのに味を見る暇もなく、食べて降りてリース行きの列車に乗るためにキグスロス駅に着いたが多くの人が立ってプラットホームの番号を待っている。日本の列車システムがいかに良いかを知った。私は4人用のテーブルで列車の走る方向の後ろ向きになった。数人の長い携帯電話の話のなか、コンピューターと読書する人が多い。車内は無線ケーブルを使っている。居眠りする人はいない。日本からみると混乱しているような感じがするが、人はさえている。日本の電車の中での居眠りの光景を異様に感じる外人は多いようである。
 今日リースからアイルランドへ来た。空港のチェックが酷い。上着を脱がされ、ベルトを外され、また牛の足に釘を打つような恰好で調べられた。腹が立って行くのをやめようかと思ったほどである。しかし考えてみた。チェックは必要なことであるが日常でも自分は良心的に正しいと思っていても他人から見たら全く違うということであり、また自分が他人を見る時も時には刑事のように疑っている時さえあることを合わせ反省した。