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琉球と沖縄:沖縄の文学(7)

那覇はほとんど東京の新大久保あたりの風景と変わらない(写真)。家賃も都心とそう変わらないようだ。中部のナカグズクあたりになると、月3万から4万でマンションが借りられるらしいが、いかんせん、仕事がない。那覇の町を歩いていて、目立ったのは、「若者に仕事を!」という共産党の立て看板とホームレスだった。国際通りをちょっと外れると、木陰でうずくまって熱心に古新聞に見入る老婆がいたり、国際通りを行き来しながらコンビニのゴミ箱を漁る若いホームレスがいたりする。沖縄は離婚率が高い。経済的な理由から、夫の方が家庭を放棄してしまうことが多いらしい。唯一の産業が観光業・不動産業だが、それも、本土の資本がなだれ込んでいる。こんな豊かな島が近代という枠組みに組み込まれたとたん「辺境」に追いやられてしまうのは、何かがおかしいのだ。




屋根獅子の阿の牙くぐる初雀
戦跡の岩つたひゆく揚羽蝶
風灼けて蒲葵のたかぶる神の島
右左基地の灯の占め甘蔗積む
冬ぬくし赤土に変わる犬の糞


瀬底月城(1921~)(ただし情報は1992年時点)佐敷町生まれ。1969-75年まで「タイムス俳壇」の選者。「俳句は万象に愛を注ぎ愛を受けるにある」と考え、伝統俳句の立場から活躍。句集『若夏』

■琉球王国からの文化に誇りを持ちながらも、たいていの俳人は、基地と戦争という現実から目を逸らさない。それだけ、この問題は沖縄の俳人にとって切実なんだろう。今回の旅では、現代史に関わるスポットはすべてカットした。まだ、自分には、準備が出来ていないと考えたからだ。那覇でたまたま拾ったタクシーの女性ドライバーが、「沖縄の歴史を知るには首里城を、沖縄の心を知るには、ひめゆりの塔と平和祈念館を見て欲しい」と言っていたのが忘れられない。その女性ドライバーは、「日本では」という言葉の使い方をしていた。裏を返せば、自分たちは日本人ではない、琉球人であるというアイデンティティの宣言だろう。
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