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一日一句(1823)







白菜は切るとき水の音すなり






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一日一句(1822)







煮凝や荒るる海より来し男






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一字一書(4):愛(左手による)







愛の字の擦れて太し梅の花



※ この字ほど、人間にとって大切で実行するのが難しい字はないだろう。

白川静の常用字解は、たいへん、面白いことを言っている。

「会意。あい(漢字が出ない)と心を組み合わせた形。後ろを顧みてたたずむ人の形であるあいの胸あたりに、心臓の形である心を加えた形。立ち去ろうとして後ろに心がひかれる人の姿であり、その心情を愛といい、「いつくしむ」の意味となる。国語では「かなし」とよみ、後ろの人に心を残す、心にかかることをいう。」

愛は、立ち去るときにはじめて、現れる心情であり、必ずしも、人間だけがその対象ではないと思う、故郷や、モノ、自然なども入るだろうと思う。愛は、捨てる、立ち去る、そのときになってはじめてはっきりわかる。日本人の行く秋などの季節を惜しむ心情も、愛の典型的なものだろう。

愛の起源は、立ち去るときに心が残ることを言うから、対象や人と心がつながっていることを言うのだろうと思う。手本の中で、このイメージに近いのは、李白の書いた「愛」だった。現代では、そのつながり方は、かすかになっている。意外にも、代表的な手本である王義之や顔真卿には、「愛」の文字はない。愛は、きらびやかものではなく、ひっそりと、個人的で、不器用で、トンチンカン―そんなイメージがある。書きなれている右手ではなく、左手で書くことで、この「個人的」なイメージを出せないか、と考えた。









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一日一句(1824)







葛飾や魚屋の聲も寒の内






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一日一句(1823)







春隣掃除の後の日の光






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一日一句(1822)







ひらがなの夜の落書春隣






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一日一句(1821)







水仙や湿りかすかに日の光






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一日一句(1820)







洗濯物赤の多かり寒の内






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一日一句(1819)







満開の梅の枝切る大愚かな






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一日一句(1818)







幸せに大小はなし日向ぼこ






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