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一日一句(2396)







ハート描き春の大地となりにけり






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一日一句(2395)







きらきらと河の見えたり春の坂






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一日一句(2394)







佐保姫の尻に敷かるる佳き日かな






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ミヘルスとルカーチと民衆






■きのう早く寝たので5時半に起きた。いつもこのパターンだといいのだが、夜早く寝られるときばかりではない。ウェブチェックしてから、朝食前に、ニコを進める。ちょうど、ロベルト・ミヘルスのところを翻訳していて、ミヘルスの経験が、ルカーチにそっくりなことに気がついた。ミヘルスは革命運動や労働運動に失望して、エリート論の先駆者となり、ルカーチは革命に失敗して、プロレタリアートの意識の研究に入る。このふたりを合わせ鏡のように読むと、大変示唆的なものがあると予感した。ミヘルスのエリート論は、自分の経験から来ているが、ルカーチの気がついていた操作論という視点がないので、民衆は無能だという直線的な結論へ向かう。また、民衆が持っている深い叡智をミヘルスは理解していない。たしかに、民衆は、ミヘルスに言うように、政治生活では無能な面もあるが、たとえば、放射能やコロナウィルスへの直感的な危機意識や、民俗学や民話に示される無意識の深さと広がりへの弁証法的なまなざしがミヘルスには欠けている。その後、朝10時から六本木の仕事に入り、終日集中する。夜も六本木の仕事に従事。まだ終わらない。





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一日一句(2393)






置きし箱たちまち春の忘れもの






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一日一句(2392)





春の樹の枝広げたる大地かな






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辻と橋







■午前中、洗濯してから、寿広場へ散歩に。きょうは春麗の天候で気分が良かった。ストレッチを行ってから、春の草花の仏の座を一輪摘む。その後、ロッテリアで珈琲を飲みつつ、宮田登著『妖怪の民俗学』を大変面白く読む。辻と橋という空間に関心がある。特に、「辻神」という信仰に関心があり調べている。ここ桶川にも、辻に御幣を設置する風習があり、設置した稲荷神社に聞くと、御幣は神が降りる場所だと言う。辻に設置するのは、交通安全の祈願だと言う。辻という空間は、橋とならんで、特別な意味のある社会空間のようなのだ。民俗学は、民衆の無意識の領域を学問的に扱っており、欧州由来の学問では見えない部分を照射していると感じている。つまり、民衆の無意識も含んだ社会空間論として民俗学を読み替えることができるだろうと踏んでいる。シモーヌ・ヴェイユも、最晩年の手紙で、民話への強い関心を示していた。それは恐らくは、民衆の潜在意識や無意識領域の重要性に着眼したものと思う。午後、詩人のA氏からK出版のパンフレットを二冊受け取る。これで、詩誌esの実務的な部分がさらに一歩進んだ。帰宅後、Zur Ontologie...の翻訳に入る。寿広場で摘んでロッテリアで頼んだ水の中に差しておいた仏の座を一輪挿しに移す。夕方、買い物に出かけ夕食を作る。真鯛のホイル焼きなど。鹿児島のそらまめが非常に美味だった。蕗の薹や菜の花と並んで、そらまめは、食べると春を実感する。夜も、まだ、Zur Ontologie...の翻訳を行う。きょうは、深夜まで粘る予定。





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一日一句(2391)





春の樹のこの確かさをしかと見る






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一日一句(2390)






春ひとり春の大樹もひとりかな






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40






■ブランチ後、上尾の井戸木方面を歩く。畑に植えられた白梅の老木がほぼ満開だった。歩いているうちに、徐々に、天心の雲の流れが速くなり、春の嵐を予感させた。帰宅後、Zur Ontologie...の翻訳を行う。ドイツ語の原文を読みつつ一度訳出してみて、構文理解や代名詞の取り方、解釈などが正しいかどうかを英語版とフランス語版にあたって確認しながら進めているので時間がかかる。それでも、段々、調子が出てきた。六本木の長くかかった仕事を、きょうは最終的に決着させることができた。フランス人の英語を聴き解くという仕事はいい勉強になった。せっかくなので、聴き解く力を維持するために、たまたま、手元にあった米国の黒人詩人、Yusef Komunyakaaの詩を何篇か聴き解いてみることにした。きょうは、40という数について、不思議な経験をした。40が明けたとき、それは四十雀という40にまつわる鳥の啼き聲ととともに明けた。この40の経験によって、今後の生き方の方向性が確実に定まった。





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