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日本国憲法前文をうたう/引田香織







日本国憲法前文をうたう/引田香織













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クレメール・トリオ・コンサート 2011


■旧暦3月15日、日曜日、、春の土用入り(立夏前18日)

(写真)桜

今日は、いい日だった。午前中、仕事してから、遅めの朝食を食べて、待望のギドン・クレメール、ヴァレリー・アファナシエフ、ギードレ・ディルヴァナウスカイテのトリオのコンサートへ、サントリーホールまで。いいコンサートだった。普段とは明らかに空間の質が違う。静まり返って、音の一つ一つが、ホールに吸い込まれるようだった。プログラムは、次のとおり。パンフレットとは、順番を変えて演奏された。

シュニトケ:ショスタコーヴィチ追悼の前奏曲(ヴァイオリン独奏とテープ)
J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏パルティータ 第2番 BWV.1004より)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.108

(休憩)

ヴィクトリア・ポリェーヴァ:「ガルフ・ストリーム」
バッハ、シューベルト、グノーの主題によるヴァイオリンとチェロのための二重奏曲
ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 op.67

(アンコール)

ペルト:半音階
シューマン/6つのカノン風練習曲Op.56~第3曲(キルヒナー編曲ピアノ三重奏用)

一番強烈な印象に残ったのは、バッハのシャコンヌだった。クレメールはCDでシャコンヌを聞いてきたが、生は初めて。完全に圧倒された。東京で聴くからだろうか。だんだん、この曲が、ここにいない人々に向けて演奏されているような気がしてくる。ほぼ、満席の聴衆は、静まり返って、咳一つない。存在しない人々の存在が際だってきて、なんどか、眼がしらが熱くなる。天井を見上げる。この音楽は、非在にも届いている。そんなことを確信させるような演奏だった。

アーティストの登場の仕方は、何を物語るのだろうか。それは、「自由」のありようではなかろうか。アーティストの本質は自由だからである。クレメールの登場は、微風を思わせる。とても自然で何気ない。まるで、なにもないところに春風が立つように。演奏者と聴衆の区分など、はじめからないかのように。マエストロ、ヴァレリー・アファナシエフの登場の仕方は、颯爽としている。実にかっこいい。そこには、なんらかの意志を感じさせる。何回も、マエストロの登場の仕方は観ているはずだが、今回は、真底、かっこいいと思った。この状況での代役であり、自ら、進んで来日したアーティストの心意気のようなものを感じたのである。面白いのは、ギードレ・ディルヴァナウスカイテで、彼女は、実に静かだった。

シュニトケ:ショスタコーヴィチ追悼の前奏曲は、初めて聴いた曲だが、音楽的な論理の強固さよりも、音楽のはかなさ、あわれさを感じて、この曲が、自然災害に常に見舞われてきた、もののあわれの国で、演奏されることの符合を感じないわけにはいかない。プログラムの冒頭を飾るにふさわしい曲だと思った。クレメールの演奏は、若いころの前衛的な先鋭さから、大衆に近い音楽を演奏する実験を経た成果が明らかに出ている。それは、以前よりも、クレメールが「前衛」にいることを示していると思う。

ヴィクトリア・ポリェーヴァ:「ガルフ・ストリーム」は、楽しい趣向の曲だった。どこか、春の野の安らぎを思わせる。作曲家のヴィクトリア・ポリェーヴァは、1962年ウクライナ生まれ。

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.108。これは、まだうら若いクレメールとアファナシエフのツーショットのジャケットが印象的なCDが出ている。ブラームスのヴァイオリン・ソナタと言えば、この二人のものを聴いてきたぼくにとって、生で聴ける日が来るとは思ってもいなかった。二人は、その後、別々の個性的な道を歩んでいたからである。それぞれのこれまでの成果をぶつけ合うかのような演奏で、一瞬、ベートーヴェンのソナタを聴いているのかと思った。しかし、息はぴったりである。この演奏会最大の山場だったと思う。音の響きと沈黙を大事にしながら自分の身体に忠実なアファナシエフと、大衆的無意識への道を歩んだクレメール。一見、対照的な道に見えながら、孤の中に大衆を観、大衆の中に孤を観た点で、実は、重なり合う道ではなかったか。このデュオは、とてつもなくスケールが大きいのだと思う。スケールの大きすぎるものは、近くではよく見えない。しかし、遠くまでよく届いたはずである。音が大きいという意味ではない。演奏の射程が長いという意味である。根の国に届くほどに...。

ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 op.67は、聴いたことがなかったので、楽しみにしていた。結論から言うと、少し、がっかりした。3人の演奏は非の打ちどころがないが、3人がかりで演奏しても、クレメール一人のシャコンヌに拮抗できたろうかと思ってしまった。楽曲自体に深さと高さが足りないように、ぼくには思われた...。



ヴァレリー・アファナシエフは、日本公演に先立ち、日本に寄せる詩を新たに書き下ろしてくれた。ピアノの演奏よりも先に日本の俳句に親しんだというほど、日本文学に造詣が深く、ここ数年は、一時休止の期間をのぞいて、独創的な詩を、おもに、英語とロシア語で書き続けている。2009年には、日本の論創社から日英両語による詩集『乾いた沈黙』を出版している。マエストロの執筆ペースは非常に早く、以下に紹介する詩も、短期間で書きあげられたものと思われる。もちろん、俳句に見られるように、創作時間の長さと、作品のクオリティは、必ずしも比例しない。



A poem dedicated to Japan

Valery Afanassiev
31/3/2011





A hillock about half a kilometre
From the Pacific Ocean. The survivors
Come and go, searching for the dead.
The dead are the Japanese history,
Mount Fuji and Hokusai.

An old man said, ‘I’d been looking
Everywhere, but I couldn’t find them.’

They’re everywhere, everyone:
Prince Genji, Bach, Shakespeare.



日本に捧ぐ

ヴァレリー・アファナシエフ
2011.3.31




太平洋から500mほどの
小さな丘 
生き残った者は
死者を探してさまよう
死者は日本の歴史 富士 北斎

老人は語った「そこらじゅう探したが
みつからなかったよ」

死者はあまねく存在し
だれもが死者である
光源氏 バッハ シェイクスピア

(訳 尾内達也)



※訳者覚書:3月11日の地震の5日後、マエストロから、心配のメールをいただいた。東北地方を中心に大変大規模な地震が起きたこと、死者の数はまだ正確にわからないこと、原発が問題化していることなどを書き、そのときの心境を複数の俳句に託して送った。3月31日の夜、マエストロから、ふたたび、日本の友人たちと日本への強い思いを告げるメールが届いた。そのメールには、日本に捧げる一篇の美しい詩が添えられていた。ここに訳出した詩がそれである。もともと、タイトルは付けられていなかったが、詩の性格上、付けた方が良いと判断し、マエストロのメールの中の言葉から採った。



帰りの電車で、この演奏会に心動かされ、なかなか、散文的な言葉が出てこなかった。代わりに詩的な断片が浮かんでは消えた。今日の素晴らしいコンサートの記念にその詩的断片を以下に書き留めておきたい。



the night sun


for three excellent artists


tatsuya onai



the concert hall:
all doors opened
all windows opened
under the night sun.

among non-beings
ears to hear
the earth on the strings
the space on the keyboards.

logics beyond logics
under the night sun.









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Pierre-Laurent Aimard Piano Recital 2010

■旧暦11月9日、火曜日、

(写真)Einstein Haus in Bern

昨夜は、ピエール=ロラン・エマールのリサイタルへ行く。プログラムは、以下のとおり。

バルトーク 四つの哀歌 op.9aから第4番

リスト 巡礼の年第3年から「エステ荘の糸杉に寄せて―葬送歌第1」

メシアン 鳥のカタログから「カオグロヒタキ」

リスト 巡礼の年第1年「スイス」から「オーベルマンの谷」



リスト 巡礼の年第3年から「エステ荘の噴水」

ラヴェル 鏡

悲しい鳥たち
洋上の小舟
道化師の朝の歌
鐘の谷



アンコール

クルターク:「ピアノのための遊び」より フェレンツ・ベレーニ70歳へのオマージュ
バートウィッスル:Harrison's Clocks
ブーレーズ:ノタシオン第9、10、11、12番
ベンジャミン:「ピアノ・フィギュアズ」から 第6、8、9、10番
メシアン:8つの前奏曲から 第3番「軽やかな数」
カーター:Matribute
シェーンベルク:6つのピアノ小品 op.19

■よく考え抜かれたプログラムだと思った。リスト晩年の現代音楽に通じる「巡礼の年」を基礎にして、リストの水の音楽的な描写から強い影響を受けたラヴェルと、同じように、鳥の世界を全体的に、音楽で描写しようとしたメシアンの「鳥のカタログ」を配し、一番初めに、バルトーク初期の過渡期の作品を持ってきている。プログラムが、現代音楽の源泉を提示しているのに対し、アンコールは、そこから出てきた現代音楽そのものを提示してくれた。これだけで、優に一つのプログラムであった。アンコールの多さからわかるように、絶賛の嵐で、現代音楽のアンコールを一曲弾くごとに、まさに本領発揮といった感じで、すばらしいので、また、拍手が鳴りやまなくなり、次のアンコールを誘発するといった感じだった。

プログラムでは、一曲目のバルトークが一番面白かった。バルトークは、どの曲を聴いても、バルトークとしか言いようがない何かを持っていて、現代的でありながら、それが、上滑りしないのは、同時に深く民俗的だからだと思う。メシアンは、好きな作曲家だが、「鳥のカタログ」を聴いて考え込んでしまった。いや、エマールのピアノと相まって、実に素晴らしいのだが、その素晴らしさをどう表現していいのか、困るのである。メシアンの意図は、「カオグロヒタキ」の声だけをピアノで再現するのではなく、その周囲の、小鳥たちや、風の音や光の感じ、海の情景など、いわば、「カオグロヒタキ」の世界全体をピアノで再現することにあったと思うが、その意図自体が、きわめて、近代的というか、科学的な感じを受けるのである。つまり、その場に立って、カオグロヒタキの世界を享受することに勝てるのだろうか、という疑問がどうしても湧いてくるのである。自分の外部の世界を音で写し取ろうという意図は、フランス系音楽に特徴的だと思うが、メシアンの「鳥のカタログ」に関して言えば、名称が表現しているように、「カタログ」であって、ドビュッシーやラヴェルのように成功しているとは思えないのである。これに関連して、リストの「エステ荘の噴水」は水の感じを音で表現しているのだが、春の噴水のように甘く平和で、ラヴェルの「水の戯れ」と比べると、対照的で興味深い。

アンコールの現代音楽は、知らない作曲家も多く、楽しめたが、一曲目のクルタークが一番印象に残った。小さな音で、沈黙がにじり寄って来るような音楽。

現代音楽は、主客が分裂して物象化された音楽、理論的な展開からのみ作られた音楽、笑いがない音楽、パフォーマンスを意識しすぎた音楽といったイメージが強く、どうも積極的に聴く気になれないでいるが、エマールのプレイなら、聴いてみたいと思った。ベートーヴェン、バッハと現代音楽を組み合わせたプログラムを、いつか聴いてみたいものである。



Sound and Vision
















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ゲルネ&エマールのシューマン

■旧暦8月23日、日曜日、

(写真)タケミツメモリアルの午後の光

今日は、朝早く起きて、江戸川を散歩する。帰りに、江戸川スロープについて、アンケート調査を受ける。朝食の林檎を食べてから、ゲラのチェック。その後、オペラシティへ出かける。


故郷の山の名つきし林檎かな

夕焼けを捥いできたりし林檎かな

はるばると旅に誘ふ林檎かな


マティアス・ゲルネとピエール=ロラン・エマールの歌曲を聴く。その後、神戸の旧友と池袋で飲む。彼は、大阪で同じプログラムを聴いたが、アンコールはなかったらしい。オペラシティでは、3曲のアンコールがあった。残念ながら、曲目をチェックしていない。ゲルネはまったく初めて聴いた。

伴奏したエマールは、現代音楽のスペシャリストとして、以前から知っていたが、CDの印象は、あまり良くなかった。メシアンでは、きれいだが音が軽く聞こえ、フーガの技法では演奏が速すぎると感じた。しかし、ライブは違った。非常に澄んだ音色であったが軽いわけじゃない。速度も違和感がない。バリトンのゲルネを凌駕する勢い。アファナシエフにも通じる弱音の美がある。エマールは要チェックのピアニストであると思った。

バリトンのゲルネは、伸びのある声と声量の持ち主。ぼくは、歌曲は、もっぱら、CDで聴いてきたので、ライブでの比較対象の記憶ストックがない。ぼくの中で最高の男性歌手は、いまだに、夭折したフリッツ・ヴンダーリッヒなのである。1966年に事故死しているから、当然、ライブは聴いていない。

プログラムは、
ベルク:4つの歌曲 op.2
シューマン:女の愛と生涯 op.42
シューマン:リーダークライスop.39

このプログラムは、もちろん、シューマンの「女の愛と生涯」が注目される。普通は、女性歌手が歌う作品だからだ。この作品は、女性歌手には評判が悪いらしい。詩が男性から見た都合のよい女性像だからだ。しかも、19世紀のドイツ家父長制社会の中での理想像である。これを男性のゲルネが歌うのだから、男性による女性の理想像であることをいやでも意識させる。この選曲には、その意味で、批評性があると思う。女性が、この選曲をどう感じたかは、なかなか、興味深い点である。

シューマンは、シューベルトの歌曲に比べて、洗練度が高いと思うが、その洗練度は、曲中の調性の変化によるのではないだろうか。単語の中の最後のシラブルの発音が長く、その中で、調性が変わるように思えるのだが、楽譜がないので、確認のしようがない。

シューマンが神経を病んだ理由の一つには、経済を妻のクララに依存せざるを得なかったことが、大きかったのだろう。ピアニストの妻のヒモのような生き方は、家父長制社会では、今の何倍もストレスがかかったはずである。シューマンは、社会の中の女性の理想像に同調しようとすればするほど、その向うに鏡のように立っている男性像と現実の自分の間のギャップに苦しんだに違いない。とすれば、ゲルネは、シューマンの苦悩を、シューマンに代わって、男性の声で響かせたとも言えるのではなかろうか。
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アファナシエフのコンサート2009

■旧暦5月29日、日曜日、、夏至、父の日

(写真)unknown flowers in early summer

今日は、体調すぐれす、ゴロゴロしていた。木曜のアファナシエフのコンサートについてつらつら考える。

プログラムは、ドビュッシー:前奏曲、第6曲「雪の上の足跡」、プロコフィエフ:風刺(サルカズム)、第2曲「間のびしたアレグロ」、ショスタコーヴィッチ:24の前奏曲、第14曲変ホ短調、プロコフィエフ:風刺(サルカズム)第1曲「嵐のように」、ドビュッシー:前奏曲、第10曲「沈める寺」*ムソルグスキー:音楽劇「展覧会の絵」

いつもの絹のようなタッチと音が音を聴く沈黙を堪能。ムソルグスキーの音楽劇は、マエストロのオリジナル脚本と演技、ピアノ演奏。マエストロの思いの丈を聴いたような気がした。

劇の中でこんな趣旨のことを言っていた。

・古城は時代とともに作り変える必要がある。作曲家の意図を忠実に再現しようとする演奏家は、古城に住んでいるつもりだが、実はそうではない。ベートーヴェンが弾いた音楽は二度と再現できない。古城は、時代とともに変わっていくし、変えなければならない。だが、同時に、古城は不変である。古城とは音楽の比喩だろう。

朗読会のときも言っていたが、音楽は永遠である、という考え方が根本にはあるように思う。音楽が作曲家の死後も残るという意味で永遠なのではなく、音楽は不変だという意味で永遠だ、と。だが、同時に、音楽は時代とともに変化するとも。

アファナシエフの思想の核にある永遠=不変なるもの=音楽(究極的には一つの和音)=変化するもの、という思想は、よくわからない。これをこう考えることができるかもしれない。永遠には、変化する相と不変の相がある。言い換えると、時間の相と空間の相がある、と。

たとえば、音楽は独立した論理を持っているので、その意味では、演奏家の母親が亡くなった直後に弾いたブラームスも、平静なときに弾いたブラームスも、音楽の論理という点では変化がない。しかし、アファナシエフが弾くブラームスとポリーニが弾くブラームスでは、音楽の論理は同じはずなのに、同じようには聞こえない。そこには、演奏家の解釈が入るからだ。論理は空間と関係しており、解釈は時間と関係しているのかもしれない。ただ、これは、ある意味で、分析的な見方かもしれない。

マエストロは、どんな音楽も結局は、一つのハーモニーに還元されると述べている。音楽の独立した論理が永遠不変というよりも最終的に凝縮された和音が永遠不変なのだろう。

これを別の観点から考えてみる。芭蕉に「不易流行」という思想がある。不易流行は、物事には、不易の相(永遠不変)と流行の相(変化)がある。俳句にも流行の句と不易の句があって相互に対立しているというのが一般的な理解だが、ぼくの師である長谷川櫂によれば、流行即不易であり、不易即流行であるという。

『去来抄』は、その箇所を以下のように伝える。

芭蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有り、是を二つに分て教へ給へる。其元は一つ也。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新らたならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句成故、千歳不易といふ。流行は一時ヽの変にして、昨日の風今日宜しからず、今日の風明日に用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやる事をする也。

人は生まれ、大きくなり、子どもを生んで、やがて死ぬ。時の流れに浮かんでは消えてゆく人というものの姿を人としてとらえれば、この宇宙は変転きわまりない流行の世界である。ところが、変転する宇宙を原子や分子のような塵の次元でとらえなおすと、人の生死は塵の集合と離散にすぎない。…この塵自体は減りもしなければ増えることもない。…人の生死にかぎらず、花も鳥も太陽も月も星たちもみなこの世に現れては、やがて消えてゆくのだが、この現象は一見、変転きわまりない流行でありながら実は何も変わらない不易である。『「奥の細道」を読む』(長谷川櫂著 ちくま新書2007年 pp.188-189)

音楽に即して言えば、時代によって、多様な解釈が生まれ、その可能性に絶えず開かれながらも、音楽は、何一つ変わらない。あらゆる音楽は最終的に一つの和音に還元されるという考え方から言えば、和音(不易)こそが永遠不変であり、解釈は、あるいは作品自体も、和音の時代的な現れ(流行)、と言えるのではないだろうか。したがって、マエストロにしてみれば、古城は時が経てば修理しなければならないが、ムソルグスキーの意図も、自分の解釈も、一つの<流行>という点では同一次元にあるのだろう。根本には、永遠不変の和音が一つ鳴っているのだ。

朗読会のとき、西欧の俳句と日本語の俳句の決定的な違いの一つは、数の感覚の違いだという話をしたが、これにマエストロは反応していた。西欧の俳句は、名詞を用いるとき、たいていの場合、複数にする。日本語の俳句を翻訳するときでも、原句の解釈を複数で行う。これは、ネイティブに言わせると、複数にすることで、空間的な広がりを表現するためだという。あくまで言葉で空間の広がりを表現しょうとするわけだ。ところが、日本語の俳句は、名詞をたいてい、単数、一つでイメージする。視点を一つに集約することで、逆に、言葉の外に広がる沈黙の空間を感じさせるためである。いわば、弁証法的な発想が根本にある。だが、こうして、マエストロの考え方を検討してみると、名詞を一つに還元することは、音楽を一つの和音に還元する感受性と同質のものがあるのかもしれない。永遠不変を志向するという点で同質のものが。
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All Schumann Program

■旧暦10月28日、金曜日、

(写真)

後生大事なものなんてないサ。
悲しまぬことを覚えるこッた。

長田弘『世界は一冊の本』



今日は、仕事をして、雑用して、仕事して、音楽を聴きに行った。ヴァレリー・アファナシエフのオール・シューマン・プログラムである。曲は次の3つ。

1. 子供の情景 作品15 
2. 3つの幻想的小曲 作品111
3. 交響的練習曲 作品13

最初にピアノが鳴ったとき、あれと思った。響きがかなりきつく聞えたからである。調律の関係なのか、ピアノの関係なのか、アファナシエフの響きが変わったのか、普段CDで聴くことの多いぼくの気のせいなのか。とにかく、そんな気がした。それも、徐々に気にならなくなり、曲に引き込まれていった。

一番の大曲は、最後の交響的練習曲だが、ぼくが一番印象に残ったのは、最初にプレイした「子供の情景」だった。女性ピアニストがよく取り上げるこの曲を、アファナシエフは、「母性」とか「慈愛」とかいった言葉では括れない弾き方をしていた。ぼくには、曲を沈黙に帰すためにプレイしているように聴こえた。曲が曲を聴き、シューマンの背中にアファナシエフの背中が重なり、男の子二人が戯れる。母親の目から見た「子供の情景」ではなく、自らが子供に帰り、沈黙に帰るとき。人生の黎明であり終局であるだろう一瞬。そんな光景が見えた気がした。

アファナシエフは、シューマンの「子供の情景」について、こんなことを述べている。「ワーズワースは子供の時代を愛し、慈しみ、子供の時代に対してたくさんの詩を書いたが、詩人のブロツキは、自分がいかに未熟であったかと子供時代を振り返りたがらなかった。シューマンは後者。彼は『子供の情景』の最後に、ここまであった音楽は全くナンセンスだと声を上げているのです」

2曲目の「3つの幻想的小曲 作品111」は、シューマンが41歳のときに作曲した作品で、幻聴などの精神的な苦しみの中で作曲された。第1曲目のハ短調は、どこまでも暗く、音楽で透明な膜を作られてしまって、その中に入っていけないような感じを受けた。この幻想的小曲は、たぶん、ぼくは初めてだと思うが、何回も聴きたい作品じゃない。アファナシエフはこう述べている。「イマジネーションを全開にして作曲した狂気の世界。ロマン派の作品ではない」

3曲目、交響的練習曲 作品13は、シューマンが24歳のときに作曲。このコンサートに備えて、ぼくは、家にあるポリーニがプレイした同じ曲を繰り返し聴いてみた。アファナシエフと聴き比べてみるためである。CDと生との違いを考慮しても、アファナシエフのプレイは、劇的だった。起伏と表情に富み、陰影と光に輝く。そして、例によって、遅く遅く始まる。高音の粒だった美しさと、絹のような感触。そして、突然の沈黙。

アファナシエフは、自分の演奏スタイルについて、こんなことを述べている。「人は過去にも、将来にも生きている。人は過去を振り返り、将来に向けて、計画や希望を抱くものだからだ。しかし、人間は恐ろしく孤独になるときがある。モンテーニュは、自分が独りのときには、自分の中にいる大衆に向って語りかけるという。一人の作曲家の音楽を演奏することも同じことだ。作曲家の記した音楽を通して、私自身の中の大衆に語りかける。それで十分だと思う」

シューマンはアファナシエフにとって、どんな存在なのだろうか。「ベートーヴェンと向き合ううちに、お互いに誤解があることがわかってくる。誤解を克服することに喜びがあり、誤解そのものを面白がったりもできる。しかし、シューマンには、そんな誤解はまったくない」

ぼくは、ひたすら、「笑いこそ、正気の基だ」と思うのであった。
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ブラームスの「四つの厳粛な歌」

金曜日、。旧暦、8月8日。

このところ、疲れていて調子が今ひとつ。朝はモカ錠をブラック珈琲で飲み、夕方は疲れてきたので、「かむかむレモン」を2つ食す。「かむかむレモン」はかなり効くので愛用している。疲労感がすーっと消える。

ぼくの数少ない趣味の一つが筆記具である。伊勢丹に散歩に行ったついでに、文具売り場を覗くと、パーカーの新作ボールペンが2000円であった。何も考えずに購う。家内に言わせると、ボールペンほど、いわゆる「高級」品がバカバカしいものはないと。100円や200円のボールペンの方がインクボテもなく書き易いってことはままある。確かに、この意見は正しい。しかし、それでも、買うのである。なぜか。もちろん、ブランド志向などは、まったくない。それは、物に愛を注ぎたいがためなのである。使い捨てが前提のボールペンには、愛は湧かない。大量生産が前提の2000円ボールペンでも、愛用していけば、己の一部になる日が来る。そんな関係を物たちと結びたいのである。



ここ数日、ブラームスの最後の歌曲「四つの厳粛な歌」をよく聴いている。この曲は、1896年にクララ・シューマンが倒れ、その死の予感の中で書かれている。そのためか、最初の3つの歌は、ひどく暗く重い。最後の曲で愛を歌い上げて救われた気分のうちに終るのだが、ぼくは、その暗くて重い歌に衝撃を受けた。第2曲と第3曲の詩を以下に書き写してみる。



わたしはまた

わたしはまた、日の下に行われる
すべてのしいたげを見た。
見よ、しいたげられる者の涙を、
彼らを慰める者はない。
しいたげる者の手には権力がある。
しかし彼らを慰める者はいない。
それで、わたしたちはなお生きている生存者よりも
すでに死んだ死者を、さいわいな者と思った。
しかし、両者よりもさいわいなのは、
まだ生まれていない者で、日の下に行われる悪しきわざを見ない者である。

出典:旧約聖書「伝道の書」第4章第1節~第3節
翻訳:西野茂雄



おお、死よ

おお死よ、おお死よ、お前はどんなにかにがいことだろう、
来る日も来る日も安らかで、心満ち足り、なんの心配もなく
生きている人、思うことすべてがかなえられ、
腹一杯に食べることのできる人が
お前のことを考える時は!
おお死よ、おお死よ、お前はどんなににがいことだろう。
おお死よ、お前はどんなに快いことだろう。
力よわく、年老いた、貧しい人、
ありとあらゆる愁いにとざされ、
事情の好転をのぞむべくもなく、
期待すべくもない人にとって、
おお死よ、おお死よ、お前はどんなに快いことだろう。

出典:旧約外典「イエス・シラク書」第41章
翻訳:西野茂雄

■この歌を作曲してから一年後、ブラームスは世を去る。
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