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ドイツ語の俳人たち:Alexis Margret Dossler(6)

■旧暦11月3日、日曜日、

(写真)帰り花

ウォーキングを始めてから心身の調子がいい(心身の、というところがいいではないですか!)。散歩と組み合わせて江戸川をウォーキングしているのだが、実質40分程度。溜まったポイントで電子脈拍計なるものを購う。これで計測してみると、ウォーキング35分間で、開始前61、終了後87であった。実は、年齢の標準値というのをまだ調べていない。なので、この数字が何を意味するのか、わからない。ま、面白いので、データを取ってみようかと考えている。




Unebenheiten
eröffnen alle Wege
zur Vollkommenheit.


完璧さに通じる
どの道も
平坦ではない


■当たり前と言えば当たり前。写真は、木目。何かの箴言のように聞こえる。面白いと思ったのは、alle Wege/zur Vollkommenheit(完璧に通じるすべての道)という思想。完全性を求める強い意志を感じる。ことの良し悪しは別にして、典型的な西欧の世界観のように思える。



Sound and Vision

Led Zeppelin - Stairway To Heaven
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Richard Wrightの俳句(73)

■旧暦11月2日、土曜日、

(写真)山茶花

ライトの俳句、817句すべてに目を通してみた。正直言って、それほどいい句はなかった。ライトは俳句よりも散文の方がいいのかもしれない。以下は164番から817番までの俳句の中から採った3句である。これで、一応、ライトの俳句の検討は終了し、次回からはジャック・ケルアックの俳句を検討してみたい。




No star and no moon:
A dog is barking whitely
In the winter nihgt.


星も月もない
犬が一匹息白く吠えている
冬の夜


Autumn moonlight is
Deepening the emptiness
Of a country road.


月光が
人気のない田舎道の
しづけさを際立たせる


This autumn evening
is full of an empty sky
And one empty road.


秋夕べ
何もない空と誰もいない道
それだけ




Sound and Vision

The Animals - House of the Rising Sun (1964)




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飴山實を読む(90)

旧暦11月1日、金曜日、

(写真)三毛

6時に起きたが雨だった。午後から晴れるらしい。朝のウォーキングは、とりあえず中止。夕方気が向いたら出かける。

このところ、岡潔の『春宵十話』を読んでいたのだが、なかなか、印象的な話が多かった。


近ごろは集団として考え、また行動するようしつけているらしいが、これこそ頭をだめにしてしまう近道だと思う。人の基本的なアビリティである他人の感情がわかるということ、物を判断するということ、これは個人のもっているアビリティであって、決して集団に与えられたアビリティではない
  『同書』p.105


謙虚でなければ自分より水準の高いものは決してわからない。せいぜいが同じ水準か、たぶんそれより下のものしかわからない。
  『同書』p.103


帰る直前に雲仙岳へ自動車で案内してもらったが、途中トンネルを抜けてそれまで見えなかった海がパッと直下に見えたとたん、ぶつかっていた難問が解けてしまった。自然の感銘と発見とはよく結びつくものらしい。
  『同書』pp.38-39




かなゝのどこかで地獄草紙かな
   『花浴び』

地獄草紙。この句を読むと、あの世の地獄ではなく、この世の地獄の様相がありありと浮かんでくる。さりげなく詠まれているが、簡単に詠める句ではない。歴史の根源に触れる名句だと思う。社会や歴史を詠むときの一つの方向性を示しているように思われる。



Sound and Vision

Glenn Gould.Prokofiev.Piano Sonata No.7,Op.83.Precipitato.


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芭蕉の俳句(208)

■旧暦10月30日、木曜日、

(写真)冬菊

5時に起きて、1時間、江戸川をウォーキングしてきた。だいたいポイントは分かったが、呼吸法とウォーキングをどう組みわせるか、課題が残った。途中、小雨になる。

どうにか、先日、詩誌『コールサック』にツェランの翻訳詩原稿を送った。詩の原稿も2篇、近く送らなければならないが、皆目、見当がつかない。一種のスランプ状態である。今迄のように、自分の俳句を部品のように使って詩を組み立てる方法が厭になってきた。どういうふうに詩は俳句から学べるのか、手探り状態である。ひとつ、突破口になるかもしれないと思っているのは、狂言の検討である。




里古りて柿の木持たぬ家もなし
   (蕉翁句集)

■元禄7年作。「里古りて」という措辞がとくに効いていて惹かれた。「柿の木持たぬ家もなし」という措辞も地方に行けば今もそのとおりで納得できる説得力がある。「古里」というのは、時間の集積が随所に見られる土地なのだなと改めて思った。



Sound and Vision

Glenn Gould.Prokofiev.Piano Sonata No.7,Op.83.Andante


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翻訳詩の試み:Paul Celanを読む(2)

■10月29日、水曜日、

(写真)ひと休み

昨日、ざっと、ウォーキング入門という本を読む。さっそく、買い物は、ウォーキングであった。かなり気分の良いものである。帰りは、買い物袋がダンベル代わりになったが。午前中が効果的らしいので、今日も、仕事が一段落したら、江戸川の土手に赴く。膝の靭帯が弱いぼくとしては、この運動は、なかなか重宝である。奥も深そうだ。




EIN AUGE, OFFEN
Paul Celan

Stunden, maifarben, kühl,
Das nicht mehr zu Nennende, heiß,
hörbar im Mund.

Niemandes Augapfeltiefe:
das Lid
steht nicht im Wege, die Wimper
zählt nicht, was eintritt.

Die Träne, halb,
die schärfere Linse, beweglich,
holt dir die Bilder.



                   パウル・ツェラン

片目は開いたまま



時間は五月の色に冷たく染められて
もはや名づけようのないものが熱く
口の中で聞こえる

ふたたび だれでもない者の声

目の奥が痛む
瞼は
防がない 睫毛は
入ってくるものを拒まない

涙は半分
鋭い水晶体がよく動き
おまえに画像を焼きつける


■はじめ、原文を読んだときには、秘教の呪文のようで、謎めいていたが、既訳を参考に何度か読み直し考え直した結果、ぼくなりの解釈を打ち出すことにした。過去と未来の戦争が二重写しになって瞳に焼きつくかのよう。



Sound and Vision

Glenn Gould.Prokofiev.Piano Sonata No.7,Op.83. Allegro.
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ドイツ語の俳人たち:Alexis Margret Dossler(5)

■旧暦10月28日、火曜日、

(写真)冬の蝶

ブログのドイツ語版には、たまに、コメントがあるのだが、アレクシスさんの俳句を紹介したところ、「ええ、これ俳句と見なすの?」みたいな反応が、ドイツ人自身からあって、面白かった。ドイツ人から見ても、俳句には思えないらしい。だが、アレクシスさんの俳句は、日本語の近現代詩が西欧詩の翻訳模倣から始まったことを考えるとき、なかなか面白い問題を含んでいる。翻訳したものを日本語の詩と見なしても、そう不自然じゃないように思う。しかし、アレクシスさんの俳句の背景には、唯一神を前提にした哲学的ダイナミズムの伝統がある。言葉の表面だけ真似をして、妙に風土から浮き上がった一部の日本語の詩とは、質的に異なるだろう。

話は変わるが、日本国憲法第15条というのをご存じだろうか。


第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。


とくに第2項に注目すると、2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。これには、英語の原文がある。第15条の英語原文は以下のとおりである。


CHAPTER Ⅲ. RIGHTS AND DUTIES OF THE PEOPLE

Article 15.

1. The people have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them.

2. All public officials are servants of the whole community and not of any group thereof.

3. Universal adult suffrage is guaranteed with regard to the election of public officials.

4. In all elections, secrecy of the ballot shall not be violated. A voter shall not be answerable, publicly or privately, for the choice he has made.


赤字で示したように、第2項の原文は、公務員および政治家は、社会全体の奉仕者であり、社会の特定グループの奉仕者ではないと明確に謳っている。servantsという言葉の語源はONLINE ETYMOLOGY DICTIONARYに詳しい。ここからわかるように、もともとservantは「仕えること、給仕すること」という意味だった。17、18世紀の北米では、「奴隷」を指した。Public servantという言葉が出てくるのは1676年からである。共通して言えるのは、「主人」がいるということであり、憲法の文脈ではこのservantsの主人は「日本国民」である。

現実をみると、麻生をはじめとした政治家も、霞が関の役人も、あるいは、地方公共団体の役人も、国民の主人という逆転現象が起きている(疎外現象と言ってもいい)。また、そこまで行かなくとも、国民に「してやっている」という上から目線が多いのではないだろうか。「国民に仕える」という憲法第15条第2項の趣旨を理解し実践しているservantsはどれくらいいるのだろうか。

また、この第2項は、重要な論点を含んでいる。それはservants of the whole community and not of any group thereofという表現に係る。これは、一部の集団あるいは階層に仕えてはならない、ということを意味している。現実はどうだろうか。金次第、票次第で、あるいは格差政策によって、一部の集団・階層に有利になっているのではないだろうか。逆に、この条項を逆手にとって、弱者に酷薄な政策を行っていないだろうか。この問題は、選挙区住民の利害や圧力団体、後援団体の利害、資本主義システムや国際関係なども絡み、一筋縄ではいないが、憲法に謳ってある以上、もっとservants of the whole communityの意味を考えるべきじゃないだろうか。




Die Nacht war schlaflos
und trotzdem tagt es wieder.
Wann war das Gestern?


夜は眠らなかった
だがまた夜が明ける

昨日とはいつのことだったのだろう


■非常に面白い俳句で驚いた。これは一篇の詩に近い。不思議な感覚で惹かれた。三行目のWann war das Gestern?の前には「間」が感じられたので、一行空けてみた。論理的でいながら飛躍も感じられて、俳句の「間」にも近いような気がした。写真も。



Sound and Vision

Carole King - It's Too Late



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Richard Wrightの俳句(72)

■旧暦10月26日、日曜日、

(写真)冬の光

数年ぶりに風邪をひいて、今日は、俳句を作る以外、何もせず。湯ざめが原因か。




As the music stops,
Flooding strongly to the ear,
The sound of spring rain.


音楽が止むと
耳に激しく水走る音
春の雨


(放哉)
秋の雨朝より障子しめきりつ


■ライトの句、たとえば、凡兆の灰汁桶の雫やみけりきりぎりすと比べてみると面白い。ライトの句の音楽は、なかりの大音量だった様子がわかる。それが止むと水があふれてくる音が強く耳についたのであるから。一方、凡兆の蟋蟀の音は、気がつけば聞こえてきた、というかなり微妙な味わいである。蟋蟀の音が聞えたことで、逆に、灰汁桶の雫が止んだことを悟っている。ライトの句の音は音楽と春雨という人間と自然の対比。凡兆の音はどちらも作為がない音。双方が自然の音のようである。一方、放哉の句は、障子の内側に秋雨の音が聞こえてくる。これも派手な音ではないだろう。障子の内側の放哉と秋雨が溶け合っているかのようである。



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山鹿市立山鹿中学校 「生きる」(2007年改訂版)
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芭蕉の俳句(207)

■旧暦10月24日、金曜日、

(写真)黄葉

ドイツ語版と英語版の更新が溜まってしまった。ぼちぼち行くしかないが…。日本語版と同時に書かないと溜まってしまって億劫になる。今日は、午前中、仕事して、午後は、叔母を病院に連れて行く。帰宅して時間があれば、サイバーの翻訳を行う。夜は兼業。




風色やしどろに植ゑし庭の秋
  (三冊子)

■元禄7年作。この句は、風色やしどろに植ゑし庭の萩の形も伝わっている。「しどろに」という「乱れて」を意味する措辞と「庭の萩」の焦点が定まって座りがいいことを考えると、「庭の萩」の方がいいような気がする。一方、「庭の秋」とすると、庭の植物全体が視野に入り、それぞれ秋の気配を漂わせている風景になって、これは、これで、魅力がある。上5は「風色や」と「風吹くや」で迷ったらしい。何回も吟じて「風色や」に決定している。推敲の方法のひとつとして参考になる。「風吹くや」だと風の表だけ見えるが、「風色や」にすると、裏返った風も見えるような気がする。



Sound and Vision

Glenn Gould: Brahms - Intermezzo op 117/1
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飴山實を読む(89)

■旧暦10月21日、火曜日、

(写真)石蕗の花

5時半に目が覚めたので、早朝から、アファナシエフの翻訳を行う。今日は、晴れているので、シーツを洗って干せるのが嬉しい。叔母に子どもがいないので、遺言書を書いてもらっていたのだが、数日がかりでやっと作成できた。公証人役場に作成してもらうと、相続額にもよるが、数万かかる。書類一つで数万である。経費の内容を問うたところ、法律で定められているという。いったい、この法律は、どういう合理的な根拠に基づくのだろうか。しかも、提出書類は、各方面から集め、作成しなければならず、膨大な数にのぼる。高齢者に自筆で公文書を書かせるのは、負担が大きく、忍びなかったが、あとのことを考えると、致し方がない。司法や行政というのは、物象化や疎外の一形態という気がしてならない。




かんゝと竹たふしをる薄暑かな
  『花浴び』

■竹を倒す音が竹林の奥から響き渡ってくるようだ。竹を切ったところから初夏の風が生まれて、こちらに吹きわたってくるような清々しさがある。「薄暑」という季語の働きで、竹の涼風をかすかに求める心が表現されているように感じた。



Sound and Vision

Glenn Gould Brahms Intermezzo No.2 Op.118



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芭蕉の俳句(206)

■旧暦10月19日、日曜日、

(写真)地蔵

午前中、仕事、午後、昼寝。亥の子餅を食す夢を見た。まだ食したことないので、夢にまで出てきた。

昨晩は、I先生の哲学塾。マリノフスキーとレヴィ・ストロースについて、2時間のレクチャー。その後、ルカーチのマルクス論について1時間のレクチャー。その後、飲み屋で、さまざま議論。いろいろ感じることがあった。哲学の誕生は、神の誕生と同時だと思うが、神を創造した瞬間に世界は二元論化された。二元論のエンジンが、自然科学を生み、資本主義を生み、やがてグローバリゼーションを生んだ。二元論とは光と影の二元論でもある。まだ見えない本質がある、という二元論は、認識論と存在論の分化でもあるが、同時に、真理に歴史性を与えるものでもある。

唐突だが、芸術の鑑賞について、岡潔が道元の話を紹介している。「道元禅師は『はじめ身心を挙して色を看取し、身心を挙して音を聴取せよ』といっているが、それがすんだらこんどは『身心を挙して色を聴取し、身心を挙して音を看取せよ』といっている。芸術の鑑賞はやはりこれが本当なのではなかろうか」(岡潔『春宵十話』p.171 2006年 光文社文庫) ここには、二元論の影がない。

西欧世界は人間の生き死にを握っているので、なかなか、非西欧が生んだ果実は何のか考えてみる余裕を与えない。西欧という運動体から目を離さず、非西欧が生んだ花々をじっくりと検討・体得してみることの重要性をますます思う。あまりに精妙・玄妙で「西欧化された脳」には捉えられないのかもしれないのだ。




稲妻や闇の方行く五位の声
  (続猿蓑)

■元禄7年作。壮絶な感興を起こさせる句で惹かれた。闇に光る稲妻と五位鷺の鋭い声。まさに色を聴き、音を看るかのごとく。




Sound and Vision

Fauré plays Fauré Pavane, op 50




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