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■旧暦11月22日、月曜日、

(写真)The Door into Winter

昨日と今日と、大掃除。普段、たいして、やっていないので、埃や塵が出るわ出るわ。ここ数日、12月に出たKinksのRay Daviesのソロ2作目、「Working Man's Café」を聴いている。YOU TUBEでもLIVE映像が観られる。音だけで聴くよりも、どんな表情で歌っているか、どんな体の動かし方、リズムの刻み方をしているか、どんな雰囲気なのか、こういったことをトータルで感じた方が、歌のコアが伝わってくるように思う。



Ray Davies

Working Man's Café
In a Moment
One More Time

レイ・デイビスも老いたが、円熟したキンクスサウンドそのもので、なかなかいい味を出している。



COAL SACK59号が出た。今号は、書評が充実していて、200ページもある。また、『原爆詩集181人集』の英語版もクリスマスに出た。オノ・ヨーコやマイケル・ムーア、カーター元米大統領、アイルランドのノーベル賞詩人、シェイマス・ヒーニーなどの詩人・芸術家・政治家・ジャーナリストたちに送るだけでなく、核保有国の図書館にも寄贈するらしい。

以下は、COAL SACK59号に発表した拙詩。俳句の多彩な側面に学びながら、いろいろな実験をしている最中だが、英語やドイツ語などの他言語も積極的に取り込んていきたいと考えている。今回の作品には、放哉の自由律俳句を英訳したものを部分的に使用している。「つばら」は、浅茅原つばらつばらにもの思へば故りにし郷し思ほゆるかも(大伴旅人 万葉集巻三)から。「つばらつばら」で「心ゆくままにあれこれと」「しみじみ」。


つばら


おーい
つばら つばら 秋の昼
この世の影となりぬれば
ものみな一つ 秋の蠅

You are
An annoying fly,
Though dying soon.

Dying soon…

おーい つばら つばら
ものみな一つ 大銀杏

この世の色となりぬれば
黄葉は神楽いかんせん
無為にして無為極まつて
一葉落つ

I am nobody.
Nobody
I am…

つばらつばらに
もの思へば
石も子を産む秋の暮れ
さて
これよりは
海の細道
行かんかな







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芭蕉の俳句(162)

■旧暦11月19日、金曜日、

今日は、大変だった。締め切りが午後3時なので、朝から、仕事をしていて、一段落ついたので、風邪で寝ていた娘と昼飯を食べた。午後から、雨だと聞いていたので、洗濯物を取り込まなくちゃな、と思って、たまたま、ベランダに出た。やけに煙が出ているな、焚火でもしているのか。そう思って下を見ると、なんと、ゴミ置き場から出火しているではないか! 大急ぎで管理人に知らせ、消防に通報。どうも、放火らしい。延焼していれば、この暮れに焼き出されるところだった。資源ごみの衣類から出火。現場にはライターが2個落ちていた。裏門は、ゴミ収集車のために開けてあった。幸い、初期段階だったので、管理人による消火で、火は消し止めることができた。ぼくが、洗濯物を取り込もうとしなければ、確実に、延焼していたものと思う。

(写真)わたらせ渓谷鉄道の終点「足尾駅」。深閑としてだれもいない。ポストがいい味である。ここから、山を越えるとすぐに中禅寺湖、日光である。バスも出ている。駅周辺を歩き回るうちに、ジャージ姿でぶらぶらしているおじいさんと知り合った。地元のおじいさんで、毎日、風景写真を撮っているという。禿山の緑化には40年かかったという。




蒟蒻の刺身も少し梅の花
    (芭蕉庵小文庫)

■去来の関係者の忌日を詠んだもの。前書きがないと少しわかりにくいと思うが、「蒟蒻の刺身」と梅の花の取り合わせに惹かれた。去来宅で元禄6年2月2日に客死した呂丸を悼む手紙に添えた句ではないか、との意見もある。「蒟蒻の刺身」は魚の獲れない山国の料理であるとともに、精進料理の一つ。故人の好物だったのかもしれない。梅の花がいい。
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The More Loving One

■旧暦11月16日、火曜日、

(写真)わたらせ渓谷鉄道の路線。列車内では、運転士のすぐ右に立って、真正面から前方を観ることができる。運転士よりも視界が良い。この写真は、そうして撮ったものの一枚。

クリスマスにふさわしい詩を探していたら、オーデンのこんな詩が眼に留まった。

The More Loving One

Looking up at the stars, I know quite well
That, for all they care, I can go to hell,
But on earth indifference is the least
We have to dread from man or beast.

How should we like it were stars to burn
With a passion for us we could not return?
If equal affection cannot be,
Let the more loving one be me.

Admirer as I think I am
Of stars that do not give a damn,
I cannot, now I see them, say
I missed one terribly all day.

Were all stars to disappear or die,
I should learn to look at an empty sky
And feel its total dark sublime,
Though this might take me a little time.

W.H. AUDEN
September 1957


星を見上げると、よくわかる、
俺が地獄に落ちたって星には関係ない。
だが、地上なら無関心も堪えない
人や動物から無視されたって。

どんなにいいか。
我々が応えきれない情熱で
星が燃えてくれたら。
そんな愛情は俺にはないが、
せめてもっと愛ある人になりたい。

自分じゃ、
つれない星を賛美しているつもりでも
今、星を見て思うのは、
丸一日、一つの星を想ったことがあったろうか。

満天の星が消えてしまったら
虚空を眺めて
暗黒すべてを崇高だと感じるようになるのだろう。
少し時間はかかるかもしれないが。



YOU TUBEで映像と朗読を。

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柚子湯

■旧暦11月13日、土曜日、、冬至

カイロに行って体調は良くなってきた。やはり、効くのだろう。睡眠剤を飲まずに、効果を試して、そう実感した。間が、一ヵ月半、開いてしまったので、骨格がかなり歪んでしまったらしい。来週も治療に通うことになった。

(写真)わたらせ渓谷鉄道のディーゼルカーの勇姿! 渋い! 通常一両! 多くて2両! イベント列車やトロッコ電車もある。車体の小豆色は、足尾銅山のあかがね色から来ている。



ウェブアニメというのをご存知だろうか。ウェブ上にアップロードされた無料アニメーションのことで、制作は、作画・脚本・声・効果音・テーマ曲など、全部一人でこなす。収益は、たぶん、広告収入や関連グッズだと思う。相当なアクセス数があるらしい。

先日、人気の覆面作家、ラレコ氏がテレビに出演したので、観てみた。35歳の男性で、「やわらか戦車」などの作品を観ると、明らかに、反戦思想を感じてしまうのだが、当人の弁では、そういう思想を意識しているのではなく、自分の生理に忠実に描いているだけだと言う。生理がそのまま思想になっているのだろう。「やわらかアトム」もなかなか笑える。



今日は冬至である。冬至に柚子湯に入ると、無病息災でいられるという。柚子湯が銭湯登場以降の習慣だとすれば、いつからなんだろうか。初めて、「柚子湯」が言葉として登場したのは、狂歌だったようだ。

「伊豆湯よりをとりてあしきゆず湯とはすいもあまいもくたものぞしる」(狂歌・団円 1703年)

この狂歌からすると、18世紀の初頭には「柚子湯」の習慣はあったように思える。銭湯もこの頃からあったのか? そう思って、調べていると、15世紀の後半には、文献に「銭湯」が現れる。銭湯は冬至の日は柚子湯と決まっているらしいから、その日だけ、銭湯に行くのも乙なものかもしれない。


金星と月を左右に柚子湯かな
   橋本薫

■一足先に、柚子湯にしてしまったので、今宵は、入浴剤の柚子風呂にしたのだった。おるかさんのこの句、露天風呂かな。いいでしょうね、こういうの。
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Newsweekを読む(1):Is Photography Dead?

■旧暦11月11日、木曜日、

午前中、病院で健康診断。一年半ぶり。メタボがぎりぎりセーフの数値で驚いた。運動したいなあ。



【足尾への旅】温泉で暖まってから、今度は、神戸(ごうど)駅をめざした。ここから、星野富弘美術館まで、送迎バスが出ている。星野富弘という詩画作家は、地元ではつとに有名で、美術館が新築されて、いっそう、訪れる人が増えたと聞く。ぼくは、どうも、この人が苦手で、今回、初めて訪れた。身障者(星野さんは、今年還暦。中学の体育教師だった星野さんは、23歳で授業中に事故に遭ってからずっと、肢体不自由で、口で絵を描き、詩を書いている)に対する同情心が先行して、絵の独立した批評や理解を阻んでいるのではないか、とずっと思ってきたのである。今度、行ってみる気になったのは、星野さんほどじゃないしても、ぼくもいろいろな持病を持ち、年齢を重ねて、人生の苦難をそれなりに味わって、逆に、星野さんと適度な距離が取れるようになったと感じたからである。つまりは、身障者が描いたにせよ、健常者が描いたにせよ、絵を絵として見、詩を詩として聴く体勢が整ったように感じたのだ。

そんな気分で訪れた美術館に展示された水彩画は、人を圧倒する気配がまるでない。ひっそりと、野に咲く花のように展示されている。なにか、斬新なことをやろうとか、人に衝撃を与えようとか、そんな雰囲気は微塵もない。ただ、目の前の草花を細部まで描きこんでいる。星野さんは、クリスチャンだが、そして、その信仰が、生きる支えにもなっているのだろうけれど、ぼくの感じたのは、絶対的な超越神を信じる人の絵じゃなく、草花の細部に神がいることを信じている人の絵のように思えた。神道的な感受性と言っていいのかどうか、わからないが、描かれた草花は、どれも微笑している。

中でもぼくの印象に残ったのは、新聞のためにペンで描かれた草花だった。モノクロームの草花が、静かに微笑んでいる。ほのかな明るさが絵から漂っている。

星野さんの絵を見ながら、ぼくは、子規のことを思った。結核で寝たきりだった子規も、水彩画をよくしたが、彼もまた、神は細部に宿ることを確信していた一人だったのではないだろうか。

(写真)わたらせ渓谷鉄道「神戸駅」。なんともいえない味わい。



Newsweek(DEC.10, 2007)を読んでいたら、写真論に眼が止まった。デジカメで、なんとなく、写真を撮るようになって、どうも、写真論が気になるのだった。この記事の内容そのものは、さして、斬新なものじゃない。いわば、デジタルテクノロジー批判なのだが、この記事の筆者が前提にしている思想や考え方が興味深いので、少し、検討してみようと思う。そこから、何が見えるか。

【Is Photography Dead?】 By PETER PLAGENS

【プラゲンズの論旨】初期の写真家は写真を芸術と考え、構成の行き届いた絵画のように撮影することをめざしたとプラゲンズは言っている。そのときの基本的な考え方は、芸術と真実は一体というもので、モダニズムが起こるまでは、現実生活の事物にできるだけ近づけることが、絵画にせよ、彫刻にせよ、西欧芸術の基本だったという。

デジタル操作ができるようになって、芸術写真に非常に大きな可能性が生まれた一方、写真の魂が失われたとプラゲンズは言う。フィルム写真の特徴は、カメラの前で起きた現実を記録することである。デジタル写真の場合、現実はバラバラになり、かすかな痕跡しか残されていない。写真はレンズの前で起きたことから完全に自由になってしまった。現在、ギャラリーに展示されている写真は、タッチや質感を除けば、本質的には、絵画となんら変わらない。写真は、現実に根ざした「証拠」だとは言えなくなってしまった。

【感想】プラゲンズの議論は、ナイーブだと思う。フィルムカメラが現実を正しく写し取ると考えていることに、まずびっくりした。写真は、現実の全体のコンテキストから、一断面を切り取るだけであるから、そもそもカメラの写した現実はわれわれの生きる現実とは異なるものだろう。写真に撮られているから、それが真実だとは、単純に考えられないのではないか。現実の一断面であり、現実の誇張であり、現実への誘いであり、現実の告発であり、現実の再構成であろう。事の良し悪しは置いて、写真によって「重要な真実」が作り出されてきた側面を見逃すことはできない。フィルムカメラにしても、デジタルカメラにしても、そこに操作性が内在するという点では同じである。デジタル化によって、写真の操作性が大幅に拡大したことの影響は、おそらく「報道写真」にもっとも出るのではないか。「本当らしかった」写真で、封印されてしまった批判精神が、デジタル写真で顕在化するとすれば、デジタル写真の意義も少なくはないとも言える。写真を見る側に、これまで以上に、批評精神が求められるようになってきたのではないだろうか。

では、写真や映像を撮る側はどうか。東チモールやミャンマーの例に見られるように、独裁政権による非人道的な弾圧の映像や写真が、インターネットを経由して、世界中で観ることができるようになり、プロテスト運動の組織化に多大の影響力を持った事実を忘れることはできない。もし、その弾圧している映像や写真がデジタル処理されたまっかな嘘だったとしたら? だれかが、反対勢力を駆逐するためにでっち上げた「作品」だったとしたら? 逆に、レンズの前で起きた「現実」なのにも関わらず、デジタル処理された偽物だと、権力側・体制側がキャンペーンをインターネットで大規模に行うことも予想される。その映像が、少なくともレンズの前で起こったものであることを、どこで、だれが、どのように、担保すればいいのか。この問題は、社会運動や政治運動との関わりで、遅かれ早かれ、問題化するに違いない。UCCが韓国の大統領選に影響力を持ち、YOU TUBEが米国の大統領選に影響力を持っている今、とても重要な問題になってきている。

この意味では、プラゲンズの議論は、ナイーブであるがゆえに、重要な問題を内包していると思えるのである。




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ドイツ語の俳人たち:Sabine Balzer(17)

■旧暦11月10日、水曜日、

腰痛が良くなったと思ったら、ここ数日、耳鳴りが激化。眠れてはいるのだが、耳鳴りは止まず。苦しい状態なので、明後日にカイロを予約。今年は、病気に悩まされた。苦の娑婆とはよく言ったもので、さまざまな苦がありますな。



旅は、初日、わたらせ渓谷鉄道の水沼駅をめざした。ここは、赤城山麓の猿川温泉から引いた温泉が駅の施設としてある。ホームに温泉があるのだ。露天風呂もサウナもあり、クーポン券利用で400円。ここで、ゆっくり1時間以上、風呂に浸かった。シーズンオフということもあり、平日でもあったので、入っているのは、ほとんど、地元のおじいちゃん。露天風呂では、前面に大きな山が見え、紅葉は終りかけていたが、雲の湧くあたりに人家が見えた。この辺は、猿が多く、畑の作物を食べたり、人家にいたずらするらしい。電車からも柿木を揺すっている猿や、人家の屋根にいる猿を見た。

(写真)わたらせ渓谷鉄道「大間々駅」の駅舎の上の風速計。




(Original)
auf der Straße in
der Rinne welke Blüten
wie ein gelber Strich



(japanische Fassung)
街の側溝に
枯れた花々
一筋の黄色い線のように


■日本でこういう風景は、晩春の桜が散る頃に見られる。桜の花びらが道の脇に吹き溜まっていたり、川面にピンクの筋になって浮いていたりする。この句は、枯れた花に趣を発見している点に惹かれた。(zur deutschen Fassung)
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RICHARD WRIGHTの俳句(46)

■旧暦11月7日、日曜日、、北風。

旅から戻って、バタバタと忙しくしていたら、突如、腰痛が再発。激痛で、立っていられない、椅子に座っていられない。ベッドに寝たきりの状態を2、3日。ようやく医者にもらった湿布が効いてきてパソコンの前に座れるようになった。参った。7、8年前にも同じことが起きて、運動を始めるきっかけになったのだった。来年は、運動を定期的に始めないといけないなと思っている。昨日、ベランダで洗濯物を取り込もうとしたら、足を植木鉢に引っ掛けて、下に落ちそうになった。腰が動かないと、自然な動きができないのである。



旅については、ぼちぼち、書いていくが、面白かったですな。旅は、足尾鉱毒事件で有名な足尾銅山跡をめざした。2日間に渡って、「わたらせ渓谷鉄道」(旧国鉄足尾線)を利用しての旅であった。

2日とも出発駅は、「大間々駅」。この駅から、歩いて、数分のところに雄大な「高津戸峡」がある(写真)。渡良瀬川が、山間部から関東平野に出るときの先端部分に、この駅はある。

ぼくは、太田市の出身なので、高津戸峡(以前は、「ながめ」と呼んでいた)や大間々駅、渡良瀬川、「わたらせ渓谷鉄道(国鉄時代の足尾線のときから、何回も乗車している)」とその沿線風景、足尾銅山跡は、ぼくには、いわば、故郷の一部みたいなもので、ながらく会わなかった旧友に会う旅のようなものであった。故郷に山河があるというのは、本当にありがたいことだと思う。




(Original)
A spring mountain holds
The foundations of a house
Long since tumbled down.



(Japanese version)
春の山
倒壊して久しいのに
家の礎が残っている



(放哉)
春の山のうしろから烟が出だした


■ライトの句は、まさに廃墟がモチーフ。春の山との取り合わせは、生と死の対比を思い起こさせる。放哉の句は、のほほんとユーモラス。アニメーションのように動きが鮮やか。「うしろから」という措辞が可笑しさを生んでいる。(to the English-version site)
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北と南(9):稲搗波

■旧暦11月1日、月曜日、

(写真) The beginning of life



土曜日の8日は日米開戦日だったが、それよりも、ジョン・レノンの忌日として、覚えている。40歳で射殺されてしまった。ジョン・レノンには、好きな曲がたくさんがるが、今、一番聴きたいのは「Power to the people」だ。インターネットによって、これが、実現する可能性が出てきたとぼくは思っている。

しばらく療養を兼ねて一人旅に出ることにした。一応はとある廃墟をめざす。冬の廃墟の静けさを経験することが目的といえば目的である。




稲搗波(いなつきなむ)

波照間島のある八重山諸島と宮古島諸島を合わせて先島という。稲搗波は先島の冬の波を指す。沖縄は十二月に冬に入る。風が吹き出すごとに気温が下がり、十二度前後になる。大陸高気圧からの季節風が強くなり、時化の日が続く。日本本土に向って北上する黒潮と南に噴出す季節風がぶつかって立つ三角波が稲搗波。船が転覆することもあるらしい。


波照間の稲搗波と酌みにけり
    眞榮城いさを

※ 『語りかける季語 ゆるやかな日本』(宮坂静生著 岩波書店 2006年)から
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All Schumann Program

■旧暦10月28日、金曜日、

(写真)

後生大事なものなんてないサ。
悲しまぬことを覚えるこッた。

長田弘『世界は一冊の本』



今日は、仕事をして、雑用して、仕事して、音楽を聴きに行った。ヴァレリー・アファナシエフのオール・シューマン・プログラムである。曲は次の3つ。

1. 子供の情景 作品15 
2. 3つの幻想的小曲 作品111
3. 交響的練習曲 作品13

最初にピアノが鳴ったとき、あれと思った。響きがかなりきつく聞えたからである。調律の関係なのか、ピアノの関係なのか、アファナシエフの響きが変わったのか、普段CDで聴くことの多いぼくの気のせいなのか。とにかく、そんな気がした。それも、徐々に気にならなくなり、曲に引き込まれていった。

一番の大曲は、最後の交響的練習曲だが、ぼくが一番印象に残ったのは、最初にプレイした「子供の情景」だった。女性ピアニストがよく取り上げるこの曲を、アファナシエフは、「母性」とか「慈愛」とかいった言葉では括れない弾き方をしていた。ぼくには、曲を沈黙に帰すためにプレイしているように聴こえた。曲が曲を聴き、シューマンの背中にアファナシエフの背中が重なり、男の子二人が戯れる。母親の目から見た「子供の情景」ではなく、自らが子供に帰り、沈黙に帰るとき。人生の黎明であり終局であるだろう一瞬。そんな光景が見えた気がした。

アファナシエフは、シューマンの「子供の情景」について、こんなことを述べている。「ワーズワースは子供の時代を愛し、慈しみ、子供の時代に対してたくさんの詩を書いたが、詩人のブロツキは、自分がいかに未熟であったかと子供時代を振り返りたがらなかった。シューマンは後者。彼は『子供の情景』の最後に、ここまであった音楽は全くナンセンスだと声を上げているのです」

2曲目の「3つの幻想的小曲 作品111」は、シューマンが41歳のときに作曲した作品で、幻聴などの精神的な苦しみの中で作曲された。第1曲目のハ短調は、どこまでも暗く、音楽で透明な膜を作られてしまって、その中に入っていけないような感じを受けた。この幻想的小曲は、たぶん、ぼくは初めてだと思うが、何回も聴きたい作品じゃない。アファナシエフはこう述べている。「イマジネーションを全開にして作曲した狂気の世界。ロマン派の作品ではない」

3曲目、交響的練習曲 作品13は、シューマンが24歳のときに作曲。このコンサートに備えて、ぼくは、家にあるポリーニがプレイした同じ曲を繰り返し聴いてみた。アファナシエフと聴き比べてみるためである。CDと生との違いを考慮しても、アファナシエフのプレイは、劇的だった。起伏と表情に富み、陰影と光に輝く。そして、例によって、遅く遅く始まる。高音の粒だった美しさと、絹のような感触。そして、突然の沈黙。

アファナシエフは、自分の演奏スタイルについて、こんなことを述べている。「人は過去にも、将来にも生きている。人は過去を振り返り、将来に向けて、計画や希望を抱くものだからだ。しかし、人間は恐ろしく孤独になるときがある。モンテーニュは、自分が独りのときには、自分の中にいる大衆に向って語りかけるという。一人の作曲家の音楽を演奏することも同じことだ。作曲家の記した音楽を通して、私自身の中の大衆に語りかける。それで十分だと思う」

シューマンはアファナシエフにとって、どんな存在なのだろうか。「ベートーヴェンと向き合ううちに、お互いに誤解があることがわかってくる。誤解を克服することに喜びがあり、誤解そのものを面白がったりもできる。しかし、シューマンには、そんな誤解はまったくない」

ぼくは、ひたすら、「笑いこそ、正気の基だ」と思うのであった。
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飴山實を読む(43)

■旧暦10月27日、木曜日、

(写真)
生まれ、生き、そしき死ぬ一人一人が
この世を生きぬいたことにより
誇りをもって死んでゆけないようなら、
世界とは、いったい何だろうか?

哀れなドン・キホーテは、敗れて死んだ。
だが、絶望とたたかう魂を、彼は遺したのだ。
諸君には、ドン・キホーテの笑いが、
神の笑いが聞こえないだろうか?

ウナムーノ(1864-1936)バスク人。20世紀スペインを代表する文人思想家。1936年、市民戦争勃発後、共和国スペインに対するフランコの反乱をきびしく批判。幽閉のうちに死んだ。



五十嵐大介の『リトル・フォレスト』第一巻を読んだ。非常に良かった。ある意味、傑作ではないか。小さな農村に女の子が住んで、食物を作って、それを食べるという営みだけを描いているのだが、グルメ系のコミックとはまったく異なり、人間の生活や生きることが「ものを食べること」だったことに改めて気づかせてくれる。このコミックには、商品としての食物や消費するだけの食物は出てこない。ひたすら、己が食べる食物をどう作ってどう食べるかだけである。市場は、ぐっと背後に、「街」という表現で示されるだけで、そこで、傷ついた若者たちが、いわば、使用価値だけの小さな村の世界に戻ってくる。

「街」は、ここでは、こんなふうに表現される。

「なんか
小森とあっちじゃ
話されている
コトバが違うんだよ

方言とか
いうことじゃなくて」

「自分自身の体でさ
実際にやった事と
その中で自分が感じた事
考えた事」

「自分の責任で話せることって
それだけだろう?
そういう事を
たくさん持っている人を
尊敬するだろ」

「信用もする」

「なにもした事がないくせに
なんでも知っているつもりで
他人が作ったものを
右から左に移しているだけの人間ほど
いばっている」

「薄っぺらな人間の
カラッポな言葉を
きかされるのに
ウンザリした」


激しく共感できる科白だった。




骨だけの障子が川を流れだす


■障子を張り替えるとき、昔は、障子を川などに漬けておき古い紙が剥がれるのを待った。そのときの情景かと思われる。単独で完結した景として見た場合も、廃墟の打ち捨てられた障子が流れて出したようで、面白い趣があると思った。

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