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一日一句(3183)






虎落笛この世の終はるときの笛





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一日一句(3182)







下鴨にひとつ老いゆく椿かな






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一日一句(3181)







虎落笛われうらがへる虚空あり






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往還日誌(128)






■2月26日、月曜日、晴れ、虎落笛。

きのう、若宮へ戻ると、七月堂から6校が届いていた。今朝、チェックして返送する。詩集の後半は、旧仮名で統一したため、間違いがなかなか減らない。言語における習慣の強力さを思う。

若宮へ戻って、お茶が切れたことに気が付いた。近くのドラッグストアで静岡の銘茶、「川根茶」が安く出ていて、飲んでみたら、正解だった。価格は、宇治茶の2分の1だった。

3月31日に、人文研究友の会で、『社会操作理論に向けて――民主主義・植民地主義・知識――』という発表を行うための整理を開始。民主主義という制度と思想は、民主化のための社会運動が伴わないと、一部の支配利権集団が自分の利益を極大化するために、民主主義を「操作」として利用する。この利用は、意図された場合と、機能的に、あるいは結果的に、そうなっている場合とがある。

知識あるいは理論は、それが知識社会学的反省あるいは社会哲学的批判を伴わないと、民主主義と同様に、あるいは、それ以上に、操作性を帯びる。やっかいなことに、民主主義は知識と一体化しており、民主主義が機能する前提に知識がある。民主主義における操作性のうち、最も洗練されたものは知識の操作性が担っている。

植民地主義および植民地体制は、終わったものではなく、絶えず、更新されていると見た方が現実的だと思っている。それは、フランスとアフリカの内外の関係、日本と朝鮮の内外の関係、イスラエル米国とパレスチナの内外の関係などに端的に現れている。

植民地主義・植民地体制が更新されているという現実は、「現在の状況でその時代を解釈する、歴史投影史観だという批判」を批判する。

つまり、「歴史投影史観批判」とされるものは、歴史が特定時代区分で切れて終了・完結することを前提とする。

この問題圏には、私が現在、思索中の時間空間理論である『TB-LB Theory』の命題7が答えることになる。

7 民族国家(nation-state)の過去(歴史)は、当該民族国家による歴史的被害存在(the historical suffering being)の痛みによってつくられる。

7.1 我々が「過去」と呼んでいるものは一切が終わっていない。

7.2 社会的出来事を「過去」として、終わったものとして、社会的出来事から物象化する力が「現在の統治権力」である。

7.3 現在の統治権力は「過去」を統治権力自らの正当化のために、操作・修正・編集する。

7.4 「過去」は現在の統治権力を正当化するイデオロギーへと堕落する危険性を秘めている。

7.5 過去には、現在の統治権力が関与する公的過去(the public past)と関与しない私的過去(the private past)がある。

7.51 公的過去とは「現在の統治権力」による操作・修正・編集と「歴史的被害存在」の痛みによる「過去」制作とが戦いを行う場である。

7.52 この戦いは社会的な問題(public issue)を構成する。 

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一日一句「(3180)







春の道聲する方へ草なびき






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一日一句(3179)






紅梅や夜は香りが美しき






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往還日誌(127)







■2月23日、金曜日、曇り、かなり寒かった。

6時半起床。早くも金曜日か。

いろいろ、夢を見たが、ダークブラウンの色の痕跡だけ残り、あとはきれいに消えていた。

早く起きたので、下鴨神社へ藪椿を探しに行くつもりが、めずらしく、腹痛で断念。一定庵で休む。

今年から、2週間しか一定庵にはいないので、目的定立はひとつに絞り、それは、高山寺訪問で達成された。

この訪問のあらましをロミーにメールしたところ、キリスト教圏のひとだから、大変、驚いていた。

私でさえ驚いたのだから、当然であろう。

このときの衝撃をモチーフに、現在、詩をスケッチしている。

若宮滞在も2週間なので、目的定立はひとつに絞り、それは、高崎の群馬近代美術館で、ふたたび、井上有一の書を見ること。

撤去された朝鮮人労働者の追悼碑跡も見てくる予定。

確定申告もあったり、なかなか、忙しい。

六本木にも2度行く予定。

明日は、遅れているニコに専念。妻に頼まれている竹村玉翠園のほうじ茶を買いに行く。

夜、余裕があるときには、最近、古井由吉の『仮往生伝試文』を読んでいる。

こういう小説の書き方もあるのか、と驚いている。





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一日一句(3178)







鳥獣が笑ひこけたる春野かな






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一日一句(3177)







春の月出町の空に鳶が舞ひ






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一日一句(3176)







白梅になんで荒ぶる心かな






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