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『マルクス 最後の旅』




ハンス・ユルゲン・クリスマンスキー著(猪股和夫訳)『マルクス、最後の旅』(太田出版 2016年6月)読了。面白かった。いくつか、面白かった点をあげると。

1)もともとが、映像化のための字コンテなので、非常に視覚的で、読みやすい。逆に言うと、ドイツ語本来の深遠さが出ていない。これは物足りなさとも言える。ただ、マルクスの家族とのやりとりや人間関係が、平易に、また、興味深く描かれている。

2)この本の最大の功績は、最晩年のマルクスの関心の所在を明らかにしたことだと思う。それは証券取引所の役割について、であり、投機やカジノ資本主義についてだった。最後の旅で、モンテカルロに立ち寄り、自らも賭博を行い、資本主義の本質がカジノの賭博と変わらない点を見破り、『資本論』フランス語版の前書きでは、この点に触れている(確認の必要を感じる)。最後の旅、アルジェ・モンテカルロ・スイス・ロンドンと移動しながら、資本主義の現在に、絶えず精力的に注意を払っていたのには驚く。マルクスに「隠居」という概念はない。

3)その解明の方法は、数学モデルで行う予定だったらしいこと。晩年のマルクスは、研究領域を数学や自然科学に広げ、その知見を幅広く吸収していた。英国ロイヤルソサイエティの動物学者や化学者などの友人もいた。この意味で、マルクスは、啓蒙思想の系譜に連なると言っていいだろう。

4)秘密にされていた晩年のマルクスのメモ書きが、いまようやく明るみに出つつあり、世界の社会主義運動に影響を与えつつあること。このメモ―バイダーで綴じられたノートがとくに重要―の中には、証券取引所にまつわる数式や投資の指示が詰まっていること。これまで、最晩年のメモが秘密だったのは、資本主義と戦った聖マルクスのままにしておくためだったろう。投資の指示が入っているのはまずかったのだろう。

5)これに関連して、家政婦のヘレーネとの間に、不倫の息子、フレデリックをもうけたこと。これは、これまでも知られていたが、あまり、取り上げられることはなかった。マルクスの人間臭い一面とも言えるし、故国を追われた亡命生活のストレスや、奥さんのイェニィが長期の癌の闘病中だったことを考えると、よく耐えたとも思える。フレデリックは、自分がマルクスの実子であることを生涯知らなかった。エンゲルスが認知してめんどうを見たらしいが、この点も、興味深い。

6)『資本論』フランス語版の翻訳者、ジョゼフ・ロアについて、まったく知らなかった。どういう人だろう。大変な仕事だったはずである。

7)マルクスに空想的社会主義者と批判されたシャルル・フーリエをエンゲルスは、買っていた。空想的、というのは学問体系をなしていないということだろうか、社会的存在の根底に労働活動と社会関係を見ていないということだろうか。いずれにしても、空想には、斬新な着想の萌芽や構想があることが多い。フーリエについても、検討の必要を感じた。

8)バクーニンは、第一インターでマルクスの主張したプロレタリアート独裁に反対してマルクスと対立するが、日本のアナキスト詩人たちにも、影響を与えてきた。

9)全篇を通じて感銘深いのは、エンゲルスの忠誠心と共同性、マルクスとは質の違う能力の高さである。エンゲルスがいなければ、資本論2巻、3巻は、世に出なかったし、そもそも、資本論という書物さえ、存在しなかったかもしれない。

10)マルクスの仕事は、資本主義解明の起源にあたる仕事であるから、最晩年の関心のありようが、とても気になった。




マルクス最後の旅
クリエーター情報なし
太田出版






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一日一句(1599)







天翔けて夕日まみれの馬冷やす






夏の空馬上の人の背中しづか






夏木立乗馬のうしろ姿かな






大夕焼馬場へ出てゆく馬と人






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一日一句(1598)







鰻の日地蔵の鼻はちと動き















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一日一句(1597)







立葵元荒川は草のいろ






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公開講座『ルカーチの存在論』25周年 第6講「障害者の社会運動について」(再掲)







(参考記事)昨年2015年の11月22日に行われた公開講座『ルカーチの存在論』25周年 第6講「障害者の社会運動について」(「青い芝の会」元事務局長の利光徹さん)から、いまの状況に有効と思われる記事を公開講座の公式ページから再掲します。


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公開講座「ルカーチの存在論」25周年第6講前半「障害者の社会運動について」福岡から上京された「青い芝の会」元事務局長の利光徹さんの講演。

この講演は、われわれに激しい衝撃と感銘をもたらしました。言語が聞き取れない、コニュニケーションが普通に成り立たない。利光さんは、われわれの言葉を完全に理解するけれど、われわれには、利光さんの言葉が聞き取れない。それでも、頑張って聞き取っていると少しづつわかってくる。そんな中でわたしが聞き取った印象的な話は、健常者は、障害者を治そうとするけれど、健常者と障害者の関係が「障害者」を作り出す。だから、健常者と障害者の関係を回復する(変更する)必要がある。このときの関係は、社会全体を含んでいるので、大変に難しい。ほかの被差別者、被抑圧者の解放運動と連携する必要がある。また、両親との関係では、親にこう言われたそうです。自分たちが生きているうちは、おまえを守ってやる。だが、死んだら、誰も守ってくれない。だから、死ぬときはおまえを道連れにする。利光さんは、「愛」を否定します。これが愛だろうかと。社会で流通している「愛」は、自分たちを殺害する愛であると。この愛は、先日の茨城県の教育委員会で優生思想を述べた委員と重なりますね。また、同じよう「正義」も否定します。それは多数決で決まるものだからです。脳性マヒの障害者を否定してきた「正義」にほかならないと見抜くのです。(続く

きのうの脳性マヒの社会運動家、利光徹さんの講演の続き。彼の講演のあと、質疑応答が活発に行われた。その中で、存在の価値を、使用価値、交換価値だけではなく、「存在価値」という価値を考え、利光さんたちのように脳性マヒで働けない人々にも価値を見出そうという意見があった。この意見は、存在していることそれ自体を価値として、その存在に聖性、あるいは仏性を付与しようとするものである。これは、優生思想に基づき、「劣った人種であるユダヤ人」を殲滅したナチスの経験を反省的に踏まえている。一見、良さそうに思えるこの思想に、わたしは批判的である。きのうも批判的な意見を述べたが、あらためて考えてみると、次のようにまとめることができる。

・ 障害者はあくまで人間存在であって、聖なる存在ではないこと。また、そうなることは障害者は望んでいないこと。脳性マヒは神でも悪魔でもない。
・この思想はいわば、「置物思想」であり、人間存在の本質を把握し損なっていること。言い換えると、人間が社会的な実践主体であることを、捨象していること。つまり、この思想はなにもできない、しなくて良い「障害者」の再生産に加担していること。
・利光さん自身は、自分たちが何のために生まれてきたのか、内省したときに、既存の価値の破壊者として、存在の積極的な意味を見出している。これは、聖なる障害者の姿ではなく、社会的実践主体の姿なのである。
・この問題を考えるには、労働を原理的に思索するのがもっとも根源的である。なぜなら、労働は人間の社会的実践のモデルだからである。
・以上のことから、人間の使用価値の回復を考えるべきだと思える。これが人間の商品化であるといった考えや、機能主義的であるといった批判は、「近代」という枠組にとらわれていると思う。近代批判が要請される所以である。
・もうひとつ、きのう学んだことがある。それは、理論の最大の批判者は現実だということである。理論家ではない。利光さんの体験しているような極限の現実に理論は耐えられるのかが常に問われている。これは、芸術に対しても同じことが言えるのである。
・非常にいい勉強になった。こんなに素晴らしい時間なるのがわかっていたら、もっと宣伝すべきだった!



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公開講座『ルカーチの存在論』26周年 第3講「精神医学の歴史」のレジュメ







■7月16日(土)に行われた公開講座『ルカーチの存在論』26周年  第3講前半「精神医学の歴史」のレジュメがアップされました。ご覧ください。ここから>>>





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一日一句(1596)







目の玉を青田の風が洗ひけり







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一日一句(1595)







どこまでも空の大きな青田かな






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一日一句(1594)







ふるさとや墓石に映る百日紅






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山本太郎の仕事@高江7/25「権力の暴走 必ず止まる日が来る」







山本太郎の仕事@高江7/25「権力の暴走 必ず止まる日が来る」







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