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蕪村の俳句(128)


■旧暦6月29日、月曜日、曇ったり晴れたり。かなり涼しい風が朝から吹いている。



都知事選。小池百合子候補が当選。極右団体「日本会議」の下部組織「日本会議国会議員懇談会」の副会長で核武装派。考え方は安倍さんと同じ。在特会とも考え方が近い。在特会は、2010年12月に小池百合子元防衛大臣の単独講演会を協賛実施していた。一見、自民党から離れた印象があるが、離党も除名もされていない。今後、安倍政権とは、相補関係になるのは、間違いないだろう。「それが選挙ですから、大丈夫です」(安倍晋三が三宅洋平に言った言葉が、そのままあてはまる)。なぜ、こういう危険で排他的な本質のひとが、2,912,628票もの支持を集めたのか。

・極右体質への有権者の無知(新聞テレビの報道がない→インターネットは情報拡散の点で限界があり、反対勢力も利用できる)
・操作が巧妙(都連および自民党との対決による「正義の味方」の演出、
女性ということで命の価値がわかるという共同幻想:小池さんは現在、結婚していない、子どもはいない。自他の命の価値のわかるひとが核武装を唱えたり差別団体の講演を引き受けたりすることはありえない)
・今後、小池さんが当選したことで、日本会議と在特会は活性化するだろう(在特会の桜井誠候補の得票は、11万票強、マック赤坂の2倍強である)
・2017年7月22日任期満了東京都議選(小池都知事に有利な議会条件が整う可能性がある。今後、政権との相補関係が整えば、むしろ、都連が自民党に切り捨てられる可能性もある。都民の支持はもうないことが証明された)→桜井候補の都知事選前の発言「来年の都議選には10~20人ほど立候補させますよ。みんな政治活動は素人ですが、今回の都知事選でノウハウができましたから」(産経新聞2016年7月13日) 
・右傾化は、日本だけでなく、先進国に共通の現象で、日本会議と在特会はそれに同期している。いま、憲法改悪という点から見て、非常に危険な状況にあると思う。
・日本会議と経団連が夫婦だというところが、安倍政権(小池百合子知事もその一派である)の強さであり、そのできそこないの子どもが、在特会と言っていいのである。






みじか夜や浪うちぎはの捨篝󠄀

安永三年(1774年 蕪村59歳 句帳ほか)



■篝火は、古来の照明具の一つ。主として屋外用のもので、手に持って移動するときは松明 (たいまつ) を使い、固定するときは篝火を使う。松の木などの脂 (あぶら) の多い部分を割り木にして、鉄製の篝籠に入れ、火をつけるもので、「かがり」の名も細長い鉄片を編んだ容器からの命名といわれる。

この句は、たいへん、厭戦的な気分と虚無的な雰囲気を持っている。海岸に設置された篝火が、倒され打ち捨てられていまは波に洗われている。海岸での激しい戦闘が想像される。蕪村は、眼前に捨篝を見ているのではなく、過去の幻想を見ている。波打ちぎわは、現実に、繰り返し目にしたどこかの波打ちぎわだろう。故郷の浜かもしれない。この幻は、蕪村の教養がきっかけになって呼び起こされたものだが、単に軍記物語世界の中で完結していない。幻には、現実的・歴史的な根拠があるから、過去の物語の枠を超えて、現代へ語りかけてくるものを持っている。





蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
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角川学芸出版






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蕪村の俳句(127)




■旧暦6月21日、日曜日、河童忌。陽ざしは夏らしいところもあったが、全体に、うすら寒い。長袖でいられる。



ポケモンGOが配信されて、世界中で、いろいろな問題が起きている。たとえば、それは「侵入」という形で起きている。

「アメリカでは子どもたちが原子力発電所の敷地に侵入。ボスニアの地雷原やインドネシアの軍用地に入り込んでしまったプレーヤーたちもいた。トルコではモスク内でのプレーに、イスラム教指導者たちが反発。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡地では、博物館がプレー地域から外すよう開発会社に要請した。」(出典「時事通信 7月22日配信」

ポケモンGOを利用すると、開発会社のNiantec経由で権力に多様な一般市民の情報が集まるのは確かだろう。監視社会は、視覚と数量に特化した社会だが、匂いや肌触りやオーラなどは、デジタル情報には載ってこない。存在の本質は、むしろ、こちらにあると思う。ポケモンGOのプライバシーポリシーおよび利用規約を読むと、位置情報は、プライバシーポリシーで収集すると明言している。個人情報も収集するが、第三者とは共有しないと謳っている。しかし、フェイスブックやGoogleなどのSNSから、アメリカのNSC(国家安全保障会議 )へ個人情報が大量に流れているのは、スノーデンの仕事で明らかになっている。ポケモンGOの開発会社のNiantecには、CIAが出資している。個人情報が権力に流れないと額面どおりに捉えるのは、不合理だろう。だが、本質的な問題は、むしろ、別のところにある。

Pokémon GO サービス利用規約
Pokémon GOプライバシーポリシー



いままでも、電車の中で、ゲームをしている人は多かったが、ポケモンGOはゲームがスマホの中だけにとどまらない。スマホの中でリアルとヴァーチャルが融合している点が新しいと思う。こうした融合型のゲームは、非融合型に比べると、格段に、ひとをゲーム世界へ没入させる。ゲームと自分だけの関係になり、他者との社会関係は破壊される。つまり現実が破壊される。ゲームという装置は、人間個人をばらばらにする。集団で協力してポケモンを探すゲームは、登場しない。人間をその本質―社会的活動性―から疎外する形のゲームしか商品化されない。ここには、政治的な意図が働いていると見ていいと思う。ゲームに操作され、街を彷徨っている姿は、夢遊病者のように見える。

ポケモンGOの問題は、結果的に、国際国家利権村による民衆操作ツールになるところにある。若い人(中年もはまっているが)をゲーム漬けにすれば、政治に、社会に、ますます関心が向かなくなる。現在でもゲームは強力なイデオロギーとして機能している。自民党本部の下には、「永遠の与党」の刷り込みまである。投票所をポケストップにして、投票したらアイテムが入手できるようにしたらいい(マックは全店ポケストップにしている)。相当、投票率が上がるだろう。各ポケストップには、原発と基地についての、当該のポケストップがどう考えているか、表示されるといい。マーケティングの手法で一大操作が敢行されているのだから、逆に、それを投票率アップや政治意識の覚醒に活用できればいい。それこそ、商品の使用価値というものだろう。





みじか夜の闇より出て大ゐ川

安永三年(蕪村59歳)句帳ほか



■この句は、時間が空間的に捉えられている。「出て」という動詞に、その空間性が集約されている。夜から朝への時間の推移が、川が闇から出てくる、という空間性で表現され、季語「みじか夜」が生きている。そして、この時間と空間の根源には、自然に働きかける人間の社会的な労働活動が存在する。




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蕪村の俳句(126)




■旧暦6月19日、金曜日、曇り、大暑。

きょうは肌寒かった。桶川は、このところ、深夜のコンビニ強盗が続いている。静かで穏やかないい街だが、時々、物騒な事件が起きる。

ひさしぶりに、官邸前デモに出た。人数は、減っている。できるだけ出たいと思う。



参議院選挙は、改憲勢力が2/3を占めて、危機的な状況にあるが、実は、ひとつ大きな希望がある。それは沖縄である。衆参両院4議席ともに、基地移設反対派で占められ、知事も民衆も、島が一丸となって安倍政権と対決している。島尻沖縄担当相は落選したが、菅官房長官は、続投を表明している。一方、福島選挙区で、おなじように落選した岩城法務大臣は、問題化していない。つまり、今度の内閣改造で、交代するはずである。なぜか。島尻大臣を交代させることは、沖縄の民衆に安倍政権が敗れたことを意味するからである。

沖縄に、いま、日本の歴史の本質が集約されている。なぜなら、民衆が権力に対決して立ち上がっているからである。そのため、沖縄は、今後、ますます、不可視になるだろう。辺野古の基地移設反対運動だけではなく、おなじように、政権から暴力を振るわれている高江のヘリポート建設反対運動も、もっと可視化されていいと思う。






天にあらば比翼の籠や竹婦人

明和八年(蕪村56歳)句帳






■解説によると、白居易の長恨歌の中の「天にありては願はくは比翼の鳥となり」を踏まえている。これは、唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌ったかなり長い詩。ここから>>>

この句は、この詩を庶民の生活に転じると同時に、楊貴妃を竹婦人に見立てている。二重の意味で、笑いに転じている。古典をモチーフにしているから、あまり目立たないが、権力を笑うという意味では、川柳の発想に非常に近い。時の権力が、この二人の面影を持っていれば、非常にあやうい句になっただろう。




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蕪村の俳句(125)




■旧暦6月6日、土曜日。梅雨のちくもり、蒸し暑い。浅草ほおずき市。

ダッカのテロ事件、主要新聞を読んだけれど、テロ非難と国外テロ対策の重要性という当然ことを指摘するばかりで、安倍政権になって、中東政策が、イスラエル・アメリカ寄りになったことと事件の関連性を議論したメディは、ほとんどなかった。イスラエルとは兵器の共同開発も進めており、戦争産業を媒介にして、協力関係が強化されている(注1)。

くりかえし、指摘していることだが、戦争を実施するための国内法整備(特定秘密保護法、戦争法)、戦争産業(経団連企業は、ほぼすべてが戦争産業と重なる)への利益誘導、イスラエル・アメリカ寄りの外交政策は、一つの体制を形成している。いったん、戦争体制ができると、体制の暴力は不可視化され、他者の暴力ばかりが可視化される。それは、「敵」を生産することを意味する(体制の外部だけでなく内部にも)。たとえば、メディアのテロをめぐる報道は、こうした<可視/不可視>の構造が存在することを裏付けている(注2)。そのようにして、この体制は起動してゆく。つまり、戦争を体制が外部に(場合によっては内部にも)求めるようになってゆく。だから、戦争体制を作らせてはならないのである。そのための方法は、自公改憲勢力に投票しないことにつきる。


注1)日本がイスラエルと防衛装備研究 無人偵察機、準備最終段階(共同通信2016年6月30日


防衛装備庁がイスラエルと無人偵察機を共同研究する準備を進めていることが、30日までの日本政府関係者や両国外交筋への取材で分かった。既に両国の防衛・軍需産業に参加を打診しており、準備は最終段階という。

パレスチナ問題を抱えるイスラエルは旧・武器輸出三原則で禁輸対象だった「紛争当事国になる恐れがある国」に当たるが、安倍政権が2014年に閣議決定した防衛装備移転三原則(新三原則)によって、初めて装備・技術移転が可能になった。

国家安全保障会議(NSC)が最終判断するが、安倍政権はイスラエルとの関係強化を図っており、共同研究に踏み切る可能性が高い。


注2)バングラデシュ 人質テロ イタリア人を標的か 時間かけ惨殺(毎日新聞2016年7月8日朝刊


【ローマ福島良典】バングラデシュの首都ダッカで起きた人質テロ事件で犠牲となったイタリア人の遺体がローマで司法解剖された。人質は時間をかけて惨殺され、一部は刃物で手足なども切断されていたことが明らかになった。イタリアは、過激派組織「イスラム国」(IS)が拠点の一つとするリビアへの介入姿勢を強めていることから、イタリア国民が報復の標的にされたとの見方が浮上している。

犠牲になったイタリア人9人の遺体は6日、ローマ市内の病院で司法解剖された。7日付コリエレ・デラ・セラ紙によると、イタリア捜査当局は、武装集団が人質をただちに殺害するケースの多い中で、今回は殺害に時間をかけている点などに注目しているという。

レプブリカ紙によると、遺体から弾丸も見つかったが、銃創は致命傷ではなかったとされる。捜査当局は、摘出した弾丸から武装集団が使用した銃の特定を急いでいるという。

また、コリエレ紙は事件現場となったレストランの料理人の話として「テロリストは発砲後、まだ息がある人ののどや手足を切断した」と伝えた。

今回のテロでは日本人7人も殺害されたが、救出された人質の話では、大半が実行犯に捕まった直後に殺されたという。

バングラデシュは「プラダ」や「ベネトン」などイタリア主要服飾ブランドの生産拠点の一つとなっている。殺害されたイタリア人9人中8人は、繊維業界で働いていた。

また、テロや軍事情勢に詳しいイスラエルの民間サイトは今回の事件について、旧植民地のリビアで特殊部隊を展開中とされるイタリアが標的とされたと分析。ISがリビアから地中海経由でイタリアにテロ実行犯を送る代わりにダッカ駐在のイタリア人を狙ったとの見方を示している。

ISのバングラデシュ支部は事件直後の2日、「イタリア人を含む(対IS有志国連合の)十字軍兵士を殺害した」との声明を発表。ダッカでは昨年9月にもオランダのNGOスタッフのイタリア人男性が射殺され、IS系団体が「西洋人を殺害した」と主張していた。




この戦争産業国家社会体制は、たとえば、すでに、こんなところに出ている。

<党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「安保関連法は廃止にすべき」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。

学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。

そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いいたします。>

これは、「学校教育における政治的中立性についての実態調査」と題して、自民党のホームページに堂々と掲載されているアンケートである。ここから>>>

一見、中道の良識派のような、文言であるが、実は、これは、いったん、削除して、文章を練り直して再度アップしている。修正前のアンケートはつぎのとおりである。

<党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。

学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。

そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いいたします。>

元のアンケートはここから>>>

どこを修正したか、わかるように、赤字で示した。自民党自身が、安保関連法は、子供たちを戦場に送ることだとはっきり認めているのがおわかりだろうと思う。こんな戦前の思想犯探しのような「実態調査」を、いま、堂々と行っているのである。スパイの奨励であり、監視社会化の奨励ではないか。

こうした中立を偽装したアンケートを実施すること自体、この政党の狂気を示しているが、つぎの動画を観ていただきたい。



憲法改正誓いの儀式



■自民党の中枢がかんぜんに狂っていることのなによりの証拠である。むかしの自民党とはあきらかに異なる極右政権なのである。自民党はテレビでしきりに、アベノミクスの実績を謳っているが、数字はいかようにも操作できる。アベノミクスの本質は、以前、書いたように、「経団連の経済政策」である(ここから>>>)。そして、いま、述べてきたように、アベノミクスには、もうひとつ、重大な社会的機能がある。それは、安倍政権の極右の本質を隠蔽するためのイデオロギーだということである。大きなまやかしであり、大きな民衆操作なのである。彼ら自民党とそのバックの日本会議は、「天皇制階級社会の実現と固定化」をめざしている。およそ、民主主義的価値を共有しない、民主主義とは真逆の集団なのである。そのなによりの証拠が自民党の憲法改革草案である(ここから>>>)。アベノミクスに騙されないでいただきたい。アベノミクスとは、経団連のための経済政策であり、極右政権の本質をまやかすイデオロギーである。

改憲勢力が2/3を占めれば、改憲の発議を行い、憲法改正の国民投票というシナリオになる。戦争に多くの国民が反対しているから憲法改正は、国民投票では実現しないと楽観しないでいただきたい。憲法9条を、改正の眼目にするとは言っていないのである。どのように、国民に受け入れられるように、この平和憲法を骨抜きにするか、それを考えるはずである。その操作の方法は、ショックマーケティング(概念の大枠はここから>>>)を利用するだろう。つまり、国の内部・外部に非常事態を作り出し、「非常事態条項」を憲法に新しく盛り込むことを考えるだろう。この正当化のために、テロや自然災害、北朝鮮、中国などの脅威とリスクを作り出すだろう。それに沿って、現行の社会体制総動員で、大掛かりな民衆操作を日夜行うはずである。そして、やがて、それが「現実」だと思い込むようになる。現実とは権力に都合よく作り出されるフィクションである。原発の安全神話を思い出していただきたい。あんなデタラメの大ウソが40年以上まかり通ってきたのである。

日曜日の参議院選挙は、アベノミクスが争点ではない。民主主義社会か天皇制階級社会かが問われているのである。





さみだれや名もなき川のおそろしき

句帳(落日庵 遺稿 明和八年 蕪村56歳)


■名もなき川とは、人間社会とは縁遠かった川だろう。それだけに、自然が生のままで、残っている。そんな川にさみだれがどっと降っている。とうとうと流れる野生の川の怖さを描いていて惹かれた。




出典「蕪村句集」



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蕪村の俳句(124)




■旧暦5月24日、火曜日。雨のちくもり。

きょうは、散歩していてあたらしい路地を発見した。柿の実が青いまま、いくつも落ちていた。

7月の第7回銀河朗読会では、はじめて、俳句の朗読も試みる予定。いままで、俳句の朗読は、禁欲していたが、作句上のあたらしい方向性が見えたので、銀河朗読会で、作句と朗読の実験を繰り返してみる気持ちになった。しかし、どのように読むのか、まだ、まったく手探り状態ではあるのだが。



参議院選がスタートして、これだけ問題の多い自民党政権を支持している人々を具体的に観察してみると、共通するのは、アベノミクスで恩恵を受けている人々である。たとえば、経団連の企業の人、株収入で食べている人、電事連関係の仕事をしている人など、見事に、自分の利益と安倍政権の方向性が一致する。戦争になれば、もっと儲かる人々である。それをまやかすために、さまざまなことを言っている。曰く、ポピュリズムには気をつけよう、曰く、民進党のように公約ばかり立派なのは、英国の離脱派と同じ嘘つきである、曰く、共産主義にはだんじて負けない、曰く、世界情勢を踏まえたリアリズムが大切、云々。その自己欺瞞を思うと、笑えるのだが、そのあとで、冷めてくるのは、こうした支配のイデオロギーがmodeとして大量に流行し、利害関係のない人々まで巻き込んでいるからである。



他方、現在のひとつの希望である山本太郎さんたちが応援する人に、ミュージシャンの三宅洋平さんがいる。だが、過去のtwitterの言動を見ると、支持する気になれない。たしかに、祭と政は起源的に同じだが、現在もそのパトスのままでは危ういものを感じる。その危うさが、短絡的な陰謀論に出ている。悪の実体が悪をなしているのではなく、超感覚的な社会関係や社会体制に、悪が組み込まれている。だからこそ、そのシステムを変えなければならない。民主主義には、安易な答えよりも、変革のための強靭な持続性が必要なのだと思う。






腹あしき隣同士のかやりかな

明和八年(蕪村56歳) 遺稿



■一読、どこが面白いのかわからなかった。ここで言う、蚊遣とは蚊遣火のことで、いまの蚊取線香のようなかわいいものではなく、家じゅうが煙に包まれる凄まじいものだったらしい。「腹あしき」とは怒りっぽいこと。短気な隣同士が、まけじと蚊遣火を焚いている可笑しさ。落語みたいで笑える図。俳句で自分を笑うのは、比較的簡単にできる。自分の外部に笑いを見出すのは、非常に難しい。とくに、蕪村のような教養人は、他者を笑うとき、一歩間違えると、嫌みに響く。そうならない一つのヒントは、落語のコンテクストにあるような気がした。




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蕪村の俳句(123)




■旧暦5月9日、月曜日、雨

ベランダの鉢植えのブルーベリーの実を狙って、今年も鵯が出没する季節になった。ことしはネットを被せた。去年は、一瞬の隙をついてすべての実を啄まれてしまったのである。人間の側からすれば、泥棒だが、自然の側からすると、まさに自然な営み。鵯にあげてもいいのだが、家族が楽しみにしている。人間社会は複雑なのである。



6月22日の参議院選挙の公示を控えて、また、自民党が、投票行動の「操作」をしきりに始めた。その操作とは、憲法改悪というcontroversialなissueを隠して、「経済政策」、つまりはアベノミクスを争点にしている。アベノミクスとは結局、何だったのか。次の記事をご覧いただきたい。


アベノミクスで日本企業の内部留保がさらに肥大、“タックスヘイブン”ケイマン諸島への投資額激増も判明!(LITERA 2016.6.12)



 財務省が今月1日に発表した1~3月期の法人企業統計(金融・保険業を除く)によると、「利益剰余金」は3月末時点で前年同期比6%増の366兆6860億円。昨年12月末時点の355兆7652億円を上回り、2四半期連続で最高を更新した。
 この「利益剰余金」というのは、企業が内部に溜め込んでいる利益、内部留保のこと。このぶんは、企業が金持ちになるだけで、市場にはまったくお金が回らない。
 内部留保は安倍晋三政権の発足後、急増しており、2012年12月に比べると、34%増えている。日銀による大規模な金融緩和で円安が進み、企業が海外で稼いだ売上高や利益が円換算で大幅に増加。企業はその増加分を海外の株式(投資有価証券)投資などで運用しているのだ。
 たとえば、財務省が5月24日発表した15年末時点の海外への直接投資の残高(平成27年末現在本邦対外資産負債残高)は151兆6150億円で、前年比6.8%増。前年を上回るのは5年連続だ。
 なかでも、急増しているのが、世界有数のタックスヘイブン(租税回避地)として知られる英領ケイマン諸島だ。日本銀行が5月24日公表した国際収支統計によると、15年末時点の残高は前年比約2割増の74兆4000億円で、05年末時点から10年間で2倍超になった。米国債を中心とした米国への投資(165兆円)に次いで2番目に大きく、フランスや英国を上回る規模。タックスヘイブンに企業の利益が消えていく格好だ。年明けからは急激な円高で企業は景気の先行きを不安視しており、この動きが加速しそうだ。
 一方で、従業員の給与は横ばいだ。法人企業統計では、今年1~3月期に企業が従業員に支払った給与は28兆円と、前年同月比でほぼ横ばい(前年同月比2.2%増)。政権発足時の12年10~12月期と比べると3%減少している。企業の儲けを従業員の賃金の増加と個人消費の増加につなげようとした政府のシナリオは実現していない。
 ただし、富裕層への分配は進む。法人企業統計によれば、役員給与は3兆5731億円と前年同月比で2.9%増。役員賞与は1433億円と前年同月比で22.3%増だ。ますます格差が広がるばかりなのだ。
 安倍政権は消費増税の延期を決断したが、決断すべきは内部留保課税など、法人税への課税強化であることは間違いないだろう。
(小石川シンイチ)


アベノミクスとは、大企業の内部保留金とタックスヘイブンにお金を溜め込んだだけで、完全に、「経団連の経済政策」だったことがわかる。国債の残高は、現在、国と地方をあわせると、1,000兆円を超えている。この利払いがあるために、金利は低金利のまま据え置く圧力がかかる。企業や富裕層は、タックスヘイブンなど、海外への投資で、利殖を行うが、庶民には、元手がないために、これは不可能である。定期預金の超低金利のまま、お金は増えない。国の財政が国債に大きく依存した構造のため、金利を上げることができず、この二極分化構造は固定されている。さらに、大規模な金融緩和で、輸出型大企業に有利な円安が進みやすい。それに加えて、大企業・富裕層を優遇する税制があるために、冨の再配分の阻害が制度的にも固定されている。

つまり、アベノミクスとは「経団連の経済政策」であると同時に、構造改革(財政健全化と税制改革)にいっさいに手を触れないために、格差の拡大再生産を組み込んだ政策と言えるのである。有効求人倍率が増えたとか、株価が上がったとか、政権(はじめ、多くのチンドン屋)がしきりにはしゃぐ、その裏で、格差の拡大再生産の構造が固定されきたということなのである。アベノミクスというのは、政権を支える一部の人々のための経済政策にほかならない。消費税の税率アップが延期になったことがメディアで批判的に報道されているが、そもそも、消費税を上げる根拠が、存在しないことは、アベノミクスによる企業内部保留金とタックスヘイブンへの投資額の増加を見れば明らかなのである。本来、アベノミクスとは「富の再配分の不公正性」としてテーマ化すべき問題なのである。



ここに、もうひとつ、考えておきたい事実がある。それは2013年7月参議院議員選挙の後、12月特定秘密保護法強行採決が行われ、2014年12月解散総選挙の後に、2015年9月安保法制強行採決が行われた、という事実である。この二つの選挙とも、今回と同じように、「経済政策」を争点にして、特定秘密保護法も安保法制も、選挙戦ではまったく触れられていない。これが、自民党が行ってきた選挙の操作である。「経済」は生活に直結し、切実で重要なテーマだからこそ、操作の手段にもっともなりやすい。この「経済政策」の本質が何だったのかは、上述したとおりである。2016年7月参議院議員選挙の後には、憲法改悪が待ちかまえている。この選挙に勝てば、戦争産業国家社会体制(法律・ビジネス・文化(なかでも科学技術)を挙げての戦争体制)の完成に向かって、ひた走るのは火を見るよりも明らかである。

これによって、戦争を前提としたアメリカ社会に、構造的にも追随する傾向が強くなる。オバマが広島で、悪いのはwar itself(戦争そのもの)で人ではない、と演説したのは、実に、今後のことを考えると示唆的なのである。war itselfなる亡霊のように都合のいい存在は、この世には存在しない。warには、戦争産業国家社会体制(the total war-cultural system)という一つの確たる体制が先行するからである。war itselfと言うかぎり(そのように現実を直視しようとしない限り)、ふたたびwarは繰り返されるのである。







宵ゝの雨に音なし杜若

明和八年(蕪村56歳)句帳



■杜若や山百合のように、ある程度、背丈がある花に、背後から気配を感じることがある。思わず振り返ると、花だったということはないだろうか。蕪村のこの句の杜若には、そんな気配がある。それは、「宵ゝの雨に音なし」という措辞の効果だろう。音のない雨は、この場合、夏の五月雨だが、どこか春の雨を思わせる。そして「宵ゝの」という措辞が、夜ごとの逢瀬のような響きを伴う。艶やかな風情の杜若。この雨は、実は降っていないのではないか。幻の雨が夜ごと杜若に降っている。そんな幻影を見た気がした。





出典「蕪村句集」



蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
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蕪村の俳句(122)




■旧暦2月21日、火曜日、春日。

2月の下旬に、浦和で、作家の金石範さんの講演「戦後70年 今、思うこと」(主催:自主講座・埼玉文学学校)を聴く機会があった。そのとき、在日差別の問題について質問をしたのだが、あとで、それをめぐって、在日の友人の友人とちょっとした口論になってしまった。彼にも言い分があり、わたしにも、言い分があるのだが、帰り際、金石範さんに挨拶したとき、金さんは、こう繰り返した。「先人たちは容易ならざる遺産を遺した」この言葉は、もともと、ドイツ敗戦40年にあたる1985年5月8日に、西ドイツ連邦議会で、ヴァイツゼッカー大統領が行った演説「荒れ野の40年」の中の言葉である。正確には、ヴァイツゼッカー大統領は「先人たちは容易ならざる負の遺産を遺した」とドイツ国民に語りかけている。在日最長老の作家、金石範さんは、「負の」という言葉を省略し―それは、目の前の戦後生まれのわたしに対する気遣いである―日本人のわたしに、繰り返し、「先人たちは容易ならざる遺産を遺した」と言った。この意味は何重にも重い。

きょう、戦争体制を前提にした安保関連法が施行された。現代の戦争は、ベトナム戦争が、その起源にあると思う。つまり、住民を巻き込んだ「巨大軍事力対テロの戦争」という形態の戦争である。明確な戦闘の前線がなく、戦闘員と非戦闘員が分かれていない。アフガニスタンやイラクやシリアで、どれだけ、市民が殺戮されただろうか。パリやブリュッセルのように、その戦争の前線は、突如、こちら側の日常の中に現れる。日本人のISIS戦闘員が存在しても、もはや、なんの不思議もない。今後、原発や東京でテロが起きても、なんの不思議もないのである。

いままで、武力で解決した戦争があっただろうか。戦後70年経ったあの戦争も、いまだに、解決しているとは言えないのである。それは、ヴァイツゼッガー大統領の言葉や金石範さんの言葉に明瞭に現れている。そして、なによりの証拠が、沖縄の基地問題であり、在日朝鮮人の問題である。あの愚かな戦争がなければ、いまの辺野古の基地問題は存在しない。朝鮮半島を含む、あの誇大妄想の植民地体制がなければ、「在日朝鮮人」という社会的存在そのものがない、南北朝鮮という冷戦構造そのものがない。安倍政権は、原発問題にしても、戦争法にしても、自分たちの政権を、資金と票で支える国家利権村に資することだけしか考えていない。この法制によって、欧米を含む国際国家利権村に完全に組み込まれるのは、間違いない。それは、アメリカのように、戦争を前提とした社会体制の成立を意味している。この法制の目的は、日米同盟の強化ではなく(あの幼稚園なみのテレビの説明!)、国際国家利権村への参加を法的に正当化することなのである。これ以上、「負の遺産」を、子孫たちに遺してはならない―このことは、はっきりしているのである。



めしつぎの底たたく音やかんこ鳥

句帳ほか 明和7年



■めしつぎは、飯びつのこと。かんこ鳥とは、たいていの歳時記では、郭公のことと説明されている。「閑古鳥が鳴いている」というときの閑古鳥である。このテキスト『蕪村句集』では、古今伝授の秘鳥の呼子鳥(よぶこどり)のことと捉えている。これは、いったい何か、よくわからない。そもそも、古今伝授とはなにか。

古今伝授(伝受)
最初の勅撰集『古今和歌集』は、和歌を学ぶための基本として尊重され、歌道では特別な扱いを受けた。その解釈等は師から弟子に相伝されるようになり、形式が整備されたものを「古今伝授(伝受)」と呼ぶ。一般には、15世紀後半東常縁(とうのつねより)から宗祇への伝授がはじめとされる。後世の形によれば、他言しないという誓紙を提出、師の講義を聴講筆記し、特に重要とされる難語の解釈は切紙に書かれ、ものものしい儀式によって伝授された。最後に師の認可証明を受ける。有名な「三木三鳥(さんぼくさんちょう)」をはじめ、いろいろの秘伝があった。このような伝授は、閉鎖的、荒唐無稽として、江戸時代の国学者に厳しく批判されることになる。『源氏物語』『伊勢物語』など他の古典に関しても、秘説の伝授が行われていた。

*三木三鳥 古今集にある「をがたまの木」「めどにけづり花」「かはなぐさ」の三つの植物名と、「稲おほせ鳥」「呼子鳥」「百千鳥」の三つの鳥名。古今伝授では、例えば三木を三種の神器や正直、慈悲など三つの徳目に当てはめるなどの解釈がなされた。

引用元:国立国会図書館のサイト

古今伝授は、15世紀後半東常縁(とうのつねより)から宗祇への伝授が起源だというところに興味を惹かれる。呼子鳥とは、万葉集にはじめて登場する鳥らしい。人を呼ぶように鳴く鳥を意味した。郭公や時鳥、鶯、鵯などと言われている。たとえば、万葉集には、呼子鳥は、次のように出てくる。


大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる

神なびの石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる

世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ

滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥

我が背子を莫越の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに

春日なる羽がひの山ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰れ呼子鳥

答へぬにな呼び響めそ呼子鳥佐保の山辺を上り下りに

朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ

朝霧の八重山越えて呼子鳥鳴きや汝が来る宿もあらなくに


古代は、鳥の認識が区分されていなかったので、上記の鳥を総称して呼子鳥と言っていたのかもしれない。古今集では、たとえば、次の歌がある。

をちこちのたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな 猿丸大夫

この呼子鳥の正体は、歌人、俳人、国学者を悩ませたらしく、其角は次のような句を作っている。

むつかしや猿にしておけ呼子鳥  其角


■「めしつぎの底たたく音やかんこ鳥」を呼子鳥と見ると、大仰な儀式で伝えられた秘伝の鳥は、確かに、滑稽な感じになる。中の8音という字余りが、調子を外す役目もしていて、滑稽感が余計に増す。だが、この蕪村の句は、其角のような意味の直接性がない分、万葉集の歌や古今集の歌を呼び出す力ももっており、古代の支配層の人々(作者不明の歌も多いが)と自然との多様な交流の場を、一瞬、想像させる。





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蕪村の俳句(121)




■旧暦2月18日、土曜日、晴れ、春寒。ライトダウンがまだ必要。

平成の3怪人、ホリエモン、佐村河内守、乙武洋匡の3人に注目している。ホリエモンは、グローバリゼーション=新自由主義の今後の動向を示す人物として。彼は宇宙開発に突き進んでいる。AI技術や原子力技術の地球外「平和利用」の可能性、物理学の新知見、ナノテクや遺伝子工学など、宇宙開発促進の科学技術的な条件が整ってきている。もう10年もすれば、この分野は劇的に変わるのではないか。今後、グローバリゼーションは、間違いなく、宇宙へ進出するだろう。それは新しい植民地主義の誕生を意味している。

佐村河内守氏は、森達也監督の「FAKE」が6月4日にユーロスペースほかで公開される。佐村河内氏は、ただのペテン師ではなく、存在の使用価値よりも、交換価値が格段に優越した、高度情報化社会・高度消費社会を象徴する人物である。いまも、耳の不自由な人物を演じるこの人物のその後の行方は、そのまま現存社会の行方と重なる。

乙武洋匡氏には、ある種の危惧の念を持っている。2005年10月に、障害者自立支援法を、障害者の多くの反対の声を押し切って強行に成立させ、しかも、現在、人権を制限し国家の権限を強化する憲法改正案を掲げるような政党から、出馬しようとすること自体、この人の政界進出の目的が、自民党議員の地位、つまり権力そのものにあることは明らかであり、欲望をコントロールできない人物が、権力をどう使用するかは、火を見るより明らかであるから。





時鳥棺をつかむ雲間より

句帳(落日庵 句集) 明和7年



■時鳥の声は、あまり聞いたことがない。聞いているのかもしれないが、それと認識したことがない。Youtubeで検索すると、こんな感じらしい。イメージとしては、もっと切迫した鳴き声の感じを持っていたが、これを聴く限り、どこか鶯に似ている。人間社会と時鳥の関わりは古く、万葉集には150首も、時鳥を詠んだ歌があるという。

この句、時鳥の負の面を表している。普通、和歌では、さわやかなプラスのイメージで詠まれるこの鳥を、たとえば、時鳥鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる(藤原実定)、俳諧になると、鳴き方を不吉に転じて、冥途とこの世を往来する鳥、地獄を住処とする鳥という見方が出てくる。不如帰とや地獄もすみかほととぎす(季吟)、ほととぎす棺に物を書くやらむ(暁台)。この見方の逆転が起きた理由や経緯に関心があるが、時鳥を詠んだ歌の最初期に立ち戻ると、ヒントがあるかもしれない。また、中国の文献も影響しているのだろう。この鳥の名称の漢字の多さにも、その両面性は現れている。

さわやかな時鳥もいいが、根の国や地獄からからやってきた時鳥も、とても面白い。





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蕪村の俳句(120)




■旧暦2月15日、水曜日、彼岸明け、満月。

東電福島原発事故刑事訴訟支援団へ年会費を送付。金曜官邸前デモに、2013年から、月に一度くらいのペースで参加していく中で、この刑事裁判の支援団のことを知った。二度の検察庁の不起訴処分を超えて(この検察の判断が「国家利権村(原子力村含む)」の所以である)、2015年7月に、検察審査会が、東電の勝俣元会長、武黒元副社長、武藤元副社長の3名を、津波対策を怠って、原発事故を起こし、死傷者を出した業務上過失致死で、起訴すべきことを決定した。

今も10万人もの人々が元の土地に戻れず、不自由な生活を強いられている。事故の後、多くのいのちが自殺や慣れない生活の中で失われたが、いまだに、だれも責任を取っていない。事故の全容解明も、なされていない。そんな状況で、原発再稼働や原発の輸出にやっきになっている安倍政権。これはどう見ても、狂っているのではないか。

この裁判が、津波対策を怠ったことを焦点化しているのは、やや、疑問を持つが、というのは、そもそも、津波対策以前に、原発の耐震性に問題があり、そのことを、国家利権村は、確率論を用いた安全神話(この点については、2012年の東京情報大レクチャー「偶然と必然、あるいは確率と因果律」で詳しく展開した)で正当化してきたからだが、それでも、刑事責任を明確化するこの裁判は、とても意味のあることだと思う。

年会費は、一口、1,000円からである。文庫本一冊我慢すれば済む。「構造的な悪」にだれも責任を取らない退廃した状況は、ただ倫理的に許されないだけではない。これを放置すれば、次に、この「構造的な悪」は、自分に向かってくる。なぜなら、われわれは、この構造にすでに深く組み込まれているからだ。福島原発事故が起きたとき、責任主体を明らかにしないまま、「首都圏の電気の使用者にも責任がある」などという詭弁で、広く加害者を作りだし、真の責任主体をまやかしてきたのは、この「構造的悪」、すなわち「国家利権村」ほかならないのである。このまやかしに加担しているところまでが、国家利権村の範囲と言って差し支えないと思うが、これがやっかいなのは、現実に国家に利権のある人々だけでなく、権威・権力への過剰適応をしている人々(被操作主体)も含まれる点にある。





法然の数珠もかゝるや松の藤

明和7年 五車反古ほか



■宗教と俳人の関係は、なかなか、興味深い。いっとき蕪村は浄土宗の僧侶だった。どの宗教を奉じたかで、その俳人の社会的スタンスがある程度、わかる気がする。蕪村や一茶は、浄土宗と浄土真宗なので、庶民と言っていいのではないだろうか。松にかかる藤の花の見事さを法然の数珠に見立てている。

芭蕉は仏頂禅師との交流から、臨済禅に傾倒していたらしいことがうかがわれるが、臨済宗は、まったくの庶民の宗教とはなかなか言いがたいのではないか。鎌倉に入ったときには、武士の宗教だったわけだから、支配階級の宗教という面も持つだろう。庶民が完全に他力本願で「あなた任せ」になってゆくのと対照的に、禅はどこまでも求道的で自己研鑽的。蕪村や一茶に、芭蕉のような段階的な発展(変化)のようなものが截然としてないのは、宗教との関わりも大きいように思う。

蕪村のこの句、法然への帰依と称賛が、素直に現れている。





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蕪村の俳句(119)




■旧暦2月13日、月曜日、晴れ。

土曜日は、公開講座『ルカーチの存在論』25周年の最終日。いま、もっともアクチュアルなテーマである憲法について、さまざまな議論を交わすことができた。報告は、『日本を戦争する国にしてはいけない』(小西洋之著)をもとに、わかりやすく自民党の解釈改憲の問題点や憲法改正案について、まとめてあった。

報告の中で、驚いたのは、文書化された昭和47年の政府見解を、2014年に安倍内閣の横畠内閣法制局長官が歪曲し都合よくでっちあげてゆくプロセスである。

詳しくは、この本と、後日アップする予定の公開講座のレジュメを見ていただきたいが、「(日本への)外国の武力攻撃」という自明の部分が「(同盟国への)外国の武力攻撃」というふうに、でっちあげられて無理やり集団的自衛権を正当化していく。自明な主語や目的語は、書かない、という日本語の特質を、逆手にとって、時の政権に都合のいいように論理を捏造してゆくのである。

その部分だけレジュメから引用すると:

「しかしながら、だからと言って、平和主義をその基本原則とする憲法が、右に言う自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それはあくまで(同盟国への)(この部分はもとの政府見解にはない)外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するため取られるべき必要最小限の範囲にとどめるべきものである」(昭和47年政府見解の一部)

この緑で書いた追加部分については、昭和47年の政府見解作成責任者3名から九条をどう読んでも出てこない解釈という批判がでている。ここで、述べたいのは、横畠長官の解釈は、歴史的にも論理的にも、破たんしているということである。第一に、(  )で追加されたデタラメがあり得ないのは、「(日本国への)外国の武力攻撃」という趣旨が自明であったからこそ、省略されたのであり、自明な主語や目的語を省略するのは、日本語の言語的な習慣であり特徴であること。第二に、「日本国」と「外国」は互いに排他的な関係にあるが、そのため、この部分に(日本国への)が入っても論理的な破たんをきたさないが、「同盟国」と「外国」は排他的関係ではなく、「同盟国」は「外国」に含まれる。したがって、「(同盟国への)外国の武力攻撃」は論理的に破たんしている。もし、そういう趣旨なら、「(同盟国への)同盟国以外の外国からの武力攻撃」となっていなければ、省略はできないはずである。政権に都合のいい部分だけ省略されているとする、きわめて悪質で政治的な解釈である。

この問題は、かつて、ロマン・インガルデンの「無規定箇所」という観点から、詳しく展開したことがある。ご興味のある方は、東京情報大学で2010年に行ったレクチャー「情報とイデオロギー、あるいは知と信の問題について」の第3章をご覧ください。

今回の「憲法の問題」では、憲法が近代の民族国家の枠組みを前提に成立している根本的な問題点を、現行憲法の対象から、現実的には外されている「他者の問題」という観点から見てみるために、大江健三郎のエッセイ集『持続する志』(1968年刊)から、沖縄問題に触れたものを、2篇資料として用意した。「他者」と、ここで言っているのは、現行憲法の権利の恩恵を受けずに、疎外されている人々を指している。沖縄の人々や在日の人々、アイヌの人々や、精神病者、障害者、ハンセン病者、CP(脳性麻痺)LGBTの人々などである。

残念ながら、この「他者の問題」は深まらなかった。議論がそこへ至る余裕がなかった。上記に述べたように、あまりにも、杜撰で悪意に満ちた諸問題と格闘するのが精一杯だったからである。そもそも、自民党の改憲案を通してしまえば、現状でも、憲法の効力が及ばずに、基地問題や差別問題や貧困問題で苦しむ人々への「構造的悪」を再生産するどころか、拡大再生産してしまう。今度の夏の参議院選挙は、その意味では、日本国民の問題であり、同時に、「日本国の他者の問題」でもある。この点はとても重要だと思う。他者こそ、自分のことだからである。


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しら梅のかれ木に戻る月夜哉


句集 明和7年




■これは梅が散った直後の月夜であろう。梅の枝に、月が花のように咲いている。その見立ては、この梅の木が小高いところにあって、見上げる形にならないと成立しないだろう。満月に近い月だと思う。まだ、朧にはなっていないが、冬とは明らかに違う月。その情景を想像すると、梅の木も月もそれを見ている人も、相互に、循環し浸透しあっているような気分になる。月が梅になり梅が人になり人が月になる。それぞれの存在の境界が、春の気配の中で次第にあいまいになってゆく。このあいまいさは、春の夜に見る夢に似ている。月は、ふたたび、失われた花を蘇らせる。時間を逆行して。それを見ている人も、すでにこの世の人ではないのかもしれない。


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