verse, prose, and translation
Delfini Workshop
芭蕉の俳句(27)
2012-04-30 / 芭蕉
■旧暦閏3月10日、月曜日、
(写真)花水木
今、そこここで花水木が満開である。いい季節になったが、どうも、気分は晴れない。「『パンセ』数学的思考」(吉永良正著、みすず書房)を読み始める。最初に、パンセから、たぶん、新たに訳出したと思われる断章が引用されていて、改めて、心を打たれた。
神を直感するのは心であって理性ではない。信仰とはそういうものだ。理性ではなく心に感じられる神。
こういう感覚は、汎神論的で、ものとひとの区分が、明確ではなく、連続的な風土にあると、よくわかる気がする。『カムイ外伝』第三部完結篇で、カムイが、仕官のため自分を殺しに来た浪人に最後に述べた言葉。「しょせん人は、多くの生命を糧にこの世に在る。おごるまいぞ...」こういう感覚と、どこかでつながっているような感じがする。
わたしは、人間を礼賛する側につく人たちも、人間を非難する側につく人たちも、気晴らしの側につく人たちも、みな等しく非難する。わたしが認めることができるのは、うめき、苦しみながら追い求める人たちだけだ。
こういう言葉は、現代医学の観点からは、全身に転移した末期がんだったと診断されているパスカルの実存が、普遍的な思想へと昇華されていくプロセスを見るようで感動する。
スイスの詩人、romie lieとのpoetic collaborationsが徐々に始動。今後、2週間に一度のペースで連詩を巻いて行くことになる。コメントもオープンにしているので、ご興味のある方はどうぞ。ここから>>>
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行春を近江の人とおしみける 元禄3年
■この句が広がっていくのは、「行春」と「近江の人」という言葉の使い方なのだろう。「近江の人」が過去から現在へと続く人間と自然の相互行為の歴史を感じさせる。時間が琵琶湖全体に空間化されながら、春の最後の気配が、琵琶湖に立ちこめている。「けり」と切れずに「ける」と連体止めになっている句形も、芭蕉の息遣いを、今のわれわれに伝える効果があるのではないだろうか。
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芭蕉の俳句(26)
2012-04-24 / 芭蕉
■旧暦閏3月4日、火曜日、
(写真)葉桜
早朝から作業開始。局面が変わったので、作業項目一覧を作成する。朝、30分、筋トレなどの運動。今日は、午後・夜に外で仕事。「へうげもの」Vol.14読了。面白かった。戦国時代は、今から見ると、異常な時代だ。暴力が日常的で、暴力をめぐる作法が、思想として確立している。そんな印象をコミックから受ける。民百姓の視点や俳諧連歌の視点があれば、もっといいと思う。
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阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍
■長崎出島のオランダ商館長の将軍謁見は、毎年春に行われたらしい。芭蕉の俳句に記録が残っていて面白い。
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芭蕉の俳句(25)
2012-04-22 / 芭蕉
■旧暦閏3月2日、日曜日、
(写真)無題
このところ、毎日、30分は運動をしているので、寝つきが非常にいい。耳鳴りがひどくて睡眠薬を常用している身としては、結構な状況である。
土曜日は、哲学塾に参加。2007年から参加しているので、早いもので、今年で6年目になる。ずいぶん、いろいろ、眼が開かれたと思う。哲学は難しいものというイメージから、哲学は善く生きるために必要なもの、というふうに大きくイメージが変わった。ヘーゲル、マルクス、ルカーチ、マンハイムに再会したのも、ここだったし、シオランを知ったのも、ここだった。フランス語の勉強を始めようと思ったのも、ここでの経験が大きい。
スイスの友人、romie lieと、Fukushimaをテーマにウェブ上で連詩を巻く計画を練っている。資料を集めて、ルールなどを検討している。早ければ、連休明けぐらいから、月に一、二度くらいのペースで連詩を巻いてゆくことになると思う。言語は、英語、ドイツ語、フランス語、日本語の4カ国語になる。どういう展開になるのか、見当がつかないが、楽しみにしている。詳細は、ここで告知します。
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年々や桜をこやす花のちり 元禄4年
■「年々や」という措辞に惹かれた。「桜をこやす花のちり」という認識が、めぐる時間の中に置かれ、単線的な歴史観とは少し趣を異にしている。時とともに、自然も社会も変化するが、変化しながらも、また、季節が、めぐって来るという感覚は、心に、不思議な安心感をもたらすのではないだろうか。
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