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1月30日(日)のつぶやき

19:15 from web (Re: @sekihan
@sekihan まったくふざけた話で、ムバラクは、エジプト市民を飼殺しにしていますね。ただ、ムバラク政権はない方いいですが、その後のオルタナティブが難しいでしょうね。
21:48 from goo
芥川龍之介の俳句(20) #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/2429aa3d02fd79a013476e1452f1ded1
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一日一句(12)






凍鶴の啼くやこの世に罅一つ





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芥川龍之介の俳句(20)


■旧暦12月27日、日曜日、

(写真)落書き

朝、叔母の確認。第一詩集の3校を戻す。何回も読みなおしたので、しまいには、自分の詩に厭きてきた。早く、新しい詩を書きたくなった。俳句をより根源的に探求していくことから、それは生まれると信じている。

午後、いつもの喫茶店で、全国紙全紙に目を通す。日曜日は、書評が載るので、なるべく、目を通すことにしている。朝日に、『L'insurrection qui vient』(日本語版『来るべき蜂起』彩流社 2010年5月)の書評広告が載っていた。原著が出たのは2007年だが、翻訳が出ているのを知らずに、原著を求めたのが、今年の1月の初旬。紀伊国屋では、入荷したての様子で、平積みになっていた。このテキストは、成立経緯がよくわからない。著者がcomité invisible(見えない委員会:日本語版では「不可視委員会」となっている)、版元がLa fabrique éditions。英語版もすでに出ている。エジプトなど、アラブ諸国で民衆蜂起が起きている現状では、アクチャルかもしれない。広告によると、フランスの政治・哲学雑誌『ティクーン』の運動と関連するらしい。この雑誌はいったいなんだろう、と思って調べてみたが、よくわからない。雑誌が、一つの運動体になるというのは、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど、欧州の社会運動で、よく見られる。未読だが、このテキストには、たいへん興味をもった。



日盛や松脂匂ふ松林   大正8年

■夏の日盛りの情景が、匂いでよびさまされるようで惹かれた。



Sound and Vision









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1月29日(土)のつぶやき

08:30 from web (Re: @haiku_shelf
@haiku_shelf thank you so much for #ff. plum blossoms// the noon moon/ in another world #haiku #poetry
20:15 from goo
与謝野晶子の歌 #goo_delfini2 http://bit.ly/ifV0N7
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一日一句(11)






凍鶴に時の影さす真昼あり










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与謝野晶子の歌


■旧暦12月26日、土曜日、

(写真)in Basel

朝、叔母の確認、腰痛のため、痛み止めを服用してもらう。深蒸を飲みながら新聞を読み、ゆっくりする。お茶を飲みすぎて、歯に渋がつくようになったw。午後、コースBをウォーキング。今まで気がつかなかったが、与謝野晶子の小さな歌碑がいくつも立っていて、「ひなげしの径」と命名されている。大正時代に二回ほど、千葉大の園芸学部を訪れたらしい。歌集にそのときの歌がまとまって残っているようだ。与謝野晶子と言えば、日露戦争のときの反戦歌が思い出されるが、第一次大戦、二次大戦では、戦争を肯定し賛美する歌を書いている。この変化はなかなか興味深い。1912年に、鉄幹の後を追って、パリにわたるが、ちょうど、ミュンヘンではカンディンスキーやマルクの「青騎士」が活動を始めた時期にあたる。晶子も、ドイツに立ち寄っているので、もしかしたら、街でポスターでも見たかもしれない。

短歌は、俳句ほど好きじゃないのだが、晶子の歌碑でいいなと思うものがいくつかあった。




天に去る薔薇のたましひ地の上に崩れて生くるひなげしの花



時は午路の上には日かげちり畑の上にはひなげしのちる



浅間の森の木暗しここはまた夏の花草火投げて遊ぶ





ウェブで調べていたら、与謝野馨氏の祖父母を語る動画が出てきた。政治姿勢に一貫性がないのは、晶子の反戦姿勢とよく似ているが、この話は、なかなか、面白かった。30分強あるので、時間のある方はどうぞ。>>>ここから













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1月28日(金)のつぶやき

10:06 from goo
「カンディンスキーと青騎士」展 #goo_delfini2 http://bit.ly/eSyNLW
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一日一句(10)





それぞれに散つて一人の焚火かな















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「カンディンスキーと青騎士」展

■旧暦12月25日、金曜日、

(写真)Basler Muenster

このところ、チュニジア、アルバニア、イエメン、エジプトで反政府デモが、フェイスブック経由で頻発している。インターネットでデモが組織され、政治権力と対峙する構図は、古くは、1999年末にシアトルで行われた反WTOデモまでさかのぼるが、2009年に翻訳した『サイバープロテスト』で分析された事態が、フェイスブックというツールで、より手軽に、より迅速に実現できるようになったと感じている。社会運動系のブログやホームページが、コントロールが難しいという理由から、相互コミュニケーションを放棄しているケースが多い中で、フェイスブックは、友だちのつながりで構成されるので、相互コミュニケーションが、むしろ、このメディアの本質と言っていいように思う。その意味では、もともとウェブの潜在力だった相互コミュニケーション力がうまく生かされたのかもしれない。大きな抑圧も社会の側に広範囲に存在したのだろうけれど。

権力では、いつも国家権力が目立つが、同じように、メディア権力や経済権力、宗教権力なども、重要な問題を引き起こしていると思う。これらは、「問題化」しないように巧みに立ち回る。しかも、悪質さでは、引けを取らない。とくに、注目したいのは、こうした権力同士の連動である。このとき、重要なのは、やはりイデオロギーの問題だろうと思う。イデオロギー、言いかえれば、この時代の社会的カテゴリーを供給しているものは何か。メディアである。「政治と金」という大合唱で何が起き、何が見えなくなったか。メディアは、資本統合され、諸権力の資金が、経営に流れ込んでいるので、実質的には、諸権力のコントロール下にあると言っていい。批判は本質には届かず、イデオロギー洗脳装置の役割を演じている。権力に対抗するところから生まれたはずの言論の自由と編集権は変質し(ここでは、もともと変質していたのかもしれないが)、実証主義が「客観性」という虚偽を装って現れる。難しいのは、こうした諸権力に関わらないと飯が食えないことで、つまりは、広い意味で、自らも、権力の一翼を担っているわけである。言いかえれば、半ば承知で洗脳されているわけである。

このとき、重要なのが、「感情」である(「感情」と「論理」は対立するばかりでなく、「感情」は論理の一部でもある)。感情はとても両義的なものだと思う。メディアのやりかたを観ても、必ず、感情に訴え、感情的なつながりを構築しようとする。これは、物を売るときのコミュニケーションの基本でもある。洗脳が行動へと至るかどうかは、感情的なつながりができるかどうかにかかっている。

この意味で、フェイスブックは、上手く行ったのだろう。



「カンディンスキーと青騎士」展へ行く。とくに、そのつもりはなかったが、観ていたら、pattern poetryのことを念頭に置いていた。展覧会は、カンディンスキーの実験と変貌をうまく伝えていた。最初に、色の実験から入るのだが、絵を観ていると、写実的な絵に色だけ、自分の主観的なものをつけていく。最初は、印象派の絵を観ているような感じだった。だが、徐々に、形の再構成に入る。形よりも色彩を重視するようになり、画面は、造形性を失い、流れるような感じになる。しばらくすると、色彩の中に、幾何学的な模様が現れてくる。最初の写実的な造形は、いったん、解体されて、単純な三角や四角に再構築される。このとき、非対称な図形や不均衡な図形が現れ、これが画面に動きを与え、一種の「リズム」を生む。そういうとき、実験的な色彩は旋律のような気がしてくるのである。カンディンスキーは、外的な存在から受けた印象を元に描いた絵を「印象」、内面的なものに動機を持つ絵を「即興」、これら二つを構築したものを「コンポジション」と呼び、自分の絵画に段階を想定していた。

こうした一連の実験は、ムルナウというミュンヘン南部の村の自然が触発することになり、なかなか、興味深かった。村の自然の印象と自己の内的経験がぶつかって、一つの作品へと昇華されていく。抽象画は、自然と切れた都市の芸術という印象があったので、カンディンスキーたちのムルナウ体験は面白かった。

pattern poetryに話を戻すと、非対称な図形や不均衡な図形、単純な幾何学的な模様を文字で構築する点は、カンディンスキーの抽象画に似ている。pattern poetryは線ではなく文字で画面を構成するのであるから、「読む」という行為もそこには含まれる。音読であれ目読であれ、詩の意味ではなく「響き」が図形という一定のリズムとともに立ち現れる。抽象画の色彩がメロディーに近いものだとすれば、pattern poetryの連続する文字の「響き」、あるいは、繰り返される一連の単語の「音」は、ハーモニーに近いのかもしれない。

詩や俳句は、もともと、意味だけで成立しているわけではない。言葉の周囲にある風光までもが詩である。pattern poetryは、朗読できないという点で、visualな詩と言えるが、では逆に、通常のテキストの詩を朗読できるのか、という根本的な問題も提示する。書かれた文字のテキストは、ごくあたり前のように、朗読されているが、書かれた文字の視覚的要素やその周辺にあるもの―光や影や響き、リズム、ハーモニー、余白、漢字の味わい、風味など―をすべて朗読で再現することはできない。これは、見たものすべてを言語には変換できないというパラドックスである。

そう考えると、逆に、pattern poetryを朗読する試みがあっていいように思う。これは、多数の人間による、アンサンブル、響きの祭典のようなものになるのではないか。これが実現されると、カンディンスキーなどの抽象絵画に拮抗できる詩になるかもしれない。

話は変わるが、この「青騎士」のキーパーソンは、理論的には、カンディンスキーだが、経済的には、ベルンハルト・ケーラーである。ケーラーは、裕福な産業資本家で美術コレクター、青騎士メンバーの親せき筋にあたる。ケーラーがメンバーの絵画を買いあげたり、「青騎士」年鑑発行の費用を負担したりしてくれたので、この運動が成立した。海のものとも山のものとわからない、当時最先端の前衛芸術を理解し、金を出そうという資本家がいたというのは、驚きであった。ユダヤのつながりがどこかにあったのかもしれないが、いずれにしても、欧州の教養の厚みを感じさせられた。ちなみに、芸術家集団「青騎士」が誕生した1911年は、日本では大逆事件が起きた年である。一次大戦、二次大戦と、軌道に乗り始めた「青騎士」の運動は翻弄されていく。








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一日一句(9)





紅梅や彼の世のごとき昼の月





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