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RICHARD WRIGHTの俳句(36)

■今、那覇にいる。この数日、地元の人なんにんかとしゃべったけれど、当然といえば当然ながら、本土に対して複雑なものを感じましたな。They=日本人、Our=シマンチュという枠組みを感じますね。そこには、誇りも哀しみも怒りもある。シマンチュの島というのは、自分の故郷を指し、沖縄本島内でも、自分の島は、那覇市だよとか、沖縄市だよという使い方をするらしい。沖縄は無人島も含めると160もの島からなっているので、自然、そういう認識になったのかもしれませんね。石垣島や宮古島、沖縄本島では、すでに言葉がまったく違い、方言で話されると、お互いに聞き取れないと言う。ここには、豊かな多様性があるように感じますね。沖縄県という近代的な枠組みで、この地域を見ると、ちょっと違うんじゃないか、とも感じますね。しかし、「近代」というのは、光と影を伴いながら、地上で猛烈な力を振るっていますね。



(Original Haiku)
A blick tenement
Is receiving furniture
In a light snowfall.


(Japanese version)
レンガのアパートに
家具が運び込まれている
小雪舞う中


(放哉)
大木にかくれて雪の地蔵かな


■ライトはどうしても説明的になる。たとえば、最後の前置詞句をIn抜きのただの一行にしたら、この句の印象はずっと鮮烈になるのではないだろうか。面白いのは、receiveの使い方で、A blick tenementが人格をもったように感じられた。用例を調べていないので、はっきり言えないが、擬人法的かもしれない。

放哉の句は、雪の地蔵の発見がある。やはり、ちょっと息が抜けるというか、くすっと笑える感じがした。
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RICHARD WRIGHTの俳句(35)

■旧暦8月3日、木曜日、

沖縄の夜空は暗く澄んでいる。満天の星月夜である。



(Original Haiku)
Venturing outodoors,
The children walk timidly,
Respecting the snow.


(Japanese version)
外は危険が一杯
子供たちはこわごわ歩く
雪に足を取られないように


(放哉)
みんなが夜の雪をふんでいんだ


■ライトの句、一行目に切れを入れている。こういう使い方がいいのではないか。ただ、景は凡庸だとは思う。放哉の句、シーンとした雪に囲まれた部屋が後に残った。そして、だれもいなくなった。しづかな句だと思う。
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