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一日一句(3095)


寺町御門の西天の有明





然れども西天に有明の月






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往還日誌(104)







■10月30日、月曜日。【イスラエルはジェノサイドをやめろ!京都デモ 20231029】四条河原町付近

断珈5日目。代わりにアッサムを飲む。きのうは、朝5時に起きて、ルソー読書会の準備。4時間半くらいしか寝ていなので、いい議論はできなかった。

ルソーの社会契約論は、社会契約が成立したあとのコミュノテのありかたを描くが、土地の先占権が正当だと言えるのは、3つの条件が必要だとしている。1.その土地にすでに住んでいるものが誰もいないこと 2.生存するために必要な広さの土地しか占拠しないこと 3.空虚な儀式ではなく、労働と耕作によって、占有すること。

こうした優れた議論が18世紀の欧州には存在した。にも拘わらず、これは絵にかいた餅だった。

キリスト教に基づいた文明と野蛮の2項対立を作り出すことで正当化したアフリカ諸国への欧州の植民地支配を見れば一目瞭然であり、今、目の前で起きているイスラエルの、先住民のパレスチナ人を虐殺して、自分たちの土地にしてしまおうとする旧約聖書の世界を反復した旧約聖書原理主義的狂気を見れば一目瞭然である。

なぜ、ルソーの理論は絵にかいた餅に終わってきたのか。「理念」としては、各国の憲法や国際法に取り込まれていても、それもまた、絵にかいた餅だった。それはなぜなのか? ハマスやロシアを国際法違反と断罪するのは簡単だが、ではなぜ、国際法は56年間も、イスラエルによるジェノサイド・アパルトヘイト政策から、ガザを守れなかったのか。なぜ国際法と国内法は、ドンバス地方のロシア系住民に対する親欧米政権によるジェノサイドから8年も守れなかったのか。

こうした問題を、なぜ、そもそも、だれも設定しないのか。

といった問題群こそが問われなければならないだろう。

午後、掃除して、ニコを少し進め、3時ごろに、【イスラエルはジェノサイドをやめろ!京都デモ 】参加のため、京都市役所に向かう。主催者発表でデモ参加者は、230名だった。かなり人は来ていた印象はある。

デモが始まる前、のぼりをもって来ていた「人民新聞」の若い子と少し話す。イスラエル国内の反シオニストの聲なども翻訳記事として報じているという。なかなか、貴重な聲である。れいわ新選組のピンクのジャンパーを着たスタッフの男性も来ていた。土曜日にも行われたデモについて聞く。

ジャーナリストの中村一成さんやアラブ文学の岡真理さんも来ていたので、挨拶。

デモ前のスピーチのとき、自作詩「ガザ」を朗読する。デモや集会で詩を朗読するのは難しい。詩はアジテーションではなく、魂の文学なので、たかぶる気持ちを鎮める効果があるからだ。

デモは御池から河原町を南下。1時間くらい歩いた。

河原町をデモで歩くというのは、なかなか、面白い経験だった。沿道の人も、観光客を含めて、日曜日夕方だったのでだいぶ注目していた。外国人はプラカードの文字を熱心に読もうとする人が多い。Ceasefire Nowには、目を止める白人も多いのだが、I'm GAZAといったガザに直接連帯するプラカードには、目を背ける人もいる。デモ隊は、沿道の人と手を振ったりエールを交換したりした。東京で参加していた反原発デモのときの街の風景と沿道の人達との一体感がしきりに思い出された。

デモが終わって、GOOD NATURE HOTELで妻に頼まれたカカオとたまりの旨塩を調達。好物の「とうふドーナッツ」が2種類あったのでゲットしてきた。

きょうは、早朝、きのうできなかったニコの仕事を進める。


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一日一句(3094)


【イスラエルはジェノサイドをやめろ!京都デモ 20231029】四条河原町付近






たましひの聲がこぼるる秋の道






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一日一句(3093)


清和院御門を下った御所の東の壁に映った朝8時頃の松の影





松影に動かざる秋動きけり






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一日一句(3092)


石薬師御門を上がったところ、御所の北東角付近の夜7時頃





手のひらはしづかなところ十三夜






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一日一句(3091)


夜11時過ぎの京都南天にあがった後の月






ものの音のなつかしきかな十三夜







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一日一句(3090)


河原町今出川のパチンコ『KING』、取り壊しが決定している






労働の手のひらを見る根深汁






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往還日誌(103)







■10月26日、晴れ。御所東側の壁。

6時半に起きて、深蒸を飲んで、7時半くらいから、御所の外周のインターバル・ウォーキングへ。

清和院御門を下った御所の壁の松の翳を写真に撮っていると、時計回りにジョギングする人が北からやってきた。時計回りの人は、初めて見た。自分も時計回り派なので、共感をもって、その背中を見送っていると、へんな音がする。ペタペタというような。足元を見て、驚いた。ビーチサンダルでジョギングしているのだ。上下は、普通のトレーニングウェアで、足元だけビーチサンダル。

いったい、京都の人の靴の感覚はどうなっているのだろうか。「京都の人」と一般化するのは間違いかもしれないが、驚いた。これでは、非常に脚に負荷がかかる。先日も、烏丸通で、左足だけハイヒールで右足はスニーカーの男性とすれ違った。不思議な人たちが御所の周りをめぐっているのである。

夜、仕事を終えて、ロミーにようやくメール書く。ウクライナに捧げる詩を送ってくれたのだが、今となっては、完全にガザに捧げる詩となっている。

版画家の武田さんより来年のカレンダー届く。

この頃、ふと思うのは、確かに、第二次大戦で、米英仏ソなどの連合国は勝ったが、実は、本当に勝利したのは、ナチスドイツと大日本帝国だったのではあるまいか。それは、80年後、ネオナチのウクライナや、ナチスと同じことをしているシオニストのイスラエルや、なによりナチスの亡命者を最初に軍事利用した元祖歴史修正主義者の国、米国や、極右の統一教会に汚染されただけでなく、米国の属国として日々、情報操作を行っている日本の現状を見れば、そう思えてくる。

それは「ナチスの世界化」というテーゼで説明できるのではないかと思う。この「ナチスの世界化」の強力なエンジンは、米国とイスラエルだろう。



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一日一句(3089)


出町枡形商店街の映画館、出町座






大売り出し林檎ふたつを鷲掴み






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一日一句(3088)


河合橋から






どてめしをかつ込んでゐる昼の月






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