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一日一句(2288)







塀際は野菊あふれてゐたりけり






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鯤(こん) の会






【information】俳人の浅生田圭史氏が、俳句出張指導の会「鯤(こん) の会」を立ち上げました。詳しくは、ここから>>> 氏は現在、月一回第三日曜日に、生麦地区センターで、生麦句会を主宰すると同時に、横浜の朝日カルチャーセンターで、俳句指導を行っています。
















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第2回どら猫放談句会






■第2回どら猫放談句会が開催されました。ここから>>>





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第1回どら猫放談句会






■6月25日土曜日、第一回どら猫放談句会が行われました。都内某所にて。前半は席題を決めての俳句5句。後半はキーワードを決めての川柳5句です。さて、どんなどら句が出てきましたか。ここから>>>









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fruits du silence (1)







le cerisier en fleurs
embransse le poteau électrique
épousailles branchées



Kirschbaum in Blüte
umarmt den Strompfosten
geladene Vermählung



                    fruits du silence de Anne-Marie Käppeli

櫻が
電柱にキスしている
電気のご婚礼




※ ここで、面白いのは、épousailles branchéesという表現。epousaillesは婚礼。これは古いフランス語で、今では、茶化したり冷やかしたりして言うときに使う言葉。もともと、この言葉は複数形で使うらしい。櫻の花が風か何かで電柱に触れたのだろう。それを婚礼のキスに見立てている。ドイツ語の婚礼、Vermählung には冷やかした調子はない。branchéesは、「電源につないである」を意味する。動詞brancherと同じ系統の言葉で、この動詞は「つなぐ、接続する」を意味している。ドイツ語ではladenを使い、「荷物を積む」という原義から「充電する、荷電する」という意味で使用している。その点でやや重い感じになる。フランス語の形容詞、branchéesには、もう一つ、裏の意味もあって、それは「イケてる、流行りの」というニュアンスの響きである。ringard「ダサい」の反対の意味になる。全体として観ると、この俳句は、笑いをめざしていると感じる。そして、フランス語の方が豊かなニュアンスで作られている印象を受ける。


※ ことしの2月に、スイスの詩人、ロミーから、3.11の5周年ということで、フランス語、ドイツ語、中国語の三か国語で書かれた句集『静果』が送られてきた。この本は、俳人のアン=マリー・ケペリと中国文化に造詣の深い図書館司書のフレデリック・ドゥロネ(中国語への翻訳)、そして40年のキャリアを持ち、国内外で活躍するフリーの木版画家・デザイナー・画家のゲルハルト・S・シュールヒの共同制作になっている。

※ この句集で、フランス語とドイツ語の俳句を書いているアン=マリー・ケペリは、1948年、スイスのトゥーン生まれ(ドイツ語圏)。元歴史学者でフランスのピレネー・オリエンタル県に近いジュネーブ郊外に住んでいる。なので、生活語はフランス語だろうと思う。長年、太極拳(気功)を実践し書道をやり俳句を書いている。

※ 中国語の翻訳バージョンは、中国語をサポートしていないため、省略した。






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連作「夏草」








夏草






夏草や夢の跡には夢ひとつ


夏草をめぐるいのちの月日かな


夏草に一本天をめざすあり


思ひ出を生くる儚さ白日傘


原爆忌終つてはじまる戦あり


夏の月深閑としてデモの空


夏の月宿らば宰に悲のこころ


草の木の海の光の原爆忌


大統領もとをただせば裸の子


手花火や闇懐かしき聲満ちて


かなかなや死者は戦を許すまじ


八月や空き地にのこる空ひとつ


墓参けんちゃん少尉二十歳


八月の終ることなく七十年


そこのひと南瓜を煮るもまつりごと


あつてなき生死の境踊の輪


白日傘ほのと微笑を浮かべをり


端居して風のやうなるひとの聲


動く葉は天の果てなり大夏木


風鈴やひたと旅する星の音












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一日一句(1143)







一天の隅つくりけりはたたがみ






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清水昶の一句




六道に死して桃源の鬼となる


遺稿句集『俳句航海日誌』は、詩人、清水昶の集大成である。これが通常の句集と異なっているのは、詩から俳句へ転位するための実験プロセスが、丸ごと収められているからだ。その転位は、六十八年パリ五月革命や全共闘運動などの「政治の季節」の後の社会体制の質的な変化に対応している。その変化とは、大きな政治権力から微細な日常権力への変化である。「現代詩はダメだ!」が口癖だった清水さんは、現代詩がこの変化に対応しきれていないことに気づいていた。日常生活に現代詩とは違った形で肉薄できる俳句に、新たな詩的可能性を見ていたのである。

掲句を読んだとき、言葉を失った。これは意志であり、辞世である。輪廻転生しても鬼となる、と宣言している。ここには、清水さんの生き方が集約されている。鬼とは、否を生きるということである。そこが桃源郷であっても否を貫くというのである。清水さんを知った人は、その可笑しみのある憎めない人柄に魅了される。その否はいつも笑いとともにあった。歩行困難となった最晩年の「杖を曳き無念無想の小春かな」やアル中の自画像「昼酒を酌み厳粛に蝿叩」、老獪な政治家の独語「一匹の蚊は政敵より憎きかな」など、大きな笑いの世界も実験の輝かしい成果である。

尾内冬月

初出<俳句雑誌『百鳥』2013年11月号>




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清水昶遺稿句集『俳句航海日誌』発刊!






■清水さんの遺稿句集『俳句航海日誌』が発刊されました。ここから>>>

清水さんの問題意識は、「なぜこんなにも、現代詩はダメなのか」だった! この句集は、清水さん自身による、一つの答えだと思っています。現代詩を考える上でも、また、俳句を考える上でも、重要な句集になると思います。なにより読んで面白い。清水さんがインターネットの掲示板に書いた俳句から収録。清水さん自身による掲示板のコメントもそのまま掲載。リアルタイムで俳句の創作現場に立ち会える、そんな気分にさせるウェブ時代の新しい試み。七月堂。2,100円。











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2013年歳旦3句







除夜の鐘天地無常のありどころ




太箸の遊び箸こそ楽しけれ




初富士の高みは素晴しき孤独






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