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琉球と沖縄・沖縄の文学(13)

■旧暦10月1日、土曜日、

(写真)首里城を守るシーサー

今日は、朝6時まで仕事していた。どうにか、サイバー8章を終える。後は、最終的な見直しをかけて脚注の検討を行ってからFさんのとこに送付する。そんなこんなで、起きたのが昼前。電気炊飯器がいかれたので、飯を食べてから、柏に買いに行く。




芭蕉布

                    山之口 貘


上京してからかれこれ
十年ばかり経っての夏のことだ
とおい母から芭蕉布を送って来た
芭蕉布は母の手織りで
いざりばたの母の姿をおもい出したり
暑いときには芭蕉布に限ると云う
母の言葉をおもい出したりして
沖縄のにおいをなつかしんだものだ
芭蕉布はすぐに仕立てられて
ぼくの着物になったのだが
ただの一度もそれを着ないうちに
二十年も過ぎて今日になったのだ
もちろん失くしたのでもなければ
着惜しみをしているのでもないのだ
出して来たかとおもうと
すぐにまた入れるという風に
質屋さんのおつき合いで
着ている暇がないのだ


■この歳になって、母親の無償の愛みたいなものを、それはそれとして、ありがたく受け取れるようになったが、若い頃は、ただただ、うっとうしく、どうにもべた付いて、理解を欠いた一方的な愛情のように思われたものだった。血縁の息苦しさは、愛情とエゴイズムがなかなか切り離せないところにあるのかもしれない。ニーチェではないが、愛情の深さは、生命力の強さの現われなんだろう。

この詩のお母さんは、さりげない。さりげなく、見守ることを知っている人だったのかもしれない。作品全体に漂う飄逸なユーモアにも心惹かれた。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(12)

■旧暦9月22日、木曜日、のち珍しく天気予報どおりの一日だった。午前中に、洗濯物を干し、お昼には取り込む。夕方、床屋。さっぱりした。

(写真)沖縄の名護市にあるゴルフクラブ。ゴルフクラブは、リゾートホテルと並んで、沖縄開発の一つの象徴と思われる。県内には、宮古、八重山も含めると、40箇所もゴルフクラブがある。本島では、北部に13箇所、中部に8箇所、南部に13箇所と、ほぼ、まんべんなく分布している。




耳と波上風景

               山之口貘


ぼくはしばしば
波上(なんみん)の風景をおもい出すのだ
東支那海のあの藍色
藍色を見おろして
巨大な首を据えていた断崖
断崖のむこうの
慶良間島
芝生に岩かげにちらほらの
浴衣や芭蕉布の遊女達
ある日は竜舌蘭や阿旦など
それらの合間に
とおい水平線
くる舟と
山原船の
なつかしい海
沖縄人のおもい出さずにはいられない風景
ぼくは少年のころ
耳をわずらったのだが
あのころは波上に通って
泳いだりもぐったりしたからなのだ
いまでも風邪をひいたりすると
わんわん鳴り出す
おもい出の耳なのだ


山原船阿旦。見たことのない風景だが、なんだか、懐かしい。時間がゆっくり流れているような、自分の中の海を見ているような。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(11)

■旧暦9月2日、金曜日、

沖縄に特有の植物はたくさんあるが、「がじまるの木」に一番強い印象を受けた(写真)。根の張り方と幹の生え方が複雑で、たくましい感じの樹木である。しばらく見ていても飽きない。写真は車の中から撮ったので、樹木の生命力がうまく出ていないが、なんとなく感じはつかめるだろうか。




がじまるの木
                      山之口 貘
ぼくの生れは琉球なのだが
そこには亜熱帯や熱帯の
いろんな植物が住んでいるのだ
がじまるの木もそのひとつで
年をとるほどながながと
気根(ひげ)を垂れている木なのだ
暴風なんぞにはつよい木なのだが
気立てのやさしさはまた格別で
木のぼりあそびにくるこどもらの
するがままに
身をまかせたりして
孫の守りでもしているような
隠居みたいな風情の木だ


■がじまるの木に登ったら、さぞ楽しかろう。幹が四方に伸びて枝も多い。はじめて見たときには、その姿に、ある種の感動を覚えた。しかし、貘さんを見ていると、詩人は「知識人」になったら、終わりだなとつくづく思う。貘さんは、ずっと「旅人」だった。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(10)

■旧暦8月27日、日曜日、

昨日から、木犀の香が急に大気に満ち始めた。桜の葉も、2、3、黄色くなり始めた。投句する俳句のことをすっかり忘れていて、今日、明日は、仕事と作句に専念である。



浜辺に松という構図は、松林図や羽衣伝説に見られるように、日本の海岸の原風景だと思っていた。だから、まさか、沖縄の浜辺に、松はあるまいと思っていたのだ。なんせ南国なんだから。ところが、あるではないか、見事な松林が(写真)。この松は琉球松といい、本土の松とは、種類が異なる。葉を良く見ると、本土よりも繊細で、幹も折れやすそうである。海辺だけでなく、山間部にも、琉球松は生えているが、松くい虫にやられて、茶色に涸れているものが多く見られた。



会話           

                      山之口 貘

お国は? と女が言った
さて ぼくの国はどこなんだか とにかく僕は煙草に火をつけるんだが 刺青と
 蛇皮線などの聯想を染めて 図案のような風俗をしているあの僕の国か!
ずっとむこう

ずっとむこうとは? と女が言った
それはずっとむこう 日本列島の南端の一寸手前なんだが 頭上に豚をのせる
 おんながいるとか 素足で歩くとかいうような 憂鬱な方角を習慣しているあの
 僕の国か!
南方

南方とは? と女が言った
南方は南方 濃藍の海に住んでいるあの常夏の地帯 龍舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤ
 などの植物達が 白い季節を被って寄り添うているんだが あれは日本人ではない
 とか 日本語は通じるかなどと話し合いながら 世間の既成概念達が寄留するあの
 僕の国か!
亜熱帯

アネッタイ! と女は言った
亜熱帯なんだが 僕の女よ 目の前に見える亜熱帯が見えないのか! この僕のよう
 に日本語の通じる日本人が すなわち亜熱帯に生れた僕らなんだと僕はおもうん
 だが 酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのように 世間の
 偏見達が眺める僕の国か!
赤道直下のあの近所

■この詩は、沖縄の人が今も本土の人に対して持つ複雑な感情が表現されていると思う。たぶん、奥さんと初対面のときのことを題材にしていると思う。貘さんの詩は、沖縄に行く前も面白かったが、行って白と青と赤の世界を体験してからは、いっそう面白く感じる。

沖縄では今、教育界を中心に「ユタ撲滅運動」が進行中である。「ユタ」は今や、「霊感商法まがい」の存在にまで貶められている。近代に組み込まれた瞬間から「進んだ地域(東京=欧米の出店にしてエージェント!)」と「遅れた地域(辺境!)」が生じ、お金が一人、神となる。だから、お金を自分の神に持つユタが出てきてもなんの不思議もないのだ。逆に、神話の側から言えば、五十嵐大介が、世界を支配する白人の力を知り、これを利用しようとした呪術師を描いたように(『魔女』第1巻第2話)、神話にはもともと啓蒙に転化する要素が内在している。「神話の弁証法」である。沖縄でも、今、内外のこうしたモーターが猛烈に働いているように感じる。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(9)

写真は、名護市、大浦湾の空と海。普天間飛行場が移設されると、この湾の大サンゴ群(北半球最大規模の石垣市白保に次ぐ)が影響を受けることは確実。

この際、ドイツ語のサイト(Delfini Workshop auf deutsch)も開設して、拙いドイツ語で、俳句の感想を述べてみようと思う。基本的には、ここで紹介したドイツ語の俳人たちの作品のコメントをドイツ語に訳してみる。正しく伝わるかどうかは、やってみないとわからない。辛口批評になると思うが、ドイツ人たちから、何らかの反応があれば面白いと思っている。




ふるさとは琉球といふあわもりのうましよき国少女はたよし

やはらかに石敢當(いしがんだう)のむくつけき鬼のおもてをぬらすさみだれ

この岬啄木も来て泣きけんとおもふあたりにはまなすの咲く

病める児の痩せたる肋骨(あばら)おもはわれて仰ぐを避けぬ天井の桟敷

わが恋に似てさびしくも一ひらの木の葉とらへ躍る雲の巣


山城正忠(1884-1949)那覇市生まれ。歌人・小説家・書家。上京後、「新詩社」に加わり、与謝野晶子に師事、石川啄木と交流があった。帰郷後、末吉麦門冬らと同人誌「五人」を発行。「明星」「スバル」「沖縄教育」などに短歌を発表。「沖縄朝日新聞」の短歌選者。

■どの歌も簡潔でわかりやすく、印象が鮮やかだと思う。「病める子」の社会批判、「ふるさと」の祝福。「わが恋」の頼りなさ。

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沖縄の笑い

■旧暦8月20日、、終日、家にいて、ぼーっとしていた。午後、昼寝。今日で9月も終わりか。

沖縄の「コント米軍基地」をテレビで観た。面白かった。なんと言うか、現実の多面性や矛盾、重層性みたいなものは、どこか、笑いの要素を持っている。それを拡大して、笑わせてくれる。題材は、沖縄の現実であるが、それが徐々に、日本の現実に重なり、最後は、笑いながら、凍りついていた! 「詩は(文学は、と言ってもいいかもしれない)まじめすぎてもいけない」という含蓄の深い言葉がある。まじめであることは、ある意味、人間が一面的になることだから、矛盾に満ちた現実の姿をつかみきれない。沖縄の米軍基地に反対しているその人が、基地で開かれる祭を楽しみにしているなどといったことはなんぼでもある。基地移転に反対しながら、子どもの職や金のために、受け入れに賛成の気持ちもある。基地に反対する「人間の輪」に参加するウチナンチューが年々減っていく。こうした矛盾を否定せず、コントにしてしまう。笑いながら凍りつく。そして、もう少し深く考えるようになる。笑いの有効性を強く感じた夜だった。

写真は、名護市内で見た共産党の基地反対の立て看板。

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琉球と沖縄:沖縄の文学(8)

写真は、首里城から南につづく石畳の一コマ。かなり長い距離、この石畳は続いていて、途中に県立芸術大学がある。この辺りは、まったく人気がない。猫の鳴声がやけに耳についた。石塀にいた蝸牛は、ヤドカリみたいな貝殻をしていた。少し下ると、右手に寒緋桜の並木がある。沖縄で「桜」と言えば、この花を指し1月から2月頃に咲く。北の地域から順次咲き始めるという。




首里秋風坂だんだらの石畳
若夏の満月を上げ椰子の闇
珊瑚咲く海へ染まりに島の蝶
泡盛にハブを仕込めば今日も雷
花梯梧星を殖やして夜も炎ゆる


小熊一人(1929-1988)千葉県生まれ。1975年から3年間、沖縄気象台に勤務。亜熱帯沖縄の季語の発掘に努め、1979年『沖縄俳句歳時記』を編んだ。

■「若夏(わかなち)」は沖縄独自の季語で、初夏の頃を言う。「花梯梧(はなでいご)」も沖縄の夏の季語だろう。それ以外は、本土の季語を踏襲している。沖縄を詠むとき、季語をどうするかが、一つの問題になるだろう。沢木欣一のように、本土の季語だけで押し通す方法もあると思うが、その土地独自の季節を表す言葉を使うことは、その土地への親密な挨拶になるのではないか。この5句、どれも趣深い。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(7)

那覇はほとんど東京の新大久保あたりの風景と変わらない(写真)。家賃も都心とそう変わらないようだ。中部のナカグズクあたりになると、月3万から4万でマンションが借りられるらしいが、いかんせん、仕事がない。那覇の町を歩いていて、目立ったのは、「若者に仕事を!」という共産党の立て看板とホームレスだった。国際通りをちょっと外れると、木陰でうずくまって熱心に古新聞に見入る老婆がいたり、国際通りを行き来しながらコンビニのゴミ箱を漁る若いホームレスがいたりする。沖縄は離婚率が高い。経済的な理由から、夫の方が家庭を放棄してしまうことが多いらしい。唯一の産業が観光業・不動産業だが、それも、本土の資本がなだれ込んでいる。こんな豊かな島が近代という枠組みに組み込まれたとたん「辺境」に追いやられてしまうのは、何かがおかしいのだ。




屋根獅子の阿の牙くぐる初雀
戦跡の岩つたひゆく揚羽蝶
風灼けて蒲葵のたかぶる神の島
右左基地の灯の占め甘蔗積む
冬ぬくし赤土に変わる犬の糞


瀬底月城(1921~)(ただし情報は1992年時点)佐敷町生まれ。1969-75年まで「タイムス俳壇」の選者。「俳句は万象に愛を注ぎ愛を受けるにある」と考え、伝統俳句の立場から活躍。句集『若夏』

■琉球王国からの文化に誇りを持ちながらも、たいていの俳人は、基地と戦争という現実から目を逸らさない。それだけ、この問題は沖縄の俳人にとって切実なんだろう。今回の旅では、現代史に関わるスポットはすべてカットした。まだ、自分には、準備が出来ていないと考えたからだ。那覇でたまたま拾ったタクシーの女性ドライバーが、「沖縄の歴史を知るには首里城を、沖縄の心を知るには、ひめゆりの塔と平和祈念館を見て欲しい」と言っていたのが忘れられない。その女性ドライバーは、「日本では」という言葉の使い方をしていた。裏を返せば、自分たちは日本人ではない、琉球人であるというアイデンティティの宣言だろう。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(6)

琉球舞踊は、衣装がカラフルだが、動きは、能によく似ている。五穀豊穣を祈願する舞(写真)が中でも印象に残った。この舞は、宮廷で行われたもののようで、首里城の一画で、毎日上演されている。踊りということでは、島唄の演奏に合わせて踊ることも多いようだ。このとき、男女の踊りのスタイルは若干異なる。男は握りこぶしの両腕を上に上げて、足でリズムを取りながら、両手をゆっくり左右に動かすのだが、女性の場合は、握りこぶしではなく、手を開いて行う。




蛍火や首里王城は滅びたる
白南風の崖吹き上ぐる万座毛
炎帝の入りて孕みし墓の腹
釜出しの地熱を奪ふ白雨かな
夕月夜乙女(みやらび)の歯の波寄する


沢木欣一(1919-2001)富山県生まれ。沖縄の名所、行事、風物などを詠った句集『沖縄吟遊集』を発刊し、県外の人による沖縄詠俳句の先駆的役割を果たした。俳句は、即物、即興、対話の三要素の連繋する接点にあると論じ、日本人の失われた故郷の回復を志向した。俳誌『風』主宰。

■『沖縄吟遊集』は、旅の前に読んだが、今ひとつ、心に入ってこなかった。今回、沖縄を旅して、もう一度、読んでみると、詠まれた対象が具体的にイメージできる。漢字が多くて、全体に硬い感じを受けるが、沖縄県外の人間が沖縄を詠むときの一つのモデルになるような気がする。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(5)

食は人なり。古のフランス人の言葉である。その人が何を食べているか。そこにその人が現れる。その意味で、その土地の市場と料理は、どうしても見ておきたいポイントだった。残念ながら、時間の関係上、食べたい沖縄料理をみな食べられたわけではない。けれど、沖縄に着いて、何に、始めに衝撃を受けたかと言えば、「そうきそば」だった。「そうきそば」は、たいして旨くない、という人もいる。残念ながら、店を間違えたのである。煮込んだ軟骨付豚肉を載せたそうきそばに衝撃を受けた(写真)。こんな旨い豚肉、生れて初めて食った。ちなみに、店の名前は、「うるくそば本店」(電話 098-857-8047)。那覇に着いたら、まず食べてみて欲しい。写真右上にある小皿に盛られた葉は「よもぎ(ふうちばあ)」である。これを薬味にする。そうきそばとなかなか相性がいい。

食いしん坊なので、食の話になると止まらなくなるのだが、このほかに印象的だった料理は、意外にも、ゴーヤの天ぷら。これがいけた。輪の形に薄くスライスしたゴーヤを天ぷらにしただけなんだが、美味しかった。家でも作ってみたいと思っている。天ぷらと言えば、「島らっきょう」の天ぷらが最高に旨かった。どう表現したらいいのか。砂地で栽培されるので、「島らっきょう」は、こっちの「らっきょう」より、はるかに癖がなく、あっさりしている。淡白な味わいなので、天ぷらにして、塩で食すとさくっとした食感があり実に旨い。何個でもいける。

当然のことながら、ゴーヤチャンプルは美味だった。こっちで入手できるゴーヤとは色からして違う。はるかに濃い。苦いことは苦いが、癖になる旨みを伴っている。このほか、有名なところでは、豚足の「てびちー」があるが、ぼくには、今ひとつだった。これは基本的に、おでんと同じで、冬瓜やこんぶと薄い出汁で煮込んである。言ってみれば、肉のゼリーみたいなもんであるが、味がちょっと薄すぎて、脂肪に出汁が沁み込んでいない感じがした。むしろ、冬瓜の方が出汁が沁み込んでいて美味だった。

「みみがー」は、ちょっと海月に食感が似ているが、海月よりも数倍旨い。ドレッシングだと思うんだが、実に相性が良かった。また、沖縄名産の黒豚「あぐう」は、網焼きとトンカツで食してみた。結果は、網焼きの方が断然旨い。店が違うので、素材の違いかもしれないが、網焼きされた「あぐう」は、これまで食べたどんな豚肉とも違っていた。やや野性味がある肉質で、旨みが詰まっている感じがした。

ぼくは、あまり酒をのまないので、泡盛は2種類だけ試した。古酒と言われる酒と通常のものと。やはり古酒の方が味わい深い。これがタイ米から作られるというのは初めて知った。

デザート系では、やはり、国際通りの「ブルーシール」は外せないだろう。マンゴーアイスは、クリームとマンゴの斑になっていて、さわやかで、しかも、コクがある。

牧志公設市場の話になると、また、別枠で書かなければならないくらいなのだが、強く印象に残ったのは、やはり人情である。試食させてくれるおばさんたちとの会話が実に楽しい。金儲け主義じゃなく、以前からの知り合いみたいに、気さくに勧めてくれる。そして、食べさせてくれるものが、本当に旨いのだ。なんというか、沖縄の人は、市場のおばさんにしても、お店の人にしても、タクシーの運ちゃんにしても、宿のご主人にしても、全体的に、味のある人が多い気がした。東京じゃ、下町に行っても、もうこういう人情はないんじゃないか。




沈む鎖の端の沖縄夜の豪雨
手のひらにふかき弾のかげりの男舞
とおくより紅型明りのははの空
三味線(さんしん)の棹立ちあがる梯梧闇
ゆっくりと核戦争がくる白い便器


井沢唯夫(1919-1988)大阪府生まれ。戦前、座間味村屋嘉島の鉱山に滞在中、俳誌『谿涼』発行。反戦反核の運動を通じて生活に根ざした無季俳句を多数発表。「核戦争の反対する関西文学者の会」代表。俳誌『聚』主宰。

■形は二つのことを詠む取り合わせになっているが、俳句としては、季感が響かず、一行詩の趣以上を出ない。同じ社会批判をするにしても、底が浅い気がするのであるがいかがだろうか。
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