goo

一日一句(952)







水仙やわが身及ばぬ日の光






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西行全歌集ノート(17)




身を分けて見ぬ梢なくつくさばやよろづの山の花の盛りを

西行 山家集 上 花

※ これは、はじめ、意味がよくわからなかった。問題は、「つくさばや」だった。ウェブを調べてみると、「盡さばや」と表記してあるテキストを見つけた。「盡す」は「尽す」であるから、なにかを極める、そのマックスまで出力するという意味になるのだろう。では、何を? 

歌を全体的に読むと、「見尽す」という意味であることがわかる。「身を分けて」は、注によると、「身体をいくつにも分けて」ということで、仏について言うことの多い表現らしい。つまり、身体をいくつにもわけて、見ない梢の花がないように、見尽くしたい、山々の花の盛りを、という感じになる。

ここで、注目したいのは、「見る」という行為となにかの出力がマックスであるという言葉の組み合わせで、「見尽す」は、現代にも残る言い方だが、見るという行為の対象への積極的な心の働きかけ、もっと言えば、見るという行為と心が外部存在に憑依することの同一性を、言いたいのである。「見る」は、現代では、憑依とは関係なく、観察するに近いニュアンスになっている。見尽すは、客観的に観察し尽す、という感じが強いが、もともと、心の運動、憑依、模倣と深く関わることを、この「見盡す」の使い方は語っているように思えるである(メルロ=ポンティが知ったら、大喜びしそうである)。

この「見盡す」が、仏教的な文脈の中で、歌われていることにも注目できるだろう。ミメーシスは、一般的に、世界宗教の発展とともに、弱体化してきたと言えると思うが、その中に、引き継がれている面があるはずなのである。ちょうど、科学の中に、錬金術の考え方が引き継がれているように、である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

詩的断章「花」






めしを喰え
風邪をひいたらめしを喰え
むかし よく おふくろさんが
言っていたっけ

それで
オイラは
腹痛でも
めしを喰うようになったのさ

風邪の神サン
オイラは
あんたに
頼みたいことがある

オイラは
カネに取り憑かれて
戦争が
大好きだ
反動が
大好きだ
女は家事に育児に
男は戦争
天皇陛下万歳!

風邪の神サン
オイラの心を
花に取り憑かせてくれないか
狂ったオイラの心を
花に狂わせてくれないか
花もカネも
風林繊月春の夢

風邪をひいたオイラは
台所で人参を刻むのさ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(951)







寒鴉わが身呼ばれし気のしたる






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西行全歌集ノート(16)




願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ

西行 山家集 上 春

※ だれもが知っているこの歌は、今では見えなくなった面がある。花の下で死ぬことは、「変化」への願望を表し、「再生」への予感を孕んでいる。それは、「花」の象形から、言えることであるが、ここでは、ダメ押しのように、「そのきさらぎの望月の頃」と時期が指定してある。陰暦の2月15日は、釈迦の入滅の日にあたり、輪廻転生への願望を強く感じさせる。

実際、旧暦2月16日の満月(この年は、2月16日が満月だった)に亡くなったらしいが、その根拠は、俊成、定家、慈円の残した詞書と歌に見られる。歌のとおりの死にざまは、当時の歌人や宗教者の心を動かしたらしい。西行は、その後の宗祇・芭蕉とともに、「旅の中の人間」、「人生は旅」というイメージを作った系譜の元祖になると思うが、現在の唯物論的な考え方では、旅の終着が死になり、そこで、永遠の眠りにつくというイメージなるが、この旅は、繰り返される旅だったことに、注目していいと思う。

そして、その繰り返しは、四季の繰り返しとちょうど重なっている。花だけではなく、季節の巡り自体も、再生や変化と関わっているのである。

繰り返す季節。繰り返す人生。かつてベンヤミン(1892-1940)は、ニーチェ(1844-1900)の永劫回帰の思想を評して「大量生産の思想」と呼んだ。日本社会が、高度消費社会・高度情報化社会の先端にあることと、巡る季節の感受性は、まったく無関係とは、ぼくには思えないのである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(950)







踏切の音なつかしや春隣






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西行全歌集ノート(15)




花にそむ心のいかで残りけん捨てはててきと思ふわが身に

西行 山家集 上 春

※ 花にそむ心=花に執着する心。この歌は、執着心を捨てて仏門に入ったつもりだったが、身体にその心が残っていた、という趣旨だと思う。面白いなと感じたのは、古代的な感性のミメーシス(模倣、とり憑き)を、仏教は、否定するというところで、おそらくは、理神教的なキリスト教も否定するだろう。一般的に言って、世界宗教の成立過程とミメーシス的な感性の後退は関係があるのではないかと思う。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(949)







われかつてさう呼ばれたり寒鴉






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(948)







寒の雨しきりにたれか戸を叩く






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西行全歌集ノート(14)




1月26日

花散らで月は曇らぬ世なりせば物を思はぬわが身ならまし

西行 山家集 上 春

※ ここで、注目したいのは、「物思う」という言い回しと「わが身」という表現。物思うは、物思いなど、今でも秋の頃によく使われる。一般的には、物思いとは、思い煩うことや愁いを指し、ここでも、花が散る、月が雲に見えないことへの愁いを歌っていると考えられる。だが、このときの物とは何か。端的に言うと、多くの国語辞典や古語辞典では、最後の方に出てくる「神仏、妖怪、怨霊など、恐怖、畏怖の対象」というのが、それにあたると思う。むしろ、これが主要な意味だったと思う。この使い方でもっとも古い文献資料は753年くらいの仏足石歌に残っている。用例自体は、古代のミメーシスと直接関わるから、もっとはるかに古くからあったはずだが、書き言葉として残っているのが、これだったということだろう。仏足石歌では、毛乃(モノ)と表記している。音が先だったことがこれでも示唆されている。

つまり、なにが言いたいかというと、物とは、岩手県釜石の方言に残っているような、「人につくもののけ」「憑き物」をもともとは意味したのだろうということ。言いかえれば、心の運動と関わっている最たるものであること。物とは、外部の自然存在に心が憑依した結果、外部の自然存在を身体へ呼び込んできた状態を指すのである。狂とも関わる。「わが身」は、心に常に先行しながら、物の器となることが示唆されている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ