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■旧暦12月5日、水曜日、

(写真)芽吹き:枝垂れ桜

引き続き、掃除。蛍光灯の傘の埃を取り、網戸を洗い、ゴミを捨てる。

グローバリゼーションには、諸側面あるけれど、地上の人々と経済を通じて、生活が繋がっている感覚、言いかえると、運命が繋がっている感覚というのは、これまでなかったものじゃなかろうか。この側面の認識が具体的かつ広範囲に共有されるようになれば、何かが変わるかもしれない。




時の鳥

                    
たとへば
花のやうな女なら
花のやうに愛さねばなるまい
菫のやうなれば
菫のごとく 
懐かしくひっそりと
山茶花のやうなれば
山茶花のごとく
散りながらまた咲きながら

花のことは花に聞け

たとへば歌のやうな女なら
歌のやうに愛さねばなるまい
やがて消えてしまう歌のやうに
ふいに口ずさむ歌のやうに
歌はそこにあり
そこにない

虚空のなんと満ち足りていることか
沈黙のなんと音楽的であることか

たとへば
女のやうな女なら
女のやうに
愛さねばなるまい

時のことは
雲を渡る鳥に聞け




Sound and Vision

Area - L'Internazionale
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Marxを読む:「経済学哲学草稿」(5)

■旧暦12月4日、火曜日、

(写真)ひったくりの路地

掃除して終わった。街は、しづか。人出が少ない。グローバリゼーションを進めてきた猿とチンドン屋の倫理的な問題はいっこうに議論にならないが、儲けるときだけ市場主義で、損失は全世界の弱者が負担する「社会主義」じゃ話にならない。




…しかし、労働者は、生きた資本であり、したがって生理的欲求をもつ資本であるので、労働しなくなったとたんに、みずからの利子とともにみずからの生存をも失ってしまうという不幸を背負っている。労働者の価値は資本とみなされて需要と供給におうじて上昇し、彼の生存と生命にしても物質的なものとみなされて、他のすべての商品と同様に商品の供給として理解される。労働者は資本を生産し、資本は労働者を生産する。したがって、労働者はおのれ自身を生産するのであり、労働者としての人間、商品としての人間が、この全運動の産物なのである。労働者以上のなにものでもないような人間、労働者であるかぎりでの人間にとっては、彼の人間的な諸性質が存在するのは、それらが資本のために役立つかぎりでしかなく、しかもその資本は彼にとって疎遠なものでしかない。
  『マルクス・コレクションⅠ』pp.327-328

Der Arbeiter hat aber das Unglück, ein lebendiges und daher bedürftiges Kapital zu sein, das jeden Augenblick, wo es nicht arbeitet, seine Zinsen und damit seine Existenz verliert. Als Kapital steigt [der] Wert des Arbeiters nach Nachfrage und Zufuhr, und auch physisch ward und wird gewußt sein Dasein, sein Leben [als] eine Zufuhr von Ware wie jeder andren Ware. Der Arbeiter produziert das Kapital, das Kapital produziert ihn, er also sich selbst, und der Mensch als Arbeiter, als Ware, ist das Produkt der ganzen Bewegung. Dem Menschen, der nichts mehr ist als Arbeiter, und als Arbeiter sind seine menschlichen Eigenschaften nur da, insofern sie für das ihm fremde Kapital da sind.
「Das Verhältnis des Privateigentums」(『Ökonomisch-philosophische Manuskripte aus dem Jahre 1844』)

■働く人間の本質が、この不況で、だれの目にもはっきりしたと思う。マルクスを読む人間を「左翼」だとか「傾向主義者」だとか、幼稚なレッテルを貼って済ませられた刻限はとっくに過ぎている。




Sound and Vision


David Sylvian - When Poets Dreamed Of Angels [Live 4.10.03]
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蕪村の俳句(11)

■旧暦12月3日、月曜日、

(写真)日向ぼこ

今日は、正月の買い出しだった。喫茶店で、俳句と詩を作る。もう花びら餅が出ていた。




大鼾そしればうごく生海鼠哉
  「落日庵」(明和五年)

■可笑しい。そこに惹かれた。テキストの解説では、人を海鼠に見立てたとあるが、海鼠が大鼾かいていると取った方が面白い。海鼠に惹かれるのは、無口なイメージがあるからかもしれない。



Sound and Vision

Donna Donna (Yiddish Version)


この少女のイディッシュ語の歌には、不覚にも涙が出た。
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ドイツ語の俳人たち:Udo Wenzel(1)

■旧暦12月2日、日曜日、

(写真)年用意

レクチャー原稿送付。冬期講習終了。これで、ひとまず一区切りついた。これから、年末年始にかけては、正月もなくサイバーの翻訳に邁進である。詩・俳句の締切というハードルがあるが、これは、双方が気分転換になってちょうどいい。




Schattiger Abend.
Durch den wogenden Weizen
gehe ich nach Haus



影の長くなった夕暮
小麦の波を抜けて
わたしは帰路につく


■ヴェンツェルさんは、充実したブログを持ち、日本の俳人のインタビュー動画なども観られる。情景が目に見えるようで惹かれた。Schattiger Abendという表現は面白いと思った。直訳すると、陰ある夕暮だが、夕方、陰ができるのは当たり前だから、陰の部分が大きくなったと捉えた。



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Junko Yamamoto Takeda no komoriuta 1997.8
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Jack Kerouacの俳句(4)

■旧暦12月1日、土曜日、

(写真)マスク

『チェーザレ』(惣領冬実)面白し。チェーザレ・ボルジアがスペイン系だったというのを初めて知った。




The clouds are
following each other
into Eternity


雲は
追いつ追われつ
永遠へ


■大空の雲の動きが見えるようで惹かれた。永遠に入っていくという感じ方は、キリスト教文明を感じさせる。



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Japan 1960-1970 Pt.25 フランシーヌの場合  新谷のり子
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飴山實を読む(94)

■旧暦11月29日、金曜日、

(写真)無題

今日は、よく寝た。惣領冬実の『チェーザレ』を読んでいて、夜更かししてしまった。夕刻より、冷える冷える。明日、明後日と仕事。楽しんでいこうか。




すだれ屋に湖からの風若楓
  「花浴び」

■すだれ屋のすだれが琵琶湖からの風に揺れている。涼しげで惹かれた。若楓の若々しい緑も鮮やか。



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Japan 1960-1970 Pt.24 自由への長い旅 岡林信康


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芭蕉の俳句(212)

■旧暦11月28日、木曜日、、クリスマス

(写真)歳末

葉っぱのドタヌキ相手にむきになることもないのだが、REMの動画は差し替えた。

年賀状を郵便局に出した帰り、ひったくりに遭遇した。12時15分。真昼間、人気のない細い道である。歩いてきて、老婆のバッグを後ろからひったくり、先に止めてあった、自転車で逃走。保険証や財布、新調したメガネなどをやられたという。その自転車と何気なく角ですれ違って先に進むと、老婆が路地の奥から転がるように出てきて、今のはひったくりだと息絶え絶えに叫ぶではないか。慌てて引き返してみたが、広い通りに自転車の影はすでにない。ひどいもんである。手のしびれがまだ残っていると、目をかっと見開き、緊張した面持ちで老婆は言うのである。去年の歳末は放火に遭遇。今年はひったくりである。どんどんすべてが悪くなる。




菊の香や奈良には古き仏達
   (杉風宛書簡)

■元禄7年作。芭蕉の句の中でもっとも好きなもののひとつ。この句は、時空を越えて遥かなものに触れている。この仏は、楸邨も言うように、畏敬の対象ではなく、古代人の引き写しのような感じがする。

Sound and Vision

君に捧げるLove Song 岡林信康
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蕪村の俳句(10)

■旧暦11月27日、水曜日、、聖夜

(写真)イヴの雲

ドイツ語版で検討させてもらった俳人から、クリスマスカードが届いた。こういうささやかなことが嬉しいもんですな。一方で、REMのYouTubeアップが観られなくなりました。「第三者による著作権侵害の申し立てにより削除されました」と表示されていますな。この「第三者」(笑)というのはだれなのか、見当はついていますが、まことに貧しい行為ですな。




うづみ火に奇南を落としヽ人は誰
   「夜半痩」(安永六年)

奇南(きゃら)。きゃらは、香木で、国内で高額で取引されている。香道という面白い世界に通じている。どんな香りなのか、ぼくは知らないが、うづみ火にきゃらを落とすという行為に風流を感じて惹かれた。



Sound and Vision

yes - roundabout
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蕪村の俳句(9)

■旧暦11月26日、火曜日、

(写真)江戸川の子どもたち

朝から、仕事、午後、大丸に佃權のおでんを買いにゆく。夕方、また仕事。日が暮れる。




埋火や我かくれ家も雪の中
  「落日庵」(明和七年)

■かくれ家が雪の中だという。火桶の灰の中の炭火が燃えているという。そのしづかな風情に惹かれた。



Sound and Vision

Waterloo Sunset - Kinks - Ray Davies

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蕪村の俳句(8)

■旧暦11月25日、月曜日、のち

(写真)眠り

今日は、夕方から急に寒くなり、風雨であった。仕事に出る途中、往来の激しい川端の狭い道で、闘牛のように傘を倒した自転車と正面衝突してしまった。「前見て歩け!」と怒鳴ってしまった。自分だけが通行しているのではないのだから、少なくとも、前を見るべきだし、自転車を降りて歩くべきなのである。




埋火やつゐには煮る鍋の物
 「自筆句帖」(明和六年)

■時間の流れのゆるやかさに惹かれた。生活時間の速度と質の違いを感じる。




Sound and Vision

The Cure - The Last Day of Summer
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